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俳人・夏井いつきさん、エッセー集「瓢箪から人生」インタビュー 俳句の種蒔き、生涯かけて

夏井いつきさん=篠田英美撮影

 30歳を過ぎたころ、住んでいる松山市で初めて句会に参加した。「俳句なんてのは棺桶(かんおけ)に足を一本入れてから始めても遅くないよ」とからかわれた。松山は正岡子規、高浜虚子らを生んだ俳句王国。「瓢箪から人生」には〈大丈夫か、俳句の都。これでいいのか、俳句界。ひょっとすると、百年後に、俳句は根腐れしているかもしれない。そんな危機感を勝手に抱き始めたのだ〉とある。

 「後世、日本史の教科書に『昔、俳句という文芸がありました』と載るようになったらどうしようと思って始めたのが、俳句の種蒔き運動だったんです」と振り返る。そのために、8年間続けた中学校の国語教員も辞めた。

 種蒔きの手段の一つが「句会ライブ」。今も全国で年間70回から80回開く。「行脚の人」だ。会場に来たお客さんに、5分で1句できる型を一つだけ教え、俳句を作ってもらう。休憩時間に夏井さんが選句し、決勝に残った7句から参加者全員の拍手で1位を決める。これが基本形だ。

 〈俳句集団「いつき組」組長を名乗りつつ、仲間たちと続けてきた俳句の種蒔きは、子どもたち→学校の先生→子どもの親→地域の人→一般の大人たちという具合に、年代や層を少しずつ広げながら展開してきた〉と本にある。「いつき組」は25年ほど前に自然発生した。〈俳句って楽しい! と思った人は、勝手に名乗って〉〈「名乗るついでに、身近な人たちに俳句の種を蒔いてね」とお願いする。ただ、それだけの俳句集団だ〉

 高校生による俳句大会「俳句甲子園」も立ち上げて毎年開催し、今年は第25回大会を迎える。テレビ番組「プレバト!!」などメディアへの登場も、種蒔きの一環だ。

17音が癒やす力に

 俳句はたった17音だが、その力を実感したエピソードも本で紹介している。

 夜の小料理屋。偶然、その日の句会ライブに参加した同年配の女性がいた。大好きな夏井さんの句があるので書いてほしいと頼まれた。「どんな句?」と聞くと、「なみだより、すこし、つめたき……」と言ったところで号泣し始めた。一緒にいた女性の妹が言うには、女性は半年前に夫を亡くしてから一度も泣いていなかった。

 句は〈泪(なみだ)より少し冷たきヒヤシンス〉。夏井さんは書く。〈悲し過ぎて泣けない。そんな心の堰(せき)を、ヒヤシンスの句が壊してくれたというのか〉〈自分のために書いた句が、誰かの心にさざ波をたて、誰かの心をほんの少し癒やす。俳句にはそんな力があるのか〉

心地いい私の命薬

 俳句の師である黒田杏子(ももこ)さんは、夏井さんを「特質は謙虚、健康、共感力」と評したことがある。だが一方で、俳句界の一部からは「テレビに出てチャラチャラしてる人」と揶揄(やゆ)されてもきた。「俳人としてはもう終わってる人」という陰口も耳に入った。

 こうした声に対して「夏井いつきのこんな作品があったよね、と愛好してもらえるような俳句を残したいという思いは当然ある。ただ、自分の作品だけに生涯をかけていいのかという気持ちもあった。俳句の種蒔きは誰かがやらなきゃいけない。それなら私がやろうと考えたんです」と言う。

 「言葉と心を育てる生涯教育の現場に自分がいる。誰かが喜んでくれることを好きなだけやれる」と実感しているから迷いはない。

 「俳句は私の命薬(ぬちぐすい)」。おいしいものを食べる、美しいものを見る、人の優しさに癒やされる、それら気持ちが良くなること全般を指す沖縄の言葉が「命薬」。この言葉を知ったときに「それだ、それだ」と思ったのだという。(西秀治)=朝日新聞2022年8月10日掲載