- 『芭蕉はがまんできない おくのほそ道随行記』 関口尚著 集英社文庫 1056円
- 『本売る日々』 青山文平著 文春文庫 825円
- 『戦国大名の外交』 丸島和洋著 講談社学術文庫 1870円
「文字とコミュニケーション」をテーマに選書。(1)は、東国の歌枕をめぐる俳諧師松尾芭蕉の旅を、随行する弟子曾良が語る。真面目な自分を「凡愚」と評する曾良から見る師匠は俳諧の求道者、「化け物」だ。推敲(すいこう)をかさね一字一語の手直しで芭蕉の句が一変する場面には、読者も興奮を禁じ得ない。師を尊敬しつつ曾良は、旅日記の演出のため自分との別れを師が画策しているのではという疑念を抱く。疑念が、有名な山中温泉の三吟につながる構成は見事。「おくのほそ道」と十七字をめぐる旅路を軽快な小説として現代に蘇(よみがえ)らせた著者に感謝する。
江戸時代、漢籍や国学書など教養書「物之本(もののほん)」を売る本屋「私」が語る(2)は、得意先である農村の名主たちから奇譚(きたん)を聞き取る。『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』といった「文字メディア」によって人は他者を解そうとし、交情の喜びを知る。終章、名医の診療の口訣(くけつ)集を開板(出版)し「私」は本を売る人から、文字メディアを通じ人々の知や思いを世に残す立場へと変化を遂げる。
戦国大名の意思を文書で伝達し外交役を担った「取次」に着目し、戦国大名の権力を論じた(3)の選書版は、2013年刊行時話題となった。本書は大幅な補注と、取次が大きな失敗を招いた武田・徳川間の同盟と破綻(はたん)、本能寺の変、小田原攻めを補論に加え十年余の最新研究の総まくりとなる労作だ。文書史料は時代背景を含めた多面的知識とセットで理解すべきとの著者のあとがきは、一字一語のエビデンスを求め視野狭窄(きょうさく)になりがちな評者含む一般読者にも向けられている。=朝日新聞2025年6月14日掲載
