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「犠牲者意識ナショナリズム」 各国の歪んだ自意識と向き合う 朝日新聞書評から

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2022年10月15日
犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える「記憶」の戦争 著者:イム・ジヒョン 出版社:東洋経済新報社 ジャンル:社会思想・政治思想

ISBN: 9784492212523
発売⽇: 2022/07/22
サイズ: 20cm/529p

「犠牲者意識ナショナリズム」 [著]林志弦

 「犠牲者意識ナショナリズム」とは著者の造語で、自分の国の一体性や正当性を主張するために、自分たちの英雄的な行動ではなく、他国から受けた被害を過剰に強調し、自分たちの加害を過剰に小さく見せようとする態度のことをいう。
 慰安婦問題が欧州の女性に対する犯罪の記憶を呼び起こしたり、ホロコーストの記憶とイスラエルによるパレスチナでの暴力の記憶が重ねられたりする記憶のグローバル化を背景に、ポーランド、ドイツ、イスラエル、日本、韓国、旧ユーゴなどの犠牲者意識ナショナリズムを縦横無尽に論じる快著の翻訳を寿(ことほ)ぎたい。
 私が初めて著者の報告で犠牲者意識ナショナリズムという言葉を聞いたとき、なんて恐ろしい概念だと驚愕(きょうがく)したことを覚えている。維新後に欧米の脅威にさらされ、戦後は中韓の「反日」に攻撃された日本、「唯一の被爆国である日本」という犠牲の物語に引きこもり、南京虐殺やシンガポールでの華僑虐殺の過去に目を閉ざす日本の態度をこの概念で批判するのと同時に、戦時の悪の全てを日本に押し付けることで、日本の支配を支えていた朝鮮人や日本の捕虜収容所で英国人を虐待していた朝鮮人の存在を忘却しようとする韓国への批判も強烈である。
 過去の克服の優等生と見なされがちなドイツにも容赦しない。戦争末期に東欧から追放された被追放民の痛みをナチスの犯罪よりも強調して統一ドイツの象徴にし、つい最近まで旧植民地での犯罪に目を閉ざしてきた態度を批判する。
 ホロコーストを含む否定論の分析も精緻(せいち)だが、ホロコーストを全てドイツのせいにして自国人の積極的なユダヤ人虐殺への関与に目を閉ざすポーランドへのまなざしもとても厳しい。
 また、かつてガス室で殺されたユダヤ人を弱い存在として忌避してきたイスラエルは、次第にナチスの悪を地球上の他の全ての犯罪との比較を拒む絶対悪に仕立て上げる過程で、中東での覇権的振る舞いを、ホロコースト再来を防ぐという論理を用いて正当化した。
 さらに、自国の隣国への加害を訴える良心的な研究が、隣国の犠牲者意識ナショナリズムと意図せざる共犯関係を結ぶとの指摘も見逃すことができない。
 各国の歪(ゆが)んだ自意識と超然と冷静に向き合う著者は、犠牲者意識ナショナリズムを犠牲にすることでしか記憶の連帯は生まれないと主張する。特に歴史研究者を目指す若手や、外交や歴史教育を担当する政府の関係者には、記憶の戦争が吹き荒れる時代だけに、じっくり本書と取り組むことを勧めたい。
    ◇
イム・ジヒョン 1959年生まれ。韓国・西江大教授。専門はポーランド近現代史、トランスナショナル・ヒストリー。グローバル・ヒストリーという観点から自国中心の歴史を批判してきた。