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歴史・時代小説を書く愉しみは 羽鳥好之・東郷隆対談

羽鳥好之さん(左)の話を聞く東郷隆さん

城を巡り、歴史を体感

――羽鳥さんは直木賞選考会の司会も務め、エンターテインメント小説の世界で多くの作家に愛される編集者です。昨年、日経小説大賞の最終候補に選ばれたときは、親交のある東郷さんを含め多くの作家や編集者が驚きました。

東郷隆(以下:東郷)編集者が作家になるのは珍しいことではないけど、ねえ……。
羽鳥好之(以下:羽鳥)監査役になって時間に余裕ができるまでは、小説を書こうと思ったことはありませんでした。仕事といえば、役員会に出席して、その議事に関して社長と合意をすれば、ほぼ終わり。あとは、お世話になった作家・山崎豊子さんの『大地の子』のコミック化や、広告関連で、作家に出演の依頼をしてというくらいで……。それまでずっと忙しくしてきたので、ちょっとぼんやりしてしまって。このままじゃあいけない、精神の緊張をどうやって保つかと考えたときに、初めて切実に小説を書いてみたいと思ったんです。
東郷:たしかに一緒に城巡りをしていたころは、歴史好きではあっても、小説を書いているような雰囲気はなかったなあ。
羽鳥:東郷さんと2人で歩きながら聞いた話は、自分の血肉になっている気がします。埼玉県にある忍城を訪れたときは40度近い猛暑日で、石田三成が水攻めのために築いた石田堤を歩きながら、堤の構造や甲斐姫のことを教えてもらった。よく覚えています。
東郷:異様な大きさでしょ。あれを作るために大量の銭が持ち込まれ、貨幣経済の文化が関東にも伝わったという側面もあります。あのあたりは古墳が多くて、石田三成が陣を張ったのも丸墓山という古墳の上だったんですよ。
羽鳥:石田堤を見渡しながら、東郷さんが「三成は水攻めを成功させる自信があるからこそ立てた計画だったけれど、失敗したんだよ」とおっしゃったのを聞いて、関東平野という広さの感覚が、当時の西国人にはなかったということに気づきました。

見つけ、味わう史料の深み

――東郷さんから口伝のように歴史小説の本質を学べたのですね。今回の小説ではなぜ立花宗茂を選ばれたのですか?

羽鳥:もともと好きな戦国武将だったんです。しかも、宗茂のお墓のある下谷広徳寺が関東大震災をきっかけに私の家のそばの練馬に移転していたので、よく参拝していました。亡くなった葉室麟さんが『無双の花』で宗茂の半生を描いたときに、講演に同行して、柳川(福岡県)を訪れました。歓待していただいた上に、宗茂研究の第一人者である九州大学の中野等教授の話を聞いたり、立花資料館で貴重な資料をいただいたりしてたんです。
東郷:柳川には白秋祭の時に一緒に行きましたね。
羽鳥:あの時も立花家の方にお招きをいただきました。いただいた資料は本棚に突っ込んだままにしてあったのですが、改めて目を通してみると、宗茂は晩年、徳川秀忠からも徳川家光からも愛されていたという記述があって、そうか、この時期のことはまだ誰も書いてないじゃないかと思ったんです。でも、幕府の資料に当たってゆくと、実際には将軍のお供をして、能を観たりお茶を楽しんだりする日々なんですよね。編集者の目からすると、それでは地味過ぎる。なら、家光から関ケ原の合戦について、考えを話せと求められる設定にすれば、歴史ファンに関心の高いテーマを扱うことができる。では、家光がご下問する何か特別な事情、必然性を設定する必要があるな、さてどうしようかと、構想を進めてゆきました。
東郷:史実をうまく生かしていて、面白かったですよ。
羽鳥:ありがとうございます。実際に小説を書き出してみると、まず宗茂が江戸のどこに住んでいたか、屋敷がどこにあったのかさえ、すぐには分からなくて困惑しました。自分で書き始めてみて、改めて東郷さんの博識ぶりを実感しました。
東郷:いや、事細かに知っているわけではなくて、探し方を知っているだけなんですよ。
羽鳥:たしかに、ネット時代だからこそ、探し方が大切ですね。屋敷探しでも、たくさんある文化文政期以降の江戸の地図では役に立たない。さんざん探していたら歴史学者の山本博文さんの本のなかにヒントがあって、最終的には国会図書館でデジタル化されている史料にたどり着いた。わかってみれば簡単なんだけれど、そこにたどり着くまで、その1行を書くまでにすごく時間がかかりました。ほかにも、家光に特別に呼ばれたら、何時ころに、どんな格好して、供を何人つれて、どの門から入るのかさえ、よくわからない。どの史料にもそんなことは書いてなくて、ここまで調べてわからないのなら、推測するしかないなあと思い切れるまで、やっぱり時間がかかりました。東郷さんみたいな博識の先達に、あり得ないって言われたら、もうおしまいだなという緊張感がありましたから。
東郷:大丈夫ですよ。昔、大阪でタクシーに乗っていたとき、司馬遼太郎さんの短編時代小説「泥棒名人」のラジオドラマが流れていて、あまりに面白くて聴き入っていたら、運転手さんが「メーター止めますから一緒に聞きましょうか」と言ってくれたことがありました。藤田まことさんだったと思いますが、その口調がよくて感動したんですが、江戸期、享保の末年の大坂が舞台なのに泥棒がその女房の前でちゃぶ台をひっくり返す場面が出てきて、ぎょっとしました。当時は箱膳で、一般に普及するのは明治・大正時代になってからなんですよ。司馬さんでさえ誤りがあるのですから。
羽鳥:そういう話を聞くと、ちょっと気が楽になりますね。2章では江戸から鎌倉への旅を書きました。ここも史料探しで苦労したところです。どんなルートで行くのかと、これも楽しみながら探していったら、最終的には「沢庵和尚鎌倉巡礼記」にたどりつきました。何日に出発して、どこに寄って、どこに泊まってという鎌倉への旅を、この時期に沢庵が書き残していました。
東郷:江戸初期から明治ぐらいまで、江戸から鎌倉へは同じようなルートだと思うんですよ。いまも鎌倉道として名前が残っている道路もあるし、だいたい今の横須賀線と重なりますね。私の場合は、元治元年にイギリス人士官2人が武士に殺害された鎌倉事件の記録から、横浜から鎌倉までの道を推定していました。外国人殺害に関する研究は進んでいて、途中にある茶店などの記述もあります。
羽鳥:史料を探すのは大変だけれど、苦労していると、いつかたどり着くんですよね。何かに導かれるみたいなところがあって。それを探し当てたときの喜びがありますね。仕事の空いた時間に会社の資料室で「御実紀(徳川実紀)」とかを眺めていたら、あまりに面白くて驚きました。
東郷:当時広まっていた噂も書かれていて、退屈しませんね。
羽鳥:江戸幕府の公式記録なのに、語り伝えるところによれば、みたいな補記がつく。ある大名の死が伝えられると、その大名のエピソードが紹介され、さらには執筆者の感想まで書かれていることがあるんです。この小説にも描いたのですが、家光が諸大名を集め、秀忠が死んだことを伝える時の記述なんて、伊達政宗という男、さすがに役者だなあと、読んでいて感心させられます。おそらく江戸の人たちの間では、庶民も含めて、伊達人気が高かったんだと思うんですよね。

書けば書くほど発想が自由になる

――『尚、赫々たれ』は、端正な文章とも評されました。

羽鳥:小説はゆきつくところ、文章だと思っているんです。歴史小説の場合は特に、どんな文体にするかが大きな問題となります。子供の頃から親しんできたのは文語調の歴史小説文体でしたが、あまりに文語調が過ぎると、今の読者には物語に入りにくくなってしまう。どこまで現代調にするのか、そのバランスが本当に難しかったですね。若い作家の方が、新しい歴史小説の文体に挑んで、若い読者を広げているのはすごいことだと思っていますし、でも一方で、歴史小説が培ってきた美しい日本語の伝統も、大事に継承してゆきたいという気持ちがあります。
東郷:直木賞候補になった『洛中の露』を雑誌に連載していたときは、もっと柔らかくしろとさんざん言われました。でも今は出版も多様化していく時代だから、擬古文のような文章が好きな人、バランスをとって読みやすくした文章が好きな人、わかりやすい文章が好きな人と、それぞれを好む読者に応えていく、いろいろなタイプの作家がいていいと思います。
羽鳥:米澤穂信さんの『黒牢城』を読んだとき、よくぞ伝統的な歴史小説の文体に習熟されたなと驚きました。米澤さんには多くの若い読者がいるから、あの作品をきっかけにかえってこうした伝統的な歴史小説を読む人が増えてくれるのではと期待しています。さきほどお話に出た東郷さんの『洛中の露』などは、簡潔にして強靭、見事な歴史小説文体です。
東郷:当時は、説明がないからいけないって言われてたんですよ。もっと読者にわかるようにセリフも易しくしなさいと……。でもね、『洛中の露』を書くときは、私のなかにあったのは井伏鱒二の『鞆ノ津茶会記』でした。茶会記の形式をとっていて、そこで交わされた会話の備忘録のようなものです。私も現代人の人間観で歴史を見るのではなく、茶器などのようなモノから当時の社会をとらえようとしたのを覚えています。
羽鳥:40年以上描き続けてきた東郷さんを前にして言うのもおこがましいですが、調べれば調べるほど面白くなってきますね。書けば書くほど、どんどん発想も自由になっていく気がします。いま第2作も書いているところです。冒頭の部分を少し書いてみたのですが、物語のハイライトをどこに持っていっていいかってわからなくて……。
東郷:史料に基づく歴史小説を書く作家が増えるのは大歓迎です。
羽鳥:ありがとうございます。小説が出て、読んだ先輩編集者から「君はやっぱり女性を書くと筆がのるね」とからかわれました。あまり構えずに、マドンナも登場させて、小説の艶のようなものも大事にしたいと思っています。東郷さんの2月の新刊は18代の勘三郎さんも演じた法界坊が主人公ですね。楽しみにしています。