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ノーベル賞作家が手がけた読む博物館としての小説「無垢の博物館」 小澤英実が薦める新刊文庫3点

小澤英実が薦める文庫この新刊!

  1. 『無垢(むく)の博物館』(上・下) オルハン・パムク著 宮下遼訳 ハヤカワepi文庫 各1408円
  2. 『本物の読書家』 乗代雄介著 講談社文庫 748円
  3. 『オブジェクタム/如何様(イカサマ)』 高山羽根子著 朝日文庫 913円

 千ページを超す大長編もむべなるかな、(1)はひとりの女性に生涯を捧げ、数奇な運命を辿(たど)った男の妄念的な愛の記録である。トルコの近現代史を後景に、イスタンブルの時空間を定点観測で閉じ込めた、まさに読む博物館としての小説だ。男の愛は独善的で身勝手だが、その崇拝の対象に節度をもって献身する純粋さはまぎれもない。一方、女性の自由が制限されたトルコでは、女の境遇は籠の中の鳥そのものだ。男の異常な愛情は、だが人を愛することと、ものを愛することにどれほどの違いがあるのか、愛することの本質を考えさせる。主人公の回想を著者が小説化するという設定のひねりも効いている。

 若く美しい女性への愛慕というテーマは、古今の文学史に残るさまざまな傑作を生んできた。サリンジャーや川端康成らの作品や作家論をちりばめつつ、読むことと書くことの関係をどこまでも真摯(しんし)に探求していく(2)は、男性にとってそれがいやおうなく男性性と向き合うことだと誠実に伝える。いまこの時代に文学を読むことの覚悟と矜持(きょうじ)がみなぎる一冊だ。

 (3)もまた、創作表現が人間にもたらすかけがえのない効用に目を開かせる。町中に突如貼られはじめた、作者不明の壁新聞。出征後、まるで別人の姿となって戻ってきた絵描きの男。謎のヴェールの奥から創作物の真贋(しんがん)を問う高山の物語は、表から見るか裏から見るかでまったく異なる絵が現れるだまし絵のように、日常がありふれて見えることの罠(わな)を炙(あぶ)り出す。=朝日新聞2022年9月24日掲載