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須藤古都離さん「無限の月」インタビュー 「私が私であること」って、実は幻想かもしれない

須藤古都離さん=家老芳美撮影

インタビューを音声でも

 ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」で須藤古都離さんへのインタビューの音声を配信しています。以下の書き起こしはインタビューを要約、補足したものです。

明日起こってもおかしくない近未来

――『無限の月』はストーリーのどの部分を紹介してもネタバレになってしまいそうな気がします。

 そうですね。一言で説明することがすごく難しい物語ですよね。どこかを切り取っても、何か全体として違うような気がして。

 人は個人として、隔絶された状態でこの世に生まれ落ちる。
 アイデンティティという幻想が、人を個人たらしめる。
 自分自身という狭い檻に閉じ込められた状態に不満を覚え、個人は常に別の誰かの体や心、物を欲した。
 自分自身以上の何者かであろうとして、他人を支配し、富を独占した。
 死後に残る何かを創造しようと苦心し、子孫に執着した。
 だが、右手と左手で奪い争うような、不毛な個人の時代は、やがて終わりを告げた。
――『無限の月』より

 最後のここが一番、何が言いたいのかを表している部分だと思うんです。

――これだけ聞いても何だか分からない気もします。中国と日本が主な舞台で、時代設定は近未来ですか?

 今はない技術が登場するので、近未来と言っても差し支えないと思うんですけど、できれば明日起こってもおかしくない話として読んでいただければと思います。

――BMIという設定が、物語の鍵を握ります。

 この小説では、脳にコンピューター的なものを埋め込んで、人間の思考を助けるような時代になっているんですよね。ブレーンマシンインターフェース(BMI)というのですが、実は現代にもあって、例えば義手の人が考えただけで手を動かしたり、考えただけでツイートをしたりできる。この本ではBMIを使って思考から外側を動かすのではなくて、外側から人間の脳にアクセスできる仕組みが作られているという設定です。

 このBMIで、人間が使っていない脳の演算能力を、コンピューターのように貸し出すサービスを作って、事業を拡大したCEO。この人が自分の会社のサービスを使って、想定外の出来事が起こってしまって物語が始まります。

――なんとなくストーリーが見えてきました。こういう設定はどうして思いついたんですか?

 僕自身がサラリーマンをやっていたとき「仕事したくないな」ってずっと考えてて。仕事しないでお金儲けするにはどうしたらいいかな、内蔵を売ったらお金になるけど1回売っちゃったらもうダメだな、サブスクみたいな形で自分の体を貸し出せたらいいなと。脳にはスーパーコンピューターみたいな計算能力がある。その資源を外に貸し出すサービスがあったらお金になるんじゃないかと思って。でもそれは技術的には難しいので、この物語が生まれたんです。

ディテールの組み立てが異なる2作品

――読みながら、映画「君の名は。」を彷彿とさせるストーリーだなと思いました。

 自分でも書いていて「『君の名は。』に近いと思われる可能性があるな」とは思っていたんです。映画の授業シーンで「黄昏」の説明をしていたんですよ。その説明を見ていて、「僕と同じインプットをしている人かもしれない」という気がしましたね。ちょっとおこがましいかもしれないですけど。

――それはどういうことですか?

 黄昏時って、夕方の昼と夜の境目というか、「誰そ彼は」と、相手が誰だかも分からない時、現実と現実じゃないものとの境目がすごく薄くなったり、その境界線がなくなったりする時、そういう二つのものが交わる時間なんですよね。僕がその話を知ったのが松岡正剛さんの本で、もしかしたらそのインプットが一緒だったから、アウトプットも似てしまったところがあるかもしれない。

――非常に外国の描写が精密です。『ゴリラ裁判の日』は、アメリカやカメルーンのジャングルのことを細かく描写していました。

 そう言ってもらえるとすごく嬉しいんですけど、行ったこともないですし。ゴリラが主人公になると思った時点で、カメルーンやゴリラが実際に生息しているジャングルなど、いくつか本を読んで、いろいろな動画を見て調べて、想像力を働かせて書いたのが『ゴリラ裁判の日』です。

――『無限の月』も主な舞台が中国ですけれども、中国の農村地帯や都市部を細かく描写していて、中国語の表現も登場しています。

 実は僕の妻が中国人でして、妻の出身地の杭州がこの物語の舞台なんです。歴史のあるところで、交差する物語で日本と対になる場所として、すごく面白いなと思ったので。妻に読ませた時に「これ、うちの近所の話だよね?」「この人、うちの親戚だよね?」みたいなことをよく言われました。自分が行った経験とかが生きてきた感じなので、二つの作品の組み立ては全然異なります。

フィクションならたどり着ける

――そして、冒頭で紹介して頂いたラストの部分は、正直、全く予想外で、壮大な展開です。改めて、この本で描きたかったことは何でしょうか。

 ラストはとんでもなく遠いところに話が進んでいくんですけれども、自分のすごく描きたかったこと、自分の中で常日頃考えているようなことではあるんですよね。それは「人間ってどこがダメなのか」ということ。なぜ人間はこんなに愚かなのか、なぜ社会が間違った方向に進んでしまうのか。それに対する僕なりの答えというか。現実にはありえないことだけど、フィクションだったらたどり着けるという気がして。それが物語を書く理由というか、人間を深く、でも現実とはちょっと乖離したところで考えることができるということだと思います。

 いろんな問題って、自分とその他を定義するときに起こってしまうと思うんですよね。自分の国と他人の国とか。自分とその他を区分けする「アイデンティティ」、生きていく上で、自分が自分であることは当たり前だと思うんですけど、その当たり前を疑ってみると実は「私が私であること」は結構幻想に近いというか、自分だと思っているものは実は違うんじゃないかというのを書きたかった。

 そこをもっと考えると、いろいろ人間も変わってくるんじゃないかとも思いながら、ただエンターテインメントとして読んで楽しければいいかなという気もしています。

――「自分は自分であること、自分らしくあることが大事」。最近は特にそういう風潮が高まってますけど、もしかするとそれが自分たちを苦しめているかもしれない?

 苦しめているというよりも、自分たちを逆に見誤ってしまうことになるかもしれない。例えば人間には右脳と左脳があるんですけど、それぞれ別のことを考えて、右と左で全然つかさどるものが違ったりする。それが統合して一人の人間になっているけれども、右脳と左脳が分かれてしまうと、自分の中で2人の人格が出てきてしまうということは実際に現実の世界でもある。実際に自分が自分だと思っているものは、右脳と左脳が交わっている状態なので、実はそこに何か隠れているものがあるんですよね。

――「人間ってどうしてこんなにダメなんだろう」という問いかけは『ゴリラ裁判の日』にも共通していた感じがします。

 そうですね。『ゴリラ裁判の日』は、全ての人に人権が与えられているけど、ではその人権が与えられる「人間とは何か」が、実はあまりクリアじゃないというのが作品のテーマでもあるんです。『ゴリラ裁判の日』は、人間の種としての境界線がどこにあるのかという話なんですけれども、『無限の月』は、一人一人の人間の壁はどこにあるのか、私とあなたがどう違うのかに焦点を当てた物語なので、作品自体が兄弟のような感じですね。

現実と非現実を行き来するのが好き

――今日も和装でお越し頂きました。インタビューの時はいつも和装だそうですね。

 作家として活動する時は、気持ちを入れ替えるためにもユニフォームとして着ています。「作家になりたい」と思っていた時、作家になったら着物を毎日着ようと思ってたんで、その時の気持ちを忘れないようにという思いも込めてですね。

――今、36歳ですが、そもそも小説家になろうと思ったのが30歳過ぎだとか。

 サラリーマンが厳しかったというか、あまり仕事に生きる人間じゃないので、体調を崩してしまいまして。「こんなに体調を崩すんだったらサラリーマンやっていけない」といろいろ考えた時に、小説なら書けるかもしれないって思ったんですよね。元々小説が好きだったのもあるんですけれども、自分の中で趣味程度に書いていたものがあったので、頑張れば書けるかなと思って書いてみたんですよ。でも全然デビューできなくて、3~4年書いて、やっとメフィスト賞で拾っていただいたという感じです。

――どんな本がお好きだったんですか。

 小学生の頃、アトピー性皮膚炎で夜よく寝れなかったので、「寝れないなら本を読めば」と母親に言われまして。ある時ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出会って、こんなに面白い世界があるんだと思って、そこからどんどん翻訳小説に流れていった感じです。なので全然日本の小説を読んでこなかったんですよね。映画も音楽も海外のものにばかり触れてきたんです。

――『無限の月』も、軽々と時空を飛び越えていくところは、ミヒャエル・エンデと通じるものがあるなという気がします。

 そうですね。現実と現実じゃない世界を行き来する話は、一番好きな物語の形です。『ゴリラ裁判の日』も、ジャングルから都会に行って、そこでいろいろなものに出会うという話なので、通じるものはある気がしますね。でもミヒャエル・エンデから、なぜかスティーヴン・キングとかディーン・クーンツ、クトゥルー神話みたいなところに行ってしまいまして。「今自分がいるここから一番遠いところまで行きたい」という思いがあったかもしれないですね。

ジャンルは意識せず書きたい

――でも、あえてSFではないと。

 そうですね。僕もSF大好きなんですけど、SFにすると、やっぱり難しくなってしまう。SFってすごく読者を選ぶと思うんですよね。みんなが読めるんだけど、SFテイスト、ミステリーテイストがある感じの本が書きたいと思ってます。

――『ゴリラ裁判の日』はゴリラに特殊なツールを与えて会話させるという話。『無限の月』はBMIという、脳の中に機械を埋め込んで、それを多くの人間が活用するという、SFのような設定ですよね。

 そうですね。ここにある世界からちょっと外に出た時に、この世界全体が変わってしまうんじゃないか、その一歩先に出るのに、ちょっとしたSF的なアイデアを出しているんです。SFを描こう、ミステリーを描こうとすると、どうしても過去の作家や偉大な作品が作り出してきた道を使わせてもらう感覚になると思うんですよ。それよりも、物語がその一個の存在としてどこまで行けるのか、どうやって行くのかを観察して書いているような状態なんですよね。なので、ジャンルはできれば意識しないで書きたい。

 読んでいる人もすごく読みづらいと思うんですけど、どこか獣道というか、舗装されていない、あまり他の人が描いていない、他の人が通っていない道を通りたいというのもあります。なので、「これは何を描こうとしているんだ」と読者が迷うかもしれないんですけど、物語に身を委ねていただいて、読んでいただきたいですね。

――確かに読んでいてあまり安心感はないですね。『無限の月』も冒頭からどこに飛んで行くのか読めない展開でした。

 一つ一つがちゃんと一歩一歩、前にまっすぐ進んでいる道を用意するのが一番読みやすい本だと思うんです。けれども、飛び石的にこっちからこっちにジャンプして、ある意味ジャングルジムじゃないですけど、子供の遊び場みたいな、歩きづらいんだけど、こういう歩き方ってしたことないから楽しいんじゃない? みたいな、ちょっと遊び心のあるような感じのものが書きたいというのもあります。

僕の外から物語が流入してくる

――物語は自分が思いついて書くんではなくて、降りてくるものが出てくる、それに書かせてもらっているんですか?

 降りてくるというより、借りているという感じですね。例えば、『無限の月』は杭州を舞台に選んできたときに、杭州から立ち上がってくる歴史とか、いろんな過去の人物のものを借りられるんですよね。物語や登場人物にちょっと憑依させると、僕の外から物語が流入してくるというか。

 自分の中だけで完結する物語ってあんまり面白くならないと思うんですよ。僕自身がそんなに面白い人間ではないので。『ゴリラ裁判の日』でも自分が知らないゴリラのことをいろいろ調べて、つなげていって、キャラにひと味できたりとか。そういうものがあると物語が自分から切り離されていくというか、独立した存在として育ってくれる感じがしますね。なので「もっとシーンを増やした方がいいんじゃないの」みたいに、勝手にキャラクターから提案されたりして、僕が考えた通り動かないんですよ。

――『無限の月』で言うと、ラストで登場人物が一気に目的地にたどり着かずに、行ったり来たりする場面は、作家と登場人物が闘っている感じがしました。

 そうなんですよ、「キャラクターがそこに行きたいって言うんだったら行かせてあげるしかないじゃん」みたいな。僕の中で自分のイメージって、すごく弱い映画監督みたいな感じなんですよね。主演はすごい有名な俳優で、何か言われたらこっちはもう下がるしかない。そういう感じで物語が進んでいくんですよね。

――「メフィスト賞」という、「面白ければ何でもあり」が売りの賞でデビューしましたが、それも何かの縁だったんでしょうか。

 やっぱり僕は、ちょっとはみ出てる部分があると思います。メフィスト賞の器が大きいのでしょう。やっと自分を認めてくれるところを見つけたという感じです。本当に「面白ければ何でもあり」って言っていただけるので、自由にやれてるなという気もしますし。「一作家一ジャンル」とよく言われてて、僕もあまり他の人の枠にはまったりしないで、須藤古都離っていうジャンルでいいのかなって。

――次回作は考えているんですか?

 来年の春に発表する予定ですけど『ゾンビがいた季節』というタイトルです。ゾンビが出てこないゾンビものです。

――『ゴリラ裁判の日』や『無限の月』に共通する大きなテーマは、次回作も何かしら盛り込まれるような感じですか?

 ガラッと違うテーマになると思います。あまり自分の枠を決める必要はない、可能性を探りたいというか、違う路線のものをどんどん描いていきたいなと思っています。

【好書好日の記事から】

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