薬物中毒の真っ最中でも読めた町田康作品
マリヲ:はじめまして。町田さん、とお呼びしていいですか? まず自己紹介ですが、ラップをやりながら文章を書かせていただいているマリヲと申します。15年くらい前から薬物中毒になって、ダルク(民間の薬物依存症回復支援施設)で治療している時、自転車店タラウマラの店主・土井さんに拾ってもらい自転車屋に勤務していました。僕も土井さんも文章が好きで、何か自分たちで出版物を出せないかと思い、「FaceTime」というZINE(個人誌)を発行していて。それを読んだ百万年書房代表の北尾修一さんから声をかけていただき、『世の人』という本を出すことになりました。
町田:どのくらい刑務所に入ってたの?
マリヲ:2回です。覚醒剤と、ドラッグです。最初が2つの刑の合算で3年、次が1年、計4年ですね。
町田:やっぱり2回目は、罪を認めて短くしてもらったとか?
マリヲ:『世の人』にも書いたんですけど、最初の服役のときはペンキで落書きをしているところを逮捕されて、公判で「汚い街をペンキで綺麗にしてるんです、街が汚いせいでぼくは覚醒剤をやってしまうんです」と言い訳して。弁護士も「その方向で戦いましょう! いけるかもしれません」とノリノリだったんですけど、「反省してない」と言われ少し長くなりました。
町田:弁護士もキマってたとか(笑)。
マリヲ:で、2回目はすぐに謝りました(笑)。
町田:私の知り合いは、わざと最後まで突っ張って、長く刑務所にいましたけどね。
マリヲ:町田さんの作品って、薬物中毒の真っ最中でも読めるんです。仲間と大喧嘩している時、洋服とかCDと一緒に、そこにあった町田さんの文庫が吹っ飛んでたりしていたのもよく覚えていて。友達とか自分が死にそうな状況でも、いつも身近にいる、死んでもそばにいてくれる、みたいな。町田さんの著作から人生を学んでいたとあらためて思います。
町田:僕のデビュー作(『くっすん大黒』)を保坂和志さんが読んで、共通の知り合いだった映画監督の山本政志さんが感想を伝えてくれたのですが、「これは典型的な薬物中毒の症状が現れてるよ」と言っていたそうで(笑)。そんなことは当然無いのですが、親和性はあるのかもしれない。
マリヲ:薬物なしでそこにたどり着けるのが一番怖いのですが。僕は勝手に町田さんに救われていたんです。他にも数えきれないほどありますが、一番覚えているのが『くっすん大黒』で、主人公が友人を問い詰める場面に出てくる “おい、そのザッパを止めろ”っていうフレーズで、お先真っ暗の状態がパッと開ける。言葉の持つ力が身体の中に入ったと感じました。
面白いノイズを書けるか
町田:『世の人』にも、同じようなことがありますよね。深刻の中にユーモアがある。滑稽悲惨、シリアスな状況の中に、おかしくて笑ってしまうような箇所がいくつもありました。特に「マリヲくんまた」の章、揉めて大変なことになっている時、大騒ぎしている相手の髪の毛に松ぼっくりが付いてて(笑)。それを触りながら喋っているのは面白いですよね。それを書くか省くかとなった時に、書くことを選ぶのはすごく良いなと思います。
マリヲ:ありがとうございます。
町田:「ちゃんとしたことを書こう」「台詞をきちんと書こう」とすると、知らずに松ぼっくりを省いてしまう。でもそのノイズが面白い。あと横へ横へ、どんどん動いていくところが『世の人』の特徴であり、良いところだと思いました。小説は、昔の回想をしたり、現在を書いたり、これから起こることを書いたり。時間の流れを調節しながら配置して書くんですけど、『世の人』の場合には時間の流れをまず止める。時間をぶっ飛ばして、断片をぶちまける。空間をジャンプして、違う場所の話にする。それらがミックスされて、グシャグシャになっているのが特徴です。
僕は詳しくないのですが、これはDJスタイル的な表現かと思いました。記憶や感情、感覚に合わせて、自由自在に混ぜ合わせてドライブする。それがこの小説を先に進ませる推進力じゃないでしょうか。
マリヲ:なるほど、それはあるかもしれません。
町田:普通は記憶と感情をセットにして覚えることが多い。こういう出来事があったからこんな感情になって、と制御して書いていくのですが、マリヲさんの文章は感情があったりなかったりする。薬物の影響なのかもしれないけど、ぶっ飛んでいるというか。この書き方は、どうやって思いついたのでしょうか。
マリヲ:書く時は、一行目から順に書いていくんですが、派手な出来事がない時や感情が動いていない時は、どうしても前に進まない感じになってしまうんです。
町田: 筆が渋滞する、みたいな?
マリヲ:そうですね。何を書いても面白くない。そういう時に、刑務所で書いてたこととか、携帯電話のメモ帳に入れていたような、よく分からないけどその瞬間に通じるような言葉や単語を配置すると先に進めるんです。
町田:「しんどいな、突破できへん」と思ったら、違うことを入れてみる。
マリヲ:そうです。と言っても必ずうまく書けるわけでもなく、失敗することもいっぱいあるんです。だから混乱が生まれてるのかもしれないです。
町田:混乱というよりは、うまくいってると思いますけどね。ただ普通に並べたらどうしようもない話ですから(笑)。最初、読んでいる時に「このパターンか」と既視感があったんですけど、そのうちにすごく面白くなってきて、読者を巻き込む力がある。そんな文章だと思いました。
マリヲ:ありがとうございます。自分で意識できなかったので、もう1回できるか分からないですけど(笑)。
「救いのなさ」の実態
町田:生きることの希望のなさ、人生のどん詰まりみたいなものを行間から感じました。聞きたいのは、その救いの無さの実態について。今の人たちが何を感じているか、何に絶望しているのでしょう。
マリヲ:個人的な見解ですけど、その頃は本当に、何者かになれると全員が信じていて、でも、何者かになるということは「いちぬけた」と周囲から捉えられるのではという不安と、自分自身、何者にもなれないということに気づき出す、落胆が大きかったのではないかと思います。何者かというのは、定職に就いたり、没頭できる趣味を見つけるとか、そういったもので良かったはずですが、その、当時みんなが持っていた絶望や、希望がない毎日を一緒に生きるということが、生きる理由そのものにすり替わっていたような。みんなそれぞれキャラ立ちがはっきりしているかわりに、そのキャラから逸脱しないように、それぞれが意識し合っていたように思います。一人では生きられない、誰かがいることで自分が存在できるというか。
町田:登場人物みんな、一人でいられないやつの集まりに見えました。不安を感じている。気を遣っていないようで、実はとても気を遣っていて。
マリヲ:薬物でつながっていた中には、今はもう連絡が取れない人も多いんですけど、「じきに自分も死ぬんや」みたいな感覚はいつもありました。でも自殺する勇気もない。だからハードなドラッグをやりながら、命はつないでいるけれど、緩やかな自殺をしている感じに近かったと思います。
町田:自殺したくなるのは、未来への希望が持てないから? それとも自分の願望と現実に差があるから? それとも希望すらはっきりしていないとか。
マリヲ:最近読んだ『未来人サイジョー』(いましろたかし、KADOKAWA)という漫画があるんですけど、その中で昭和の時代を言う時に「未来が今より少しでもマシになっていくと勘違いしているこの時代」とあって。僕はそれを読んで妙に納得してしまいました。その通りの精神状態で遊んで、そのままの勢いで絶望に突進していたように思います。
町田:それは結局良い暮らしができないから?
マリヲ:そうかもしれません。
町田:自分たちが面白いことをやっていても、地道にダサい服で勉強しているやつが良い大学に行って。その時はまだ小馬鹿にしているんだけど、25、30歳くらいになると差が出てくる。45歳くらいでやっと気づくんですけどね。マリヲくんよりちょっと上の世代だと、“芸術の神に奉仕して一緒に暮らす”とか“革命に命を捧げる”とか言えば、エクスキューズができた。芸術なんて何も分からないから自惚れることができたけど、今はすごい人がいっぱいいることが分かってしまうから、自惚れることすらできない。じゃあ、遅まきながら身の丈で生きようとしても「ちょっと待て、もう手遅れやないか」となる。
マリヲ:僕はそもそも中卒ですから(笑)。身の丈で生きることも難しい。一体、何と戦ってたんですかね。
町田:周りでは死んだ人もいるし薬物で捕まった人もいる。バンドの稽古に遅れてくるなと思ったら、薬物にハマってた人もいて。きっかけは、酒を飲んだりタバコを吸ったりと同じで、かっこよさや憧れみたいなものなんだと思います。雑誌で憧れのミュージシャンがタバコを吸っていたら、「かっこいい、俺もやってみよう」と。そういうのを見ると、普通に働いているおじさんがくだらなく思えてしまう。現実を否定するツール、認識を変えることで現実が変わるんじゃないか。そんな感覚は、今も昔も共通しているのかもしれない。
マリヲ:その感覚、むちゃくちゃありました、“ロックスターは27歳で死ぬ”伝説とか。
町田:昔からありましたね。ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズ……。そこは変わってないんですね。
マリヲ:有名になりたいとか、一発当てたい気持ちがみんなにあって。薬物でキマっている時は「絶対いけるぞ」、だけど切れた瞬間に現実としんどさが襲ってきて、よけいにお先真っ暗になる。パソコンで1小節を8時間かけて作って「すごい芸術的なのができた!」と思っても、しらふで聴いたら何のこっちゃ。で、「僕は何にもできへんねや」とあらためて落ち込む。
町田:でも、気づくのが早いですよね。あと、最終手段として「小説を書く」という、人生最後のセーフティネットがありますから大丈夫(笑)。ちなみに音楽を作ることから文章を書くことに移行していったのは、どういうきっかけで?
マリヲ:刑務所の中から友達に宛てた手紙に「僕は書きたいんや」って書いていたようです。刑務所でも書いてはいましたが、人に見せることはなかったですね。書くきっかけは、ZINEに自分の体験記を書こうとしたことです。昔から本を読むのは好きでした。
「クズ」ばっかり書いている
町田:でも音楽を作る時には、言葉を使ってたよね。それも影響があるんじゃないですかね。
マリヲ:あるかもしれないです。
町田:音楽をやっている人は自分の主張があるから、「自分はどういう人間か」を言いがちなんですけど、『世の人』は、自分じゃなく他の人のことを書いているのが面白い。いろいろな人が出てくるけど、全員が面白いんですよね。それも描かれ方が良くて、“クズ”の一言で終わってしまうような人ばかりで。
僕はデビューした頃、「あなたはクズばっかり書いてますね」と言われていました。でも「いや、違いますよ。クズじゃない人間がいますか。みんなクズでしょ?」って。大阪の新世界に「千成屋珈琲」ってあるでしょ、その先に「ニューワールド」って小さな喫茶店があるんですけど、そこでバイトしてたんですよ。
マリヲ:そうなんですか! ニューワールド、まだありますね。
町田:2階建ての小さな店なんですけど、バイトしてたのは半年か1年くらいだったんですけど、そここそ「おかしいやつしか来えへん」(笑)。先月書いた短編小説に、そこに来ていたおっさんが言ってた話を書いてるんです。もちろん、店の名前は出してませんけど。
マリヲ:ずっと覚えてるんですね。
町田:忘れませんね。「普通に働いた方が楽なんちゃう」みたいな面白いやつがいっぱい来てましたからね。
マリヲ:(笑)。田舎に出かけて車で大阪に帰ってきた時、自転車で洗濯機を運んでいるおっちゃんがいて(笑)、本当に面白いな、これが大阪やな、と。そういうところが好きで住んでいたのかもしれないです。
町田:マリヲさんは、北摂生まれ?
マリヲ:育ったのは川西です。
町田:じゃあもともとあの辺にいたわけではないんですね。
マリヲ:憧れがあったんです。川西って、大阪弁でも優しい感じでおとなしい町で。きつい大阪弁に憧れていたんやと思います。年齢とともに、北摂方面からまず梅田、次に心斎橋に行って。
町田:で、「ちゃうな、まだきれいすぎる」と(笑)。心斎橋は、おしゃれだからね。
マリヲ:カッコつけまくりながらも、次に難波に行って少し場末の感じになり、最終的に南下して西成に着く。なんだかんだ、一番憧れていたのは西成かもしれないです。
町田:通っていた高校が大国町にあって、同級生はみんな心斎橋のディスコに行ってたんですけど、それについていけなくて西成に行ってましたね。
若者たちの「生ぬるい地獄」
マリヲ:当時から、やっぱり熱狂から身を置こうという感じだったんですか。
町田:嘘くささ、同級生たちがつるむ仲良し感が嫌だったんです。ライブハウスも、大阪にいる時はそうでもなかったけど、東京に来るとすぐみんなつるもうとする。生ぬるい感じ、何にも満たされていない感じがちょっとね。
マリヲ:僕が今戦わないといけないと思うテーマが、まさにそれです。心底嫌気が差しますが、人と接続されている実感がないと、すぐに不安になる。
町田:静岡県の熱海に住んでいて、海岸があるんです。しょぼいビーチなんですけど、春になると卒業旅行か何かで大学生が遊びに来るんです。で、ビーチに来て何をするのかと思ったら、みんなで輪になって、バレーボールみたいなのでラリーが始まる。向かい合って5対5で戦うでもない、男と男が戦って誰が一番強いかを競うでもない。輪からボールを落としちゃいけなくて、誰かが芝居っぽく倒れながらボールをトスすると「わーすごい!」みたいにみんなで称えていて。それをずっと見ている僕もどうなんだろうと思うけど(笑)。今はこんな、ぬるい感じなんだと思いましたね。
マリヲ:自分よりも輪の方が大事ということですかね。
町田:うわべは楽しそうにしてますけど、誰一人楽しんでない感じ。「生ぬるい地獄やんなあ」と。「こいつらどつき倒してやろうか」って思ったんですけど、逆にやられてしまうところを想像して思い止まりました(笑)。