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小池正博さん「海亀のテント」インタビュー 現代川柳ブーム、過去の作品を知って新たな領域を切りひらいて欲しい

小池正博さん=撮影・有附明子

面白いからやり続けている

――まずは、川柳を始めたきっかけを教えてください。

 三十年くらい前の話なので、定かではないんですけど……。普通は、川柳を始めたのは何年何月、と分かっている人が多いんです。それは、「何年にどの結社に入って、それが川柳の初めです」ということなんだけど、私は曖昧なんです。連句を始めたのは1988年。川柳は1997年。連句の方がちょっと先ですね。田辺聖子の『川柳でんでん太鼓』(1985年/講談社)を単行本で読んで、近代川柳や現代川柳があるということが分かった。特にいいと思ったのが鶴彬と時実新子なんです。鶴彬はプロレタリア川柳、時実新子は私性川柳の代表的な作家。両極端ではあるけど、どちらも面白いなあと思った。

 その後は「番傘」という伝統的な川柳結社に入っている人が職場の同僚にいて、その人に句会に連れて行ってもらったり、新聞の柳壇にも投稿しましたね。以前は、川柳と関わっていくというのは、新聞の柳壇に投稿する、句会に参加する、結社に入って川柳界の内側の人になるというパターンだった。私もそういう段階は踏んでいるわけなんです。その後は同人誌を中心に、作品を発表していきました。

――川柳を作るときは、どんな風に作られますか? 例えば、単語から作るとか、情景から作るとか……。

 単語というより、フッと耳に入った言葉で作る時はあります。でも、絶対にこの言葉を使いたいという訳ではない。使いたい単語が先にあるという書き方もあるけれど、私はそうじゃない。たまたま思いついた言葉から作る時もある。そこは連句人でもあるから、前句があるわけです。川柳では題詠と雑詠(自由吟)がありますが、題詠の場合はもちろん題の連想から作ります。題は連句の前句と同じですね。

――前句があって、そこから連想した付句があるという。

 全部がそうじゃないけど、そういうこともある。見たものとか、読んだ文章とか、美術館の絵とか。だから、メッセージを伝えたいという気持ちは薄いです。生活者として伝えたいことはあるけれど、表現するときにこれを言っておきたいとか、社会を批判したいとかいう気持ちは強くない。なぜ川柳をやっているのかと聞かれたら、面白いから。

手渡したい「素晴らしい世界」

――『海亀のテント』について伺います。自然の中の句が多い印象です。

 吟行はよくするんですけど、今回は意識的に入れてみました。行った経験をそのまま書いてるわけじゃないけど。

水鳥の潜ったあとの叫び声
曇天だったね垂れ幕のテレパシー

――<猫の耳つけて構えるスナイパー>の、目線の動きが好きです。「猫の耳」が頭にあって、「構える」で下に行って、あっ、「スナイパー」だったんだ! という。

 それは私にしては珍しくアクチュアルな句で、アフガニスタンのイメージです。テロリストとかいるじゃないですか。ビルの上でスナイパーたちがいて、来た人を狙い撃ちするんだけど、冗談言ったりしながら人を殺している。だから、表現したいことはない、言葉だけだと言っても、やっぱりどこかにモチーフはあります。

――表題作の「海亀のテント」の下には、何があるのでしょうか。

海亀のテントめざして来てください

 句集の表紙は、海亀の甲羅がテントに見えるっていうイメージだと思うんだけど、そういうことでもない。テントの下にあるのはロマンとか、言葉とか……。甘い句ですよね。海亀のテントというのがあって、そこに来てほしいという。

――第一句集『水牛の余波』(邑書林、2011)、第二句集『転校生は蟻まみれ』(編集工房ノア、2016)、そして『海亀のテント』と、作風が変化しましたか?

 それぞれ刊行するまでに五年とか六年経っているわけだから、変化はあると思います。第一句集を出した後、第二句集を出すのが大変でした。第一句集とは全く違った世界を構築しなければならないという強迫観念があったわけです。同じ世界を提示しても仕方がない、第二句集を出す限りは第一句集とは違うものを出したいと思って。だけど、やっぱり人間って五年くらいでそんなに変わるものではないので。今度(第三句集)はそういう意識はほとんどなくて、別に繋がっていてもいいという気持ち。ただ、ちょっとわかりやすい句を混ぜているんです。ベースは多分同じだと思いますけど。

初心にも特殊メイクをしておこう
握っても握り返さぬニュータイプ

――現代川柳がブームであるという声が聞かれます。実感はありますか?

 二十何年間現代川柳をやっているけども、あまり世の中に認められたとは言い切れない。川柳そのものが、短歌・俳句に比べて社会的な認知度は低いわけです。川柳というのは素晴らしいというスタンスで見せたいわけ。でも、実際の現代川柳というのは、句集もまだまだ少ないし、それほど読まれているわけではない。握りこぶしの中に現代川柳があって、一般読者にはあまり知られていないけれども素晴らしいという形でずっと発信してきました。掌を開いたら何があるかは読者が判断してください。

 いま現代短歌がブームと言われていますよね。若い人がTwitterで短歌を書いたり、朝ドラの登場人物が短歌をノートに書いて発表したり、歌人の木下龍也さんが詩人の谷川俊太郎さんとテレビに出たり。現代川柳にブームがあるとしたら、ふた通りあるんです。現代短歌の人で、川柳の実作をする人が何人か現れたことと、SNSで発信している川柳人が目立つようになったこと。それが本当のブームかと言われると微妙なんですけれど、従来の川柳界の方も活性化していけばいいですね。

――小池さんは同人誌「川柳スパイラル」の発行人であり選者を務められていますね。

 最初「バックストローク」(2003年に創刊、2011年に終刊した川柳同人誌。発行人石部明、編集人畑美樹)というのがあって、それがなくなって、「川柳カード」(バックストロークの後継誌。発行人樋口由紀子、編集人小池正博)を始めて、「川柳カード」が終刊になったので、私が一人で編集発行する形で「川柳スパイラル」を始めました。「バックストローク」を継承するというのかな、同じ感じで続けています。

 選は、しているようでしていないんだけどね。活字にするときに問題のあることを書く人がたまにいるんです。それは私は基本的には作者の責任だと思っているんですけど、雑誌の編集者の責任も若干ある。そういうセンシティブな内容の作品が出てきた時は、やむなく落とす時もある。その時の保険みたいなものなんです。

SNSから新たな発信者

――川柳の読み手として、好きな作家はいらっしゃいますか?

 その時によって変わるけど、いつになってもいいなと思うのは、中村冨二。『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2020年)にも書きましたが、いま読んでもよい句が多いですね。<美少年ゼリーのように裸だね>今でも通用する句じゃないかなあ、BL川柳としても読めるので古くて新しい作品です。それから、「言葉から書く川柳」というのがあります。その元祖というのが細田洋二。<サルビア登る 天の階段 から こぼれ>詩性川柳ですね。いま一番好きなのは、平岡直子さんです。最近川柳の句集(『Ladies end』左右社、2022)も出されましたね。平岡さんの句には悪意がある。<いい水は人が飛び込んだら消える>ブラックでしょう?

――川柳といえば、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」という方は多いと思います。現代川柳は、どのように差別化を図っていけばよいのでしょうか。

 地続きなので、どこからどこまでが現代川柳で、どこからがサラリーマン川柳であるとはなかなか言えない。全部ひっくるめて川柳。一番広い言い方は、いま書かれている川柳は、全部現代川柳。でも、今書かれている川柳の中で、文芸的な川柳を現代川柳というとしたら、ちょっと範囲が限定される。文芸的な現代川柳の中で、伝統的な書き方をしているのが伝統川柳で、実験的な書き方をしているのが現代川柳と言うと、また範囲が狭くなるわけです。

 でも文芸的な現代川柳というのも、その中には風刺的な要素もあるし、そうしたら新聞川柳と繋がってくるわけですよね。自分の人生を詠む、自分の生活実感を詠むというのは、別に否定できない。現代的な記号を使わなくても、しみじみと感動するなあというのも、それも現代川柳と言える。あんまり範囲を限定すると、かえって痩せたものになってしまう。

――今後、川柳人口は増えていくと思われますか。

 増えて行ってほしいですけどね。暮田真名さんを入り口として、川柳を書いてみようかという人が増えてきている。それはネット川柳が中心なんですけど、SNSを見るといろんな人が発信しているから、増えているといえば増えているんですけど。それがずっと続いて行ったらいいんですけどね。ある程度やったら飽きて、消えていく人が多いからね。

 やっぱりこれまでの川柳作品を踏まえて、そこから新しいものを書いてほしいなあという気持ちがあって。新しいものってふた通りあると思うんだけど。ひとつは、まったく違うジャンルから来て、ものすごく新しいものを作る。それから、今までのことを知っていて、自分の新しい領域を切り開くということ。私は後者の方がすごいなと思う。暮田真名さんの作品を読んでいると、過去の川柳をよく読んでいるなという雰囲気があるわけです。そういう人はある程度信用できますね。

――小池さんは、これからどのような川柳を作っていきますか?

 わからないです。今度こそ新しい世界を切り拓かなきゃいけないので。大衆性を目指すのかもしれないし、実験的な方向に行くのかもしれない。川柳の世界そのものが今後どうなるかわからなくて、ひょっとしたら反動が来るのかもしれない。世間の川柳のイメージもあるので、大衆的なわかりやすいものに揺り戻しがくるのかもしれない。自分の思い、人生とか感情がストレートに出てくるのかもしれない。予断を許さないですね。