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ブーゲンビリアの戒め 青来有一

イラスト・竹田明日香

 曇り空からときおり日がさしてくる1月の夕方でした。家へと帰る途中、車道を吹きぬけていく冷たい風を逃れ、一本裏の通りを歩きました。

 角を曲がったところで、側溝の白いガードレールに沿うようにして、路肩にのびた鮮やかな赤紫色のラインが目に飛びこんできました。散った花が風でそこに吹き溜まっているらしく、あたりを見まわしたら、3階建ての鉄筋コンクリートの建物の、西向きの壁に赤紫の小さな花がたくさん咲いていました。

 打ちっぱなしのコンクリートの窓がない壁一面をおおい、数百もの赤紫色の花が咲き乱れ、冬の淡いオレンジ色の夕日に照らされているのです。

     *

 一瞬、南国に迷いこんだような気もしました。雲った空ではなく、青空を背景に花の壁を写真に写したら、南の島の景色だと話しても疑われることもないはずです。

 その植物は、蔓(つる)のような茎を複雑にからみあわせるようにして繁っています。ただアイビーのように壁そのものを這っているのではなく、隣の2階建ての木造家屋の境界に設けられたフェンスにからみついてひろがっているのでした。

 花の群れの下に停めたミニバンの黒いボンネットにも赤紫色が点々と落ちていて、路面にもあちらこちらに散っています。靴先の花を拾ってよく見たら、桜のように花が崩れ、花びら一枚一枚が散っているのではなく、地面に落ちても花はそのかたちを保ったままです。

 長さが5センチ、横のふくらみが一番広いところで3センチほどでしょうか。スペードの形をした3枚の花びらが袋状にくっついて、内側には薄いグリーンの3本の雌しべか雄しべかわかりませんが、髭状のものが伸び、その先端もまた小さな紋章のような、もうひとつの小さな花のかたちをしています。

 見たことがあると思うのですが、どうも思い出せません。今はスマートフォンのカメラで写したら、あっというまに調べることができるアプリもありますが、花や草木の名をあれこれ調べることも、人生のちょっとした楽しみにも思え、あえてダウンロードはしていないので、一輪の花を潰さないように柔らかく手袋の手で握って持ち帰り、パソコンの白いキーボードの上にのせました。

     *

 夜、一息ついたころ、パソコンに「冬、開花、赤紫色」などで検索すると、クリスマスローズ、ジャノメエリカなど花の画像が表示されますが、なかなか一致する花がでてきません。この花はまちがいなく見たことがあるという感じがつきまとい、初めは眠る前のちょっとした調べもののつもりでしたが、なぜかかっとなっていらだち、妙な情熱のような探求心にも囚われ、夜更けまでキーボードをガチャガチャと叩いては画面をスクロールしていました。

 結局、わからないまま深夜に眠ることになり、夢の中でもなお検索していたような気がして、翌朝も妙に疲れが残りました。さすがにこのまま時間を潰すわけにもいかないので、妻に花を見せたら、あっさり「ブーゲンビリア」と教えられ、「ああ、そうだ」と憮然としてぼやくほかにはありませんでした。

 冬にブーゲンビリアの花は咲かないと思いこんでいたのが混乱の始まりでした。植物図鑑に開花期は4月から11月などで、年に2回花が咲くと書かれていて、冬にも花が咲くという記述もあります。花と思っていた赤紫色の部分は「苞葉(ほうよう)」と呼ばれる葉で、花の中のもうひとつの小さな花が、ほんとうの花だということです。

 勝手な思いこみで、ものの見方が偏ることはよくあります。夢中になるとますますまわりが見えなくなります。ブーゲンビリアの花ことばは「情熱」と「あなたしか見えない」。これは花ことばというよりも、自分自身への皮肉、それも痛烈な皮肉か、あるいは人生の戒めにも、未来への警告にも思えるのでした。=朝日新聞2023年2月6日掲載