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阿部結さん「なみのいちにち」インタビュー 気仙沼の海に思いを寄せて

阿部結さん

気仙沼で育った作家の描く海

―― 阿部さんにとって海とは?

 気仙沼で生まれ育ったので、子どもの頃から海はいつも身近にありました。実家は海から少し離れた山の方にあるんですが、学校に行くとき海のそばを通っていましたし、おばあちゃんの家から30秒のところに日門海岸というこぢんまりとした海岸があって、よく遊んでいました。砂まみれのままおばあちゃんちに戻って、ホースの水で体を洗い流したり、海でとったツブ貝を茹でてもらって、おやつに食べたりしていましたね。漁業をはじめ、海の仕事に従事している方たちも身近にたくさんいました。

毎年たくさんの海水浴客で賑わっていた気仙沼の海岸。このシーンには、『ねたふりゆうちゃん』(白泉社)のゆうちゃんなど、今まで阿部さんが描いた絵本のキャラクターが交じっている

―― 何年も前から海の絵本を描きたいと思っていたそうですね。

 20代後半、本格的に絵本作家を目指すようになってから、海を題材にした絵本を作りたいと思っていました。高校卒業後、海から離れた場所で暮らすようになったためか、気仙沼に帰るたびに、海からたくさんのインスピレーションを受けていました。地元の外に出てみて初めて、それまで気づかなかった気仙沼の魅力に気がついたんです。

 最初に作ったのは、漁師をしていた伯父をモデルにしたお話。他にも、男の子が海賊船に乗って冒険するファンタジーや、浜辺にすむヤドカリが主人公のお話など、いくつも絵本のラフを作りました。ただ、自分でも「これだ!」と思うものがなかなかできなくて、そこから先に進まないままだったんです。

 その後、姪と海辺で遊びに行ったときに、姪が波と遊んでいるのを見て、新たに海の絵本のラフを作りました。そのラフを見てくださった編集者さんに、包容力のある女の人のような波のキャラクターがとてもいい、と言っていただいたんです。ただ、波と女の子というテーマの絵本は他にもあったので、女の子だけでなく、海とともに暮らす人々に寄り添う形でもっと広げてみては?とアドバイスいただき、そこからヒントを得て『なみのいちにち』を作っていきました。

女の子が波と戯れる様子を描いた絵本のラフ。『なみのいちにち』のアイデアのもととなった

回想シーンに綴った伯父の半生

―― 最初の見開きの、朝日できらきらと輝く海が美しく、ぐっと惹きつけられます。

 以前、海の絵本を作るために気仙沼に取材に行ったことがありました。唐桑というところの漁師さんのご家族にお世話になって、朝4時ぐらいに、漁に向かう船に乗せてもらったんです。海に出ると、経験したことがないほど美しい景色が迎えてくれました。視界には、海と空しか映らない世界です。太陽の光を受けた水面は、踊るように揺らめきながら輝きを放っていました。あの光景を絵で表現することはできないけれど、どうにか伝えたいなと思って、最初の見開きのページを描きました。

 漁に出るお父さんの船をお母さんと子どもが見送る場面も、唐桑に取材に行ったときの経験から描きました。漁を終えて港に戻る帰り道、船着き場で私たちの帰りを待ちながら海を見ている家族の姿を小さく見つけました。そのとき、漁師さんが話してくれたんです。「漁師は、農家の人が毎日畑に行くのと同じように、毎日海に出る。何十年も海に出て、どんなに海を知り尽くしてると思っていても、やっぱり陸地が見えてきた瞬間が、自分も家族も一番安心するんだ」と。その言葉がとても印象に残っていたので、無事を願いながら、船出を見送る家族のシーンを冒頭に入れました。

―― とりわけドラマチックなのが、中盤の、おじいさんの半生が描かれたシーン。漁師をしていた若い頃、海で出会った女性と結婚し、遠洋漁業で長い間家を空け、戻ると赤ちゃんが生まれていて……という回想が、テキストなしのコマ割りで描かれています。どんな思いを込めましたか。

 この場面は、亡くなった伯父のことを描きました。伯父は船乗りをしていたんですが、私が小学生のとき、くも膜下出血で船に乗れなくなってしまったんです。その後、半身不随になった伯父を残し、奥さんと子どもが家を出て行ってしまいました。でも当時の私には、何もできなかった。そのことがずっと心に引っかかっていたんです。

 その後悔を昇華するように、初めて絵本の形として作ったのが、伯父を主人公にした船乗りのお話でした。『なみのいちにち』の回想シーンも、そのお話があったからこそ描くことができたのだと思います。この場面を作るにあたって、生前の伯父について親戚や漁師仲間に話を伺って、いろんな角度から断片的に伯父の姿を知っていくことができました。中学卒業後すぐに働きに出て、家族を養っていたこと。妹である私の母が大学に行くお金を、弟とともに海に出て工面してくれたこと。伯父の家の古いガラス棚には、船乗りをしていたときに家族のために買ってきた世界各国のお土産物が並んでいました。きっと伯父は自分の家庭を持ってからも、自分の帰りを待つ家族のことを思いながら、仕事に励んでいたんだろうなと思います。

『なみのいちにち』(ほるぷ出版)より

 回想シーンには、気仙沼の伝統行事「出船送り」も描いています。出船送りでは、家族や関係者が船出する漁師さんの安全と大漁を祈願しながら、大漁旗や色とりどりのテープで華々しく出航を見送ります。お互いのことを思い、思われながら海へと出ていくこの光景は、ぜひ入れたいと思って描きました。

海と一緒に生きていく

―― 夜の海では、おばけたちがダンスパーティを楽しみます。どのような意図で描かれたのですか。

 気仙沼は、昔から大きな津波に何度も見舞われてきた地域です。小学校に入ると、防災教育の一環として、「大地震が起こって津波が町を襲う」という内容のアニメを飽きるほど見せられました。おかげで「津波が起きたら高台へ逃げる」という鉄則は、幼心にしっかりと刻まれました。それほどたびたび大きな津波が発生してきた地域なのに、なぜこの町で暮らすことを選ぶのか、地元の方々に話を伺ってみると、答えは単純に「海が好きだから」。そう語る皆さんは、この場所が昔から海の恩恵を受けて発展してきた場所だということを、よく知っています。

 気仙沼は、そのように海に敬意と畏怖と愛情を持って、海とともに生きる道を選んだ方たちによって作られてきた町です。地元の方々の話を聞いていく中で、ここで亡くなられた方たちは海が好きな気持ちを変わらず持っていて、姿が見えなくなってもこんな風に集まって、慣れ親しんだ海と戯れているんじゃないかなと、そんな気持ちでこのシーンを描きました。

『なみのいちにち』(ほるぷ出版)より

―― どの時間帯の海もとても美しく、ずっと眺めていたくなります。

 制作中は、子どもの頃から慣れ親しんだ日門海岸をイメージして描いていました。ずっと海のシーンが続くので、一辺倒にならないよう、波の表情や空の色、雲の形を時間ごとに変えるなど、工夫しています。ところどころに海辺の生き物たちも入れて、子どもたちが見たときに「あ、ここにカニが!」など、いろんな発見ができるようにしました。

 この絵本を描いている間は、何が何でも描き上げなければ、という使命感にかられて、作品に生かされているような感覚がありました。自分にとってもとても大切な一冊になったと感じています。

 年齢を重ねるごとに海を捉える視点も変化しているので、今後は今とはまた違った海との関わり方ができるんじゃないかなと思っています。いつかまた海をモチーフに絵本を作るかもしれません。これからどんな絵本を作っていけるのか、自分自身、楽しみにしています。