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「わかりあえない」人とどうつきあうか 平田オリザさん「学びのきほん ともに生きるための演劇」

※「ワテラスブックフェス」は、一般社団法人淡路エリアマネジメントが主催する本のイベントです。東京・神田淡路町の大規模複合施設「WATERRAS(ワテラス)」では、毎年、多様な本の作者をお招きしたトークイベントを実施しています。

 平田オリザさんは、日常的な話し言葉を用いた「現代口語演劇」を提唱し、日本の現代演劇に大きな影響を与えました。日本語の特性やコミュニケーションのあり方を徹底的に分析してきた平田さんの方法論は、教育の現場にも生かされています。また、兵庫県豊岡市に移住し、芸術文化観光専門職大学学長を務め、地域活性化の観点でも注目を集めています。平田さんとのトークに参加するのは、ワテラススチューデントハウスに在籍し、淡路エリアマネジメントの学生会員として、子どもや高齢者との福祉交流、神田や御茶ノ水周辺で行われるイベントの運営などの活動をしている大学生2人。明治大学で経営や地域活性化について学ぶ永井里歩さんと、東京大学で都市計画を専攻する中川真輝さんです。

トークの動画はこちら

多文化共生社会 理解するだけでなく楽しい人生を

永井:『学びのきほん ともに生きるための演劇』について、少しだけ内容をご紹介していただいてもよろしいですか。

平田: 題名の通り、共に生きるために演劇が必要だということが書かれています。共に生きるということは、異なる価値観、異なる文化的な背景を持った人々と一緒に生きるということだと思うんですね。
 今、日本には日本文化を自らのバックボーンとしない人が4%ぐらい住んでいると言われています。10~20年後には10%ぐらいになると思います。そうならなければ、(少子化で)日本は滅びてしまいますよね。高校生たちによく話すのは「君たちはあと60年ぐらい生きるよね。2世3世も含めると、少なくとも2割3割になっていくでしょう」と。
 例えば、私が住んでいる兵庫県の但馬地方は、過疎化が進んでいる地域です。沿岸部では、これから名物のカニ漁が始まるんですが、但馬の水産業はインドネシアの人がいないと成り立たないような状況になっています。
 但馬に限らずどんな地方でも、お隣にインドネシアの方がいようが、アメリカの方がいようが全く違和感がない時代です。その方たちとは、隣人としてゴミの出し方とかについて相談しなきゃいけない。
 これからの60年間で「どうせわからないだろう」と諦める人生と、「面白いね。ちょっと今までとやり方は違うけど、変えてみようか」と楽しめる人生と、高校生たちにどちらがいいか聞くと、みんな「楽しんだ方がいいです」と言います。
 他者の文化をただ理解するだけではなく、楽しんで自らの人生を構築するために演劇というツールが有効なんじゃないか、と僕は考えています。

中川: 私自身、コミュニケーションはどうやったら楽しくできるんだろうと考えて実践していたこともあって、平田さんのご本は楽しく読めました。ただ、なぜ演劇である必要があるのかというのは、すごく聞いてみたいと思っています。

永井:私は中学生時代に演劇部だったんです。本の中で、演劇を教育に取り入れることを提案しているのを見て、そういう方向性もあるんだなと、新たな気づきになりました。確かに演劇は自分ではない何かになれるし、その中で多文化理解につながったり多様性を認めたりすることができるので、演劇教育は素晴らしいんじゃないかなと思いました。

私が社会に合わせるのではなく、社会を私に合わせる

中川:なぜ演劇からコミュニケーションを探ろうと思うに至ったのか、どんな人生経験からきているのか、きっかけを聞いてみたいです。

平田: 「なぜ演劇なのか」は簡単で、僕が演劇をやっているからです。もう少し詳しく言えば、特に海外で仕事をするようになって、日本でだけ極端に演劇の社会的な地位が低いことを知りました。自分の仕事なのでやっぱり悔しいですよね。他の国ではもうちょっと大事にされてるのに、という感じがある。
 他の先進国では、少なくとも高校の選択科目に演劇があるんです。音楽や美術の先生がいるのと同じように、演劇の先生がいる。だから国立大学にも演劇学部がある、というサイクルがあるんですけど、日本にはないわけですね。韓国、シンガポールや台湾など、演劇のカリキュラムを持つ国・地域は非常に多い。なので、日本はアジアの先進国の中でも後れをとってしまっているというのが、日本の教育に演劇を取り入れようとした具体的な動機ですね。

(大学生からの質問に答える平田オリザさん)

平田:僕が学生だった1980年代は小劇場ブームで、大学で演劇を始めて、そのままズルズルと就職もせずに続けてしまった。始めた理由はたいしたものではないんです。
 ただ、やっていくうちに、新しい方法論を発見して、それを俳優に理解してもらわなければいけないので、劇団員向けにワークショップを始めました。しだいにそのワークショップが高校生などにも非常に有効だとわかってきて、教育の世界に呼ばれるようになったんですね。だから、教育のことに関しては自分でやりたくてやったことは1回もないんです。人間なので、人に喜んでもらえればやります。だけど、やりたいのはあくまで演劇です。
 もう一つは、80年代後半から始めた僕の演劇は「現代口語演劇」という、普通に喋る、ボソボソ喋るもので、当時はすごくマイナーだったんですね。これをずっとやっていても、絶対食えない。だから、この演劇がみんなに伝わるような社会に変えていかないといけないと思ったんです。私が社会に合わせるか、社会が私に合わせるかしかない。じゃあ社会が私に合わせてもらわないといけないと思ったので、そうしました。
 非常にエゴイスティックで、ちっとも共に生きてないじゃないかっていうことですね(会場笑)。

他者を演じることから生まれる多文化理解

 会場参加者からの質問:いま、ウクライナでの戦争や米国のトランプ前大統領、ブラジルの大統領選挙、日本でも国葬をめぐる問題などがあって、分断社会と言われています。平田さんはご本の中で、こうした時代には「シンパシー」よりも「エンパシー」が大切だとおっしゃっていました。国際的な問題でも、日本の問題でも、エンパシーはさらに重要になっていくと思いますが、そのあたりのことを少し詳しくお聞かせいただけないでしょうか。

平田:シンパシーというのは、かわいそうな人がいたときに「かわいそうだな」と心から思う感情のことです。この感情も大事ですが、エンパシーは、異なる価値観、文化的な背景を持った人の言動などを理解しようとする態度や技術を指します。
 例えば、2021年1月にトランプ前大統領の支持者たちが国会議事堂に乱入しました。最近では下院議長の自宅にまで押しかけるということもあった。私たちは、あの乱暴者たちにはまったく同意できないけれども、トランプ大統領に投票した7000万人、そして熱心に支持している白人貧困層の悲しみや寂しさについては理解しようと努めなければならない。「おれはそうしないけど、きみがなぜそう言うかはわかるよ」ということですね。
 この2年半、演劇界はコロナ禍で大変な打撃を受けました。特に最初の頃は「不要不急」と言われました。命は大事に決まっています。でも命の次に大事なものは一人一人違いますよね。音楽で人生を救われた方も、演劇を見て勇気をもらった人もいると思うんです。もちろん子どもや友達など、命の次に大切なものは一人一人違う。その違いを理解するのがエンパシーなんですね。
 エンパシーを培うには、演劇は非常に有効なツールです。他者を演じることによって、「なぜこの人はこんなこと言ったのかな」とか、「おれならこういうふうに言うのに」という一種の違和感が生じる。そこから他者理解が始まるというのが、特にヨーロッパの先端的な教育の基本的な考え方です。だから、他者理解や多文化共生型の教育には演劇が有効なんですね。
 芸術というのは他者の人生に触れることです。だからエンパシーを育てるんですが、エンパシーの弱い人には芸術が届きにくいというジレンマがあって、これを乗り越えないといけない。だからこそ、公教育の中に演劇を入れたいということです。
 豊岡市は市内34の公立小・中学校すべてで、演劇教育を導入して7年になります。アンケートで、話し合いが得意とか好きという回答は、全国で16~17ポイント、豊岡では22ポイントぐらい上がっている。中学生で話し合いが好きという生徒が8割以上いる。確実に成果は上がっています。
 僕の推測では、演劇教育の成果だけではなく、教員の意識改革も含めて出た結果です。演劇教育によって教員の意識が変わって、いろんな授業をアクティブラーニング化しているので、大きく変わっているということですね。

(『学びのきほん ともに生きるための演劇』著者の平田オリザさん、大学生の永井里歩さん、中川真輝さん)

エンパシーの寂しさに耐えてこそ、分断を超えられる

中川:お話して、質問をいろいろぶつけさせていただく中で、自分の中で平田さんに対する理解、エンパシーみたいなものが、かなりできたんじゃないかと思っています。個人的には、「社会が私に合わせる」という話については、ちょっと「ん?」と思ったところがありましたが、平田さんの本を読んだり、自分でも考えてみたりして、何がこの時代に本当に求められているのか、勉強してみようと思っています。

平田: 私は、アーティストで作家なのですが、時々「毒」を入れないとそのことを忘れられてしまって、町づくりのおじさんとか、人口減少政策に詳しい人、みたいに言われたりするんですよ。そういうアーティストが日本にいないので、頼まれれば話をするんですが、基本的にはエゴイスティックなアーティストなんです。
 ブレヒト(1898~1956)という有名なドイツの劇作家・演出家がいます。「異化効果」を提唱した人ですね。それまでの演劇では、観客が主人公に同化する、感情移入するのがいいと言われてたんですが、それはよくないのではないか、観客はもっと客観的に演劇を見るべきではないかと提唱しました。例えば、それまで相手役と話していた俳優がいきなり客席のほうを向いて、「どう思いますか?皆さん」などと問いかける。いまでこそ、そんな演劇はいくらでもありますが、それを初めてやったのがブレヒトという人なんです。
 時々毒を入れるのは、異化効果のテクニックです。私にぜんぶ共感、つまりシンパシーの方の同化をしてもらっては困るんです。ちょっと考えていただかないといけない。本当かなとか、ちょっと怪しいなとか、そこはわかったけどここは同意できないなとか。それがとても大事なことなんです。
 こんなことを言っているから、僕のお芝居にはお客さんが増えないんですけどね(会場笑)。同化して一体感を持った演劇のほうがお客さんは増えるんです。でも、僕は客席が一体化するのがとても嫌で気持ち悪い。僕の作品を見て、いろんな感想を持って帰ってもらうことが大事だと思っている。それがエンパシーなんですね。
 エンパシーは、寂しいことなんです。一体になった方がたぶん楽ですよね。でも、その寂しさに耐えて、寂しさを超えて、異なる価値観を持った人がどうにかして繋がっていく社会を作っていかないと、一体になれなかった人を排除してしまうんです。分断というのはそういうことでしょう?
 そこを我慢できるかどうかの正念場に、いま日本は来ているということなんです。自分のことをわかってくれる人とだけ付き合うのか、わかってくれない人ともどうにかして繋がるのか。これが日本、そして世界のコミュニケーションに関わる大きな分水嶺になります。

 動画本編では、記事中で紹介しきれなかったトークが楽しめます。大学生の質問に応じて、平田さんが地方移住の可能性や教育現場の問題点を語ります。会場参加者からの質問にも答えます。