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長塚節を通して見える「美」 熱帯病対策の専門家・山形洋一さんが6冊目の研究書

左:山形洋一さん 右:書影の立像は著者による水彩画

 長塚節(たかし)(1879~1915)の名を目にすることが、最近はずいぶん少なくなった。

 歌人で小説家。貧しい小作農の暮らしを克明に描いた小説『土』は明治末期に東京朝日新聞に連載され、代表作になった。本になるとき、夏目漱石が「苦しい読みものである。決しておもしろいから読めとはいいにくい」「余の娘が年ごろになって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのといいつのる時分になったら、余はぜひこの『土』を読ましたい」と、褒めているようないないような序文を寄せたことでも知られる。

 けれど昨今、書店で長塚の本を目にすることは難しい。そんななか、長塚にまつわる本をこつこつ出し続けている人がいる。

 山形洋一さん(76)。文芸評論家でも作家でもない。世界保健機関(WHO)や国際協力機構(JICA)の専門家として、アフリカや中米で熱帯病対策などに携わった研究者だ。

 タンザニアの日本語学校の棚に、旺文社文庫の『土』があったのが出会い。最初に出した『長塚節「土」の世界』(2010年、未知谷)は異色の一冊だ。物語に描かれた貧農の暮らしの細部が整理・分類され、明治期の農村の姿をさまざまな角度から浮かび上がらせる。

 「事実を集めて、関係ありそうなものをまとめていくうちに理論が見えてくる。僕は野外科学者。フィールドワークの手法を小説に適用したわけです」

 昨年7月に刊行された『長塚節「鍼(はり)の如(ごと)く」 旅する病歌人の滑稽と鄙(ひな)ぶり』(未知谷)が長塚本の6冊目。歌人としての代表作を、主に音韻の面から解析している。

 「長塚節には、近代の日本の詩歌が忘れた音楽的な感覚があった」と山形さん。音の側面から作品に迫ったのも、海外の仕事でネパール語やスペイン語、フランス語など、多くの言葉を操ってきた影響か。「そうだと思う。海外に赴任する際、歌や童謡が言葉を学ぶ最初の手がかりになる。その言語の世界を端的にとらえられるんです」

 10年以上にわたって続く、長塚の足跡をたどる長大なフィールドワークの旅。そこに駆りたてる原動力は何なのか。いちばん聞きたかったその問いに、「長塚節の目を通して見えるものの美しさ」だと山形さんは言った。

 「美を固定するために手段を選ばないのが長塚節だった」。目に映る素朴な美しさを表現するために、言葉の技術の限りを尽くした創作者。その魅力が山形さんをここまで連れてきた。

 今回の本で論じた「鍼の如く」は、長塚が結核で世を去る前に残した短歌連作。山形さん自身は、執筆中に急性骨髄性白血病と診断されたとあとがきに記している。放置すれば余命半年と言われたとも。「彼の気持ちがわかったとは言わない。でも、死にかけの俺だから見えたと思える事柄はあった」

 病との闘いは今も続く。「あと一つ、次の本を考えているんだよ」。学生たちが大学の論文で長塚を取り上げたくなるような材料をちりばめたいという。

 「長塚節を、なんとなく読まれなくなった、で終わらせちゃいけない」。フィールドワーカーの旅は、まだ続く。(柏崎歓)=朝日新聞2023年1月18日掲載