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「さみしい夜にはペンを持て」古賀史健さんインタビュー 「書くこと」で救われる心がある

古賀史健さん=家老芳美撮影

誰のためでもない「自分のため」

——これまでも大人の読者に向けて文章の書き方の本を執筆してきました。「中学生に向けて本をつくりたい」と思ったきっかけは何だったのでしょう。

 一般的な文章術の本だと、どうしても「読むだけで文章がすぐにうまくなる」みたいな効果を求められがちですよね。でも、今回は「役に立つ・立たない」という軸からいったん離れて、自分のために文を書くってどういうことなのか、「書くことのおもしろさ」について、じっくりと伝えられるような本をつくりたかったんです。それが一番ダイレクトに届くのはどの世代なんだろう?  と考えたときに、浮かんできたのが中学生だった。

 中学時代って、自分と他者との関係性で悩みながら、少しずつ自我を確立していく時期ですよね。孤独に陥りやすいときでもある。でも、「孤独」って実はそんなに恐ろしいことでも悪いことでもない。いつでも誰かとスマートフォンでつながれる時代だからこそ、「ひとりで考える時間」って必要だと思うんです。ちゃんと「ひとり」になって、自分と対話するように日記を書いてみる。毎日、書き続けることで、胸のモヤモヤが言語化されて、自分の内面や他者との関係性が見えてくることもあるんじゃないか。そんな思いで、中学生に向けた本をつくりました。

——主人公は「うみのなか中学校」3年生のタコジロー。クラスメートとの関係やヤドカリのおじさんとの対話を通して、タコジローの視点でストーリーが進みます。舞台を人間の世界ではなく、「海」にしたのは?

 打ち合わせのとき、編集の谷さん(ポプラ社一般書企画編集部の谷綾子さん)から、「古賀さんが書く『物語』が読んでみたいです。主人公はタコの男の子でどうですか」と提案されて。「え〜っ、無茶振りだよ〜!」と最初は驚きました(笑)。

 『君たちはどう生きるか』のように、人間の少年を主人公にすることもできたと思うんです。でも、自分が今どきの中学生になって一人称で書いた場合、どうしてもそこにジェネレーションギャップが出てきてしまう。読者である中学生に「この本、ウソっぽい!」と切り捨てられるかもしれない。だったら、「タコジロー」というキャラクターの力を借りて、海のなかというファンタジーの世界で物語を展開したほうが、いまを生きる現実の中学生たちにも受け入れてもらえるんじゃないかと思いました。

「ことば未満の思い」表現するには

——「文を書くのが苦手」というタコジローをやさしく導くヤドカリのおじさん。二人のやり取りを読んでいるだけで、自然に「日記を書いてみようかな」という気持ちに。ストーリーを追っているうちに、ノウハウの部分もスーッと頭に入ってきます。

 一般のビジネス本のように書くと、どうしても「文が書けるようになる秘訣を君たちに教えてあげよう」というエラそうな雰囲気になってしまうと思ったんです。それは避けたかったので、物語のなかに実践的な文章の書き方のヒントを散りばめる構成になりました。

 執筆するとき心がけたのは、タコジローの目線で「書くこと」への疑問を掘り下げること。ヤドカリのおじさんの回答もぼくが考えるので、「自分に質問をぶつけて、自分で答える」という作業になりますが、タコジローとしての疑問をことばに書き表していくなかで、「こういうことを自分はずっと考えていたんだな」という気づきがたくさんありました。

——文にすることで自分の思考が整理されるということですよね。書く前の「ことばにならない思い」のことを、本書では「コトバミマンの泡」と表現しています。

 頭のなかにふわふわと浮かんでは消える、まさに「ことば未満の思い」をどう文章としてアウトプットすればいいのか。そこに、どんなことばを与えていくのが適切なのか。文章に置き換えていく過程で、それは自分自身の「考え」として、はっきりとかたち作られていきます。

 たとえば、多くの子どもたちが苦手とする読書感想文。「いざ書こうとすると、何も思いつかない」って、よくあるお悩みですよね。でも、「おもしろかった」というひと言しか出てこないときは、その「おもしろさ」をもっと細かく分解していけば、自分の心にちゃんとフィットする表現が出てくるはず。手っ取り早く浮かんだことばに飛びつかず、違う言い方ができないか、面倒くさがらずに「粘ってみる」ことを習慣づけると、だんだん自分自身のことばで書けるようになると思います。

——「ていねいに書きなさい」と指導されてもピンと来ないですが、ヤドカリのおじさんのように「場面をスローモーションで再生して書いてみて」と言ってもらえるとすごく分かりやすい。

 これも書きながら試行錯誤して、出てきたことばですね。「情景が浮かぶように具体的に書けと言われても……」と悩む子たちに向けて、彼らの生きている世界のなかでイメージが湧くようにいろいろ考えました。「今日はアイスクリームを食べた。おいしかった」が「早送り」の文章。でも、アイスクリームを食べる場面を「スローモーション」にして、細かく区切って書いてみると、もっとおもしろくて自分らしい表現になっていく。

「ラフが上がるたびに楽しみだった」という、ならのさんのイラストも魅力。

「書くこと」で自分自身と対話

——ヤドカリのおじさんとタコジローくんの対話で語られるのは「自分自身とどう向き合い、どう生きていくか」。大人にとっても難しい、哲学的なテーマです。

 自分が中学生のころを振り返ると、当時のぼくなりに一生懸命いろんなことを考えて生きていたと思います。村上春樹さんが『海辺のカフカ』(新潮社)を発表したとき、カフカ少年について「15歳でこんなことを考えている子はいないんじゃないか」という感想もあったそうです。それに対して村上さんは、「中学生を見くびっている。自分の中学時代を思い起こせば、これくらい世界を真剣に眺めていたはずだ」と反論されていて。本当にその通りだと思いますし、今回の本も中学生向けに書いてはいるけれど、「子どもだまし」には絶対にしたくなかった。「ここまで掘り下げて書いても、きっと読者である子どもたちはついてきてくれるはず」という信頼が根底にありました。

 思春期のころは、コンプレックスがたくさんあって、人間関係の悩みだって切実。大人になったら、住むところもつき合う友人も仕事も自由に選べるけれど、中学生だと今の環境や人間関係をすべてリセットすることって難しい。そんななかで未成年でもできることって、「書くことを通じて自分と向き合うこと」だと思うんです。

 どんなに自分のことが嫌いでも、そんな自分とは一生付き合っていかないといけない。「日記を書いたら人生ががらっと変わって、すべてがうまくいく」なんてミラクルは起きないけれど、少なくとも「いま」をなんとかやり過ごすことができる。もしかしたら、自分のことをちょっとでも好きになれるかもしれない。そしていつか、広い海へ飛び出す準備をしておけばいい。自分を取り巻く世界について真摯に考えている中学生に、この本が届けばいいなと思っています。

「あのときの自分」に向けて書く

——古賀さんもずっと日記をつけているそうですね。

 一番、熱心に日記を書いていたのは大学生のころだったかも。それこそ、最初のほうのタコジローくんのように「彼女に振られた」「もういやだ」みたいな感情をぶちまけるような日記(笑)。なんだかみっともないと思って、上京するタイミングですべて処分してしまったんです。今考えるともったいなかったですね。

 「note」に日々のことを書くようになって8年半くらいたちますが、やっぱり書きながら分かってきたことってたくさんある。タコジローくんの疑問も、ヤドカリのおじさんのアドバイスも、実際に日記を書いてきた経験から生まれたものなので、嘘やきれいごとは一切ありません。日記はとにかく続けることが肝心で、空振りでもいいから、毎日打席に立つ。そういうスタンスが、自分の文章のリズムをつくるうえでもいいんじゃないかな。

——「書き続ける」ことが大事なんですね。中学時代の古賀少年にこの本を読んでほしいですか。

 この本に限らず、どんな原稿でもどんな本でも「あのときの自分に教えてあげたい」という気持ちで毎回つくっています。思春期まっさかりの中学時代の自分、モヤモヤしていた20歳の自分、30歳でフリーランスになって一番悩んでいた自分……。「当時の自分と同じ悩みを抱えている人は世の中にたくさんいて、そんな読者にはきっと届くはずだ」という思いがある。いつでも「あのときの自分」の存在が本をつくる原動力であり、自分の本の最初の読者だと思っています。