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阿泉来堂さんの執筆の戦友だった天野月子さんの歌声

©Getty Images

 前回のコラムで、僕が何事にもミーハーで優柔不断だということを書いた。音楽の分野に関しても、その傾向は顕著に現れており、流行りのJ-POPから歌謡曲、ロック、ジャズ、インストゥルメンタル、クラシックも少々。映画やゲームのサントラも嗜む。洋楽はカントリーミュージックからデスメタル、80年代ディスコミュージックなど手当たり次第に手を伸ばし、ヒップホップが流行れば有名どころをチェックし、韓流アイドルに胸を躍らせる。そんな広く浅くの精神で、僕は様々な音楽の表面をさらりと撫でるように聴きかじっている。それらのいずれにおいてもナンバーワンなど決められないし、許されるならすべてがナンバーワンだと言いたい。
 しかしながら、そんなことを言っていてはこのコラムも成立しないので、ここはひとつホラー作家としての僕が最も影響を受けた音楽を紹介することにする。

 小学生の頃から、誰に勧められたわけでもないのにホラーゲームに興じていた僕は、わざわざ部屋を暗くして、かりそめの恐怖体験を楽しんでいた。だがそんな僕でも、高校生の時に同じクラスのS木くんが貸してくれた「零~紅い蝶~」というゲームソフトには、並々ならぬ恐怖を抱かされることになる。
 「零~紅い蝶~」は、双子の姉妹、天倉澪と繭が紅い蝶に誘われるように山奥の村へと迷い込み、そこに現れる怨霊を「射影機」と呼ばれるカメラで撮影し、退治していく物語。
 双子の少女を操作し、暗く冷たい純和風の建築物の中を探索していると、小さな物音にも怯え、暗闇からじっとこちらを見つめる霊の視線を終始味わうことになる。そんな血も凍るような恐怖と緊張感を常に強いられるのだから、セーブポイントに辿り着くたびに疲れを実感し、溜息をつかずにはいられなかった。
 そんな「零~赤い蝶~」をどうにかこうにかクリアした際に、エンディングで流れる曲が天野月子さん(現在は「天野月」として活動)の「蝶」だった。
 その曲を初めて耳にした時、当時の僕はそれまで感じていた恐怖をすっかり忘れ、呆けたように聞き入ってしまった。静かな旋律と共に囁くような声で始まる歌いだし。ゆるやかな盛り上がりを見せ、サビで一気に激しさを見せる鋭い緩急。そしてまたやさしく耳元でささやくようなメロディへと転じていく一連の流れはまさに幻想的で、唯一無二の高揚感を与えてくれる。どこまでも綺麗で、儚く、そして一抹の不安を孕みながらも涙を誘う歌詞も相まって、「零~紅い蝶~」の世界観をこれでもかとばかりに表現してみせたその楽曲は、ゲームの物語性と共に僕を容赦なく打ちのめし、二度と忘れられない記憶として強く刻まれることになった。

「零」はその後もシリーズ作品が制作され、その都度、天野さんの楽曲が主題歌として起用されている。
 プレイするのがあまりにも恐ろしく、中にはエンディングまでたどり着けずに中断したままの作品もあるが、それでも僕は天野さんの楽曲を漏らさずチェックしていた。どの曲もこの場では語りつくせない程の魅力と魔力を兼ね備えた繊細かつダイナミックな曲ばかりで、特に「鳥籠-in this cage-」がお気に入りだ。
 「零」のストーリーは愛憎や裏切り、憎しみ、怨みといった負のオーラを前面に出したものばかりである。しかしながら、その根幹部分には誰かを求めながらも、受け入れられぬが故の悲しみだったり、愛する人を思い続ける一途な気持ちであったり、決して結ばれない相手との儚き恋であったりする。天野さんの歌声はこれらの感情が持つ苦しみや切なさ、そして刹那的な儚さを全て含んだ絶妙な美しさがある。
 そういった「人の感情の吹き溜まり」こそが、僕が執筆するうえで最も大切にしたいものの一つでもあった。
 余談だが、ゲームのタイアップのみならず、「月」「龍」「ウタカタ」「花冠」など、天野サウンドにはどこか懐かしく、それでいて息苦しくなるような切なさを感じさせる素晴らしい楽曲が山のようにある。飽き性で何事も長続きしない僕だけれど、天野さんの楽曲には折に触れ聴きたくなる中毒性があるようだ。しばらく聞いていなかったはずなのに、ある時突然、発作的に聴きたくてたまらなくなり、連日連夜、貪るように聞き入ってしまう。この欲求の波を僕は「天野ウェーブ」と呼んでいる。
 執筆中はなるべく人の声が入っていない方が集中できるので、映画やゲームのサントラをかけることが多いけれど、天野さんの曲だけはどういうわけか妨げにならず、むしろ重要なインスピレーションをいくつも与えてくれた。デビュー作を執筆している時も、まさにこの「天野ウェーブ」が到来していて、何度も聴き返しながら原稿を仕上げた。
 常に孤独を強いられる執筆活動の中で唯一、戦友と呼べるものがあるとしたら、僕は迷わず天野さんの楽曲を挙げるだろう。それほどに、僕は自らが創造する物語の世界と天野さんの楽曲が醸し出す夢のような旋律にシンパシーを感じている。そして、その勝手な思い込みによって、僕は計り知れない力を得て、新たな物語を紡いでいくことが出来るのだ。
 これから先も、「感情の吹き溜まり」を強く感じさせる作品を書くため、ここ一番という時には天野サウンドを聴いて自らを奮い立たせていきたい。