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「親愛なるレニー」 巨匠へ宛てられた書簡に宿る愛 朝日新聞書評から

評者: 磯野真穂 / 朝⽇新聞掲載:2023年01月14日
親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語 著者: 出版社:アルテスパブリッシング ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784865592658
発売⽇: 2022/10/28
サイズ: 20cm/427,15p

「親愛なるレニー」 [著]吉原真里

 愛とは創造であり、創造とは対象に於(おい)て自己を見出(みいだ)すことである――。哲学者・三木清『人生論ノート』からの一節だ。
 世界的指揮者レナード・バーンスタイン(1918~90)に書簡を送り続けた2人の日本人。その書簡をめぐる本書には、三つの愛が描かれる。
 一つ目。それは47年から40年以上、手紙を送り続けたカズコの言葉の中に。
 「胸が裂けるような美しくて深いあなたのマーラー九番を聴いて、あまりの感動と興奮で眠れないので、演奏直後にあなたの楽屋で伝えたかった思いを、こうやってペンをとって書くことにしました」
 85年の大阪公演の際、カズコは、彼の楽屋を訪問する特権を持っていたが、終演後の心情を慮(おもんぱか)り手紙に胸の震えをそうしたためた。
 戦時下の国家主義的な教育にうんざりしていた10代のカズコ。そんな少女にバーンスタインは想像の翼を旋律で与えた。彼女はそこに自己を見出し、激動の戦後を駆け抜ける。愛は希望の源泉なのだ。
 二つ目。それはバーンスタインと激しい恋に落ち、その後、彼の仕事の一翼を担ったクニの言葉の中に。
 「この愛は痛々しいものとは違うかもしれません。以前の僕の、あまりにも真剣で情熱的な愛とは違うかもしれません。でも僕はいまでも空を仰ぎ、太陽に向かって両手を広げるのです」
 相手と一体化したい欲情。それは津波のように自らをのみ込む厄介な代物だ。しかしクニは、溺れるままでいることなく、彼との間に生まれた愛を足場に自らの人生を拓(ひら)く。愛はこんなにも人を成長させるのか。
 三つ目。それは著者吉原が、本書に注ぎ込む、狂気と紙一重の情熱の中に。
 2013年、米議会図書館に保存されたバーンスタインの資料から、吉原は2人の書簡を偶然発見する。それから9年後、本書は出版された(英語版19年)。
 何かのすれ違いがあれば、出版自体が不可能となるような内容だ。それを知りながら、何が著者を執筆に駆り立てたのか。
 きっと吉原は書簡の美しさに取り憑(つ)かれ、澄み切った渦に巻き込まれるように本書を書いたに違いない。
 閲覧数を狙い、匿名の誰か「たち」に向けた言葉が大量に去来する現代社会。でも、そんな言葉のどこに愛が宿ろうか。
 その人「だけ」に向け、ただ一心に投げられた言葉たち。そこに宿る愛は、「だけ」以外の「たち」にも届く。三つの愛に深い感謝を。
    ◇
よしはら・まり 1968年、米ニューヨーク生まれ。ハワイ大教授。専門は、アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究など。著書に『アメリカの大学院で成功する方法』『ドット・コム・ラヴァーズ』など。