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「小津安二郎」 画面に潜む山中貞雄の霊の気配 朝日新聞書評から

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2023年07月08日
小津安二郎 著者:平山 周吉 出版社:新潮社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784103524724
発売⽇: 2023/03/29
サイズ: 20cm/397p

「小津安二郎」 [著]平山周吉

 評者は著者の評論を『戦争画リターンズ』(2015年)で知った。画家、藤田嗣治が戦中に描いた戦争画「アッツ島玉砕」を、兵士たちが肉弾となって連なる僅(わず)かな隙間から覗く北限の島の花を手掛かりにていねいに読み解いた。そのとき藤田の戦争画はもう単なる「戦争画」ではなくなっていた。
 戦争や従軍体験と小津安二郎の映画を結ぶ論点はしばしば見かける。だが、著者の目線は先の藤田の読み解きにも通じ、誰もが見逃しがちな細部へと向く。しかもこの細部は「映画の中に偶然を導入することを拒んだ小津」なら「意図に沿って画面に現(あら)われたと思うしかない」。ひとたびそのような見方を導入すると、小津の映画の見え方は根底から一新されてしまう。
 たとえば代表作「東京物語」での尾道の家に咲く鶏頭(けいとう)。シナリオにないこの鶏頭を、著者は小津に先んじて中国大陸に出征し戻らなかった若く才気溢(あふ)れる映画監督山中貞雄の「霊」として読む。さらには原節子演じる「紀子三部作」の嚆矢(こうし)を飾る「晩春」で紀子の後ろに「背後霊のように慎(つつ)ましく写っている」壺(つぼ)。それは、やはり山中の傑作時代劇映画「丹下左膳余話 百万両の壺」を念頭に置いてのことではなかったか。さらには名作中の名作「麦秋」での小津映画として異例の移動撮影の多さとスピード感はどうだろう。それは「死者の視線特有のもので」「誰にも見えない山中の姿、山中の気配を小津は感じながら、映画を撮っていたのではないだろうか」――。
 こうして昭和20年代の小津映画、ことに原節子の「紀子」三部作には「出演せざる登場人物」として、どこかで亡き「山中貞雄が常にいることになる」。というのも、かつて山中は日独合作映画「新しき土」に出演した若き原節子を「彼女ほど清らかで新鮮な女優はない」と絶賛し、大陸の戦線でも同作を想起していた。もし山中が戦場から無事帰還したら、原節子を主演とする山中の現代劇が企画された可能性は高い。しかしそれは永遠に実現しなかった。とすると、原節子が主演を務める「紀子三部作」に密(ひそ)かに姿を現す鶏頭や壺、あるいは唐突に動くカメラの目線は、やはり「山中の遺志を、山中の視線を、山中の無念を」小津が引き継いだ結果であり、そこには「亡き山中が原節子を見つめ、大事に見守る視線があったのではないか」。
 本書を読了後、改めて小津映画を見直した。私には、それがもはやありきたりの家族劇などには見えなかった。小津の徹底して形式に拘泥した画面は、実は無言の霊の気配が充満する亜空間でもあったのだ。
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ひらやま・しゅうきち 1952年生まれ、雑文家。文芸春秋社の雑誌、書籍の編集者を経て独立。昭和史に精通する。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)。