「黒人音楽史」書評 「奇想の精神」浮かび上がらせる
ISBN: 9784120055850
発売⽇: 2022/10/20
サイズ: 20cm/366p
「黒人音楽史」 [著]後藤護
タイトルにつられて本書の頁(ページ)をめくった読者は、面食らうかもしれない。目次とそこに詰め込まれた見出し(黒人の仮面術、害虫ブルース、泥んこ遊びとしてのジャズ、ラー刑務所、床屋と凸面鏡、蛇行・カオス・ポリフォニー、などなど)が蟻(あり)の行列のようにごった返す様子を眺めただけで、アメリカの黒人音楽をめぐる「通史」などでないことは明らかだからだ。
黒人霊歌からブルースへ、ジャズへ、ファンクへ、ヒップホップへと流れる時系列だけはかろうじて保たれている。とはいえ、こうした時の順列、つまり「歴史」は、著者が本書を通じて標榜(ひょうぼう)する「アフロ・マニエリスム」ならではの奇想や混沌(こんとん)、百花繚乱(りょうらん)、猥雑(わいざつ)や脅威ゆえの逸脱や氾濫(はんらん)が、図書の形式を破裂させてしまわないための、一種の器(キャビネット)と受け取るべきだろう。
だが、そもそもマニエリスムそのものが西洋美術史における様式概念で、そのような美意識こそが西洋の外部としての「黒人」を奴隷貿易の資源として扱ったのではなかったか。だが、その点で著者は確信犯だ。自分たちを人間ではなく物資として扱った美学の源泉が黒人音楽の歴史へと投影されるとき、そこに生まれるのは順列ではなく倒錯であり、様式ではなく迷宮である。そのような倒錯と迷宮からなる「驚異博物館(ヴンダーカンマー)」の根底に、過去と現在とを問わず流れる――あたかも一匹の大蛇のような――「奇想の精神史」を、著者は浮かび上がらそうとしている。
そのために召喚されるのが、花田清輝や三島由紀夫、澁澤龍彦や種村季弘、そして高山宏に至る批評的な象徴主義の系譜である。言い換えれば本書は、これまでモダニズム的な進歩主義(モダン・ジャズ!)に沿って腑(ふ)分けされてきた「黒人音楽」を、「その重力」を糧に逆に無重力的な「恩寵(おんちょう)」へといたらしめる「逆立ち」(シモーヌ・ヴェイユ)のための不穏な一冊でもある。
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ごとう・まもる 1988年生まれ。映画・音楽誌などに寄稿する「暗黒批評家」。著書に『ゴシック・カルチャー入門』。