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ミエセス選手の奮闘に贈る児玉清さん自伝「負けるのは美しく」。でも勝負はあきらめない 中江有里の「開け!野球の扉」#2

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 打球は一直線 スタンド突き刺さる 
 ホームランミエセス ララララーラーラー
 バモス! ヨハン! ミ・エ・セ・ス

 選手の打席で流れるヒッティングマーチは選手の数だけあって、野球らしく「勝利」「熱く」「夢」「打て」「走れ」などというフレーズがよく出てくる。
 「バモス」はスペイン語で、「頑張れ」という意味らしい。今シーズンから阪神タイガースに入団した、ドミニカ共和国出身のミエセス選手ならではのフレーズ。

    ◇

 中学2年になったある時、「頑張れ」なくなった。

 校内で「不良」と呼ばれていた女子先輩3人組から、休み時間に呼び出された。
 「いじめ」のターゲットにされた、とわかった。
 先輩を怒らせるようなことをした覚えはない。怖かったけど、妙に堂々とした気持ちで校舎裏へと向かった。しかし、一方的な暴力であっさりと気持ちは砕かれた。
 ふと、クラスメイトの顔がよぎった。
 不登校になった同級生たちの顔だった。そこにわたしも加わるのか……そうならなかったのは母のおかげだ。この話はまた改めて。

 どの世界でも「いじめ」はある。人にやさしくできるのも、いじめるのも人間。矛盾しているけど、そういう性質がある。

 「弱肉強食の世界、売れている者が勝ち、の社会であれば当然のことながら新人は先輩からむしられるのだ。このむしりに一度でも悲鳴を上げたら一巻の終わりだ」

 俳優・児玉清さんの自伝エッセイ『負けるのは美しく』に描かれるのは、生々しい映画撮影現場。監督やスタッフ、共演俳優との闘いの連続だったそう。本書は昭和期の日本映画界を内部から見た貴重な記録でもある。

 児玉さんとはNHK「週刊ブックレビュー」でご一緒したが、紳士的で博識な世間のイメージ通りで、気骨のある方だった。
 中でも黒澤明監督とのエピソードは、若き俳優の矜持があらわれる。
 映画「悪い奴ほどよく眠る」に登場する12人の新聞記者の一人として出演した児玉さんは、黒沢監督から徹底的に駄目だしを受け、最終的に「君はいらない」と画面から外された。

 新人の駆け出し俳優が、黒沢監督に物申す。他の俳優ならやらないことを、児玉さんはやった。一寸の虫にも五分の魂、「へなちょこ役者とはいえ人間としては対等」という考えを持っていた。

 わたしが特に好きなのは『負けるのは美しく』というタイトル。

 「どうせ勝利感を得られぬのなら、また明確な勝利を望むべくもないのなら、いっそ、せめて美しく負けるのを心懸けたら、どうなのか、そう考えたとき、はじめて心に平和が訪れた思いがしたのだ」

 「負けるのは美しく」は、児玉さんのモットーだった。

 負けた記憶の方がどうしたって色濃く残る。野球もシーズンの半分近くは負ける。負ける宿命を受け入れずに、勝負は臨めない。

    ◇

 「バモス! ヨハン! ミ・エ・セ・ス」

 こどもの日の5月5日、来日初スタメンになったミエセス選手が大きな体を揺らしながら走り、ライトの深いところに飛んできたボールをきわどくキャッチした。足の速い選手なら、もっと華麗に捕らえるかもしれない。ギリギリであっても懸命のプレーに胸が熱くなる。

(来日2戦目、甲子園球場で浅めのライトフライをスライディングキャッチしたミエセス選手)

 「バモス!ヨハン!ミ・エ・セ・ス」ミエセス選手を応援しながら、いつのまにか自分にも発破をかけている。

 デビュー戦で華々しくホームランを打ったミエセス選手も、その後は打率が1割台に低迷していて、スタメンを外れる日もある。はっきりと勝利を得られないと、なんとなく負けた気がするけど。勝負はあきらめない。あの伝説のバース選手だって、1年目のシーズン序盤はなかなか結果が出ずに苦しんだんだし。

 バモス!ミエセス、バモス!タイガース、バモス!自分。