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「世の人」マリヲさん×町田康さん対談(後編) 小説とは「個人」を立ち上げるもの

町田康さん(左)とマリヲさん=松嶋愛撮影

自分にしかわからないことが書いてある

マリヲ:町田さんは、実体験のしんどいことを昇華させたり、小説に盛り込んだりすることはありますか。

町田:実体験でそんなに起伏のある体験はしていないのですが、風景とか地名は入れたりしますね。『世の人』は、時間の流れを止める、ぶちまけると話しましたけど、頭の中では何が見えているのでしょうか。並列で時間が並んでいるのか、ただ瞬間が浮かんで、根っこにいろいろな言葉が下がっているイメージですか?

マリヲ:どちらもあるような気がしますけど、何かきっかけがあって、ブワッと瞬間が蘇ってくるようなイメージです。その区切られた出来事ごとに、流れている時間もそれぞれ違っている気もします。

町田:画面上で音楽をエディットしているようなイメージ? まさにデジタル世代ですね。

編集部:マリヲさんは『世の人』を書く時に、ジャンルを意識して書きましたか。小説か、随筆か。

マリヲ:出来上がったら何か分かると思ったんですけど、まだはっきり分からないです。ただ、小説を書きたいと思って書いた文章ではあります。そもそも随筆と小説、特に私小説は、読んでいる時のドキドキは変わらない気がしています。時間が飛ぶ、混乱する、無理やり主人公が進んでいく、自分目線というところを考えると、小説とエッセイのいいとこ取りをしているかなと思います。

町田:僕は『世の人』を小説として読みましたね。小説、ものすごく小説的な小説、小説の王道だと思います。小説って何かといえば、個人なんです。個人の気持ち、個人の思い。例えば、世の中の人がみんな納得することや、誰からも反論が来なさそうな理屈は、小説ではない。自分しか分からないことが書いてあるのが小説です。それを読んだ人の心が1ミリでも動いたら、それが小説です。

マリヲ:個人を立ち上げるものが小説、ですね。

マリヲさん=松嶋愛撮影

ホームランを見たような興奮

編集部:マリヲさんはラッパーとして歌詞も書きますが、歌詞を書くのと違いはありますか。

マリヲ:一緒だと思います。偉そうなことを言わせてもらうと、ボーッと口を開けて、言葉を待つ作業というか。『世の人』は、派手な出来事ばかり書いているので、そっちに舵を取られていますが、今後はそればかりにならないように戦わないといけないです。

町田:バランスですよね。「世の人」の章で、お姉さんがオートバイで現れるシーン、 あそこは良かったね。

マリヲ:めちゃくちゃ嬉しいです。あのシーンは姉が読んで怒ってました(笑)。

町田:それは大成功ですね。あと彼女と別れるシーンも良かった。普通なら、そこを軸にクライマックスに着地するように順番で並べて書くこともできるけど、それをやったら面白くない。でも、やったほうが確実に売れるとは思うんですけど、それが目的ではないからね(笑)。ごめん、人のことなのに。あと登場人物がみんないいし、不思議とみんなに会ったような感覚になります。

編集部:町田さんは生活している中で、「これは書けそうだ」とネタをメモしたりすることはありますか。

町田:時々ありますね。ただ、人に限らないです。それこそ街の景色とか、言葉そのものだったり。例えば、ライブ終わりの打ち上げで人と話をしていて、ふとタイトルが思い浮かんだり。「『カメラ対ギャオス』? これいけるんちゃう?」って(笑)。

マリヲ:言葉が降ってくるんですね。

町田:マリヲさんがラップの歌詞を考えている時も、そんな感じですか? 湧いてくるというか。

マリヲ:僭越ながら、めちゃくちゃ思います。町田さんの『供花』で特に好きな一文があるんですけど、「お前の後ろ姿はまるでデタラメやぞ」。興奮しますよね。ホームランを見た、みたいな。

編集部:町田さんは、書いていてホームランを打ったような感触がある時はありますか。

町田:詩人は言葉でホームランを打とうとしている人ですよね。僕はホームランっていうより、ポテンヒットでいいかな。ホームランはたまに打つと気持ちがいいんでしょうけど、そこは主観球場ですから(笑)。投げてるのも打ってるのも自分。ホームラン打とうと勢い込んでる姿は、あまりかっこよくないですから。

町田康さん=松嶋愛撮影

町田さんが語るラップ

マリヲ:町田さんは、執筆の時に音楽は聞いていますか。

町田:最近思うんですけど、音楽ってそんなに必要なのかな。音楽が溢れてないですか。どこに行っても音楽が氾濫している。例えば、対談をYouTubeで配信する時も、後ろでうっすら音楽が流れてて「これ、要るか?」って思う。

 昔なら、そんな音楽を聞いてるのは音楽マニアか、好事家。最近テレビを観る人が減ったというけれど、コマーシャルの音楽も刺激的だし、やれ撮影だとスタジオに入ればそこでも音楽が流れている。必要な人はもちろんいるとして、音楽って、もっと祝祭のもの、特別なハレの日のものだと思います。向こう側に行くためのもの。そう考えると、ちょっと過ぎてるんじゃないかと思います。だから答えとしては、執筆の時は音楽は聞いてないですね。好きな音楽を流してしまうと、そっちに気を取られてしまいますから。

マリヲ:ラップというジャンルはどうですか、興味はありますか。

町田:これも雰囲気の話なんですけど、ラップには言葉があって、メロディがない。歌というのは、雰囲気と歌のムードとのせめぎ合いですよね。歌詞が表す感情と思想のせめぎ合いです。内容がせり出せば、雰囲気が包む。ムードが高まって内容が更新すると、雰囲気がその内容の先鋭化をまぎらわせる。だからレベルの低い言葉でも歌になれば、感動できるということもあります。

 だが、しかし!
 ラップの場合、雰囲気がTRIBE的というか部族的というか、自分たちの属性に限定されている気がします。ラップを日本語でやると内容重視になる。メロディがないと、雰囲気やムードがなくて、内容がどんどん更新されていく。あまり多く聞いているわけではないですが、その中で詞が優れていると感じたのは、あまり無かったです。なぜなら詞はムードも含んでいるから。ラップの雰囲気やスタイル、思想に酔える人、共感できる人だけの形式なのかなと。

 ラップを商業的にしようと、大資本と結びつけて大きな仕掛けにしようとする人は、それで飯を食べていこうと思ったら、ある程度マイルドにしないといけない。つまり、誰でも共感できるような内容になりますよね。そうなると、僕にはどうでもいいものになる。怠惰なリスナー、傍観者には必要ないかなと思います。すみません、辛辣で。

マリヲ:いえ。ラップといえば、そんなイメージと戦っていく必要があると思っています。ただ、僕の思うラップという表現方法の良いところは、脈絡のない言葉が出てきたとしても違和感がないところです。言葉が音として入るから、そこが好きです。

町田:意味を求める人からすると「わけわからん」と言われるでしょ。

マリヲ:言われますね(笑)。意味を求める人が大多数だと思います。勝手なことを言うと、ラップには、いかつい・怖いイメージがあると思うんですけど、グループサウンズみたいに、いかつい・怖いがそのままもっと親しみのあるものになればいいと思って。犯罪をオッケーにするとか、そういう意味ではないですが、そうなると自分自身、時代時代の脈絡のない言葉にもっと救われるんじゃないかと期待してしまいます。

町田:それで思い出したのは、『供花』っていう詩の本を最初に出した時、詩の出版社から出したんですけど、普通の詩人が出すものとは違うものを書いたんです。風景が現れたり、音が現れたり。現代詩の流れと違うやり方をしたら、まったく相手にされず「変なやつおるな」くらいの感じでした。面白がる人はいましたが、寂しいと思わなかったし、「そんなやつらはアホや」と思ってましたから。

マリヲ:ラップをグループサウンズのように…と思ったもう一つの理由は、詞の面白さです。これは奈良のmole musicで購入したものですが、ジ・アーズの「長崎非情のブルース」という曲に、「恥を知りつつ、君を聞く」という歌詞があって。意味が分からないけど、すごくドキッとする。だけど歌謡曲だから、たくさんの人に届く。そんなふうにラップもなれば楽しいと勝手に思っています。

町田:グループサウンズは良い意味での例えなんですね。逆の意味だと勘違いしていました(笑)。僕が言ったのは、先鋭的に始まったものが芸能界の一過性のブームで廃れていくことを心配していました。ごめんなさい。ラップはそういう意味では、おかしなことや笑えることを許容できるジャンルということですね。全体10あるとしたら、1は面白いことを混ぜる。いや、できることなら9面白いことでもいいよね、1:9で。でも小説なら0:10にできますから(笑)。

町田康さんの『供花』

マリヲさんが聞いてみたかったこと

編集部:実は、事前にマリヲさんから町田さんへいくつか質問を投げかけてもらっていまして、町田さんが答えを用意してきてくれました。ここまでの話の中でまだ触れていない質問と答えについてお話いただきます。

〈質問1〉町田さんは読書をしますか、どんな本をどういう風に読みますか。

町田:読書はします。一つは、自分の資料として知りたいこと。全く知らないことを知りたくて知的好奇心として読むこと。もう一つは、文章そのものが読みたくて読む。雰囲気、ムードを読みたいから読むこともあります。あと一つは、人の心。人の心の動きはどうなっているんだろうという、答えがないものを求めてです。とても苦しめられてるせいか、人の心が知りたいんですよね。マリヲさんみたいに救われるとはいかないですが、心が分かると気楽になれる。『世の人』もそうなんだけど、「こんな奴おるんや」と知るだけで、楽になれますよね。

その3つが揃った本がベストですけど、楽しく読むなら、人の心とムードかな。それが自分の好きな本ですね。

編集部:本を読むことで人の心を知る、感覚を学ぶ、ということですね。

町田:人に会う感覚に近いと思います。会って、人の話を聞く。劇作家の山下澄人さんと話した時に、 山下さんの父親が「俺はあいつが嫌い。あいつの顔が嫌いやねん」て話してたことを思い出すんですけど、嫌いの感覚って、声が嫌いとか顔が嫌いとか、そんなもんなんです。嫌いだからしょうがない。文章の雰囲気も同じで、声とか顔みたいなものですよね。

マリヲ:顔って、年齢はもちろん経験でも変わってくる。その人をだんだん表していってしまうというか。

町田:顔は履歴書とも言いますからね。文章もそう。もちろん、求められる文体もあると思いますが、ほぼ読んできたもので文章が決まります。

マリヲ:もっと本を読まないといけないですね。

編集部:町田さんは、表現や言葉を探すために読書することはありますか。

町田:新しい言葉から語彙が広がったり、言葉が繋がることはありますね。今持っている語彙は、小学生とか10代に読んだものです。例えば、今本を読んで「かっこいいな」と思っても、すぐには中に入らない。表面がカチカチだから(笑)無理やり注射で注入しないと入らないですね。

マリヲ:そんな注射があったら、欲しいです。

〈質問2〉書く時間は決めていますか。

町田:前は朝から午前に書いてましたね。最近は、筆が遅くなって午後も書いてます。昔は、仕事の依頼が電話で来たんですよ。すると午前中は電話がかかってこないから、そこで書く習慣がつきましたね。マリヲさんは?

マリヲ:今はトラックに乗って不用品回収の仕事をしているんですが、仕事のない日に最低週一回は、西成のドヤで書くようにしています。仕事終わりで疲れていない時は、トラックの中で書いたりもします。

〈質問3〉“スカッと地獄”という言葉は、どこから生まれましたか。

町田:これはパロディですね。昔、“スカッと爽やかコカ・コーラ”っていうコマーシャルがあったんですけど、「100円ぐらいで簡単に爽やかになるわけがない」と。反対を言ってやろうと書いた言葉です。他にも、“憎しみのダイハツ・ミゼット”という曲があるんですけど、当時俳優のポール・ニューマンがスカイラインという車のコマーシャルに出ていて。新聞広告にでっかく“愛のスカイライン”と書いてあって。「何が愛のスカイラインやねん!」と考えた言葉です。

マリヲ:そうだったんですね、びっくりしました。

町田:笑かす系です、でも誰にも通じませんでしたけど(笑)。スカッと爽やかは、本当に“しゃらくさい”コマーシャルだったんです。パンク舐めんなよ、て(笑)。

〈質問4〉街の景色からユーモアを感じることがあります。町田さんはそんな景色を小説に取り込みたいと思うことはありますか。

町田:街の景色、ユーモアとはどんなものでしょうか。

マリヲ:例えば、トリミングサロンの絵の犬の手が5本指だったり、汚い植木が置いてあるのに「きれいだと気持ちいいな」って描いてあったりとか。そういうのを見ると元気が出ます。人が真剣になっている姿も面白いです。

町田:ああ、街角モノですね。昔、宝島から出ていた雑誌で「VOW」(バウ)の「街のヘンなモノ」とか、赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」とか。僕もそういう感覚は好きです。街角は、人間の愛らしさや切なさ、何かやろうとした痕跡がたくさんある。店の看板でも、前の店が失敗した看板とかいいですよね。笑えることのバックグラウンドには、必ず悲しみがありますから。

 笑いの度合いが大きいほど、バッググラウンドにある悲しみは大きい。悲劇なんです。太宰の『人間失格』でもトラジェディー(悲劇)とコメディ(喜劇)のシーンがありますけど、演劇から現実を見ようとするからそうなるわけで、現実が最初になると、マリヲくんが感じるように悲しみの度合いが大きいほど笑ってしまう。

 例えば、病院で深刻な病気を宣告された人の横で、付き添いの人が悲嘆にくれていると全然笑えなかったりするんだけど、それを誰かが全力でおかしく書いたら面白いと思うんです。倫理的には非難されるかもしれない、でも不幸を笑いにするのが小説家の仕事なんです。

 スキャンダルもそう、悲劇か喜劇か、どちらから見るかの差ですね。エネルギー不変の法則じゃないけど、笑いと悲しみは釣り合っている。だからここで言っていることは真理だし、盛り込みたい、文章にしたいという気持ちは分かります。

町田康さん=松嶋愛撮影

書くことで成仏させる

編集部:最後に町田さんからもご質問があればお願いします。

町田:マリヲさんは、なぜ書くのですか。自分が主になりたいのか、人を笑わせたいのか、気持ちをシェアしたいのか。

マリヲ:自分が救われている、だから書きたいと思うのかもしれません。その瞬間は、前に進めている気がします。事実そのものに対する恩返しはできないけど、書くことで何か成仏させているような気持ちがあります。

町田:成仏、この言葉はとても分かりやすいですね。

マリヲ:人の愛らしさ、“人間て、おもろいな”みたいな気持ちです。今日はいろいろな話が聞けて本当に良かったです。“人の不幸を笑うのが小説”、これからも書きたいと思います。

町田:こちらこそ、これからも“なかよう”してください。

町田康さん(右)とマリヲさん=松嶋愛撮影

前編「深刻さのなかにあるユーモア」はこちら)