「読み手の感覚でインタビュー」
『男と女』には、唯川さんの写真入りカラー帯がついており、「男は世間体をとり 女は自分をとる」「35歳以下、閲覧注意!」といったドキっとするコピーが大きな文字で記されている。作家・唯川恵さんが68歳にして初めて執筆した新書だ。
「私より年上の作家で恋愛小説をバンバン書いていらっしゃる方はいます。でも、私自身は、作家としても個人的にも、もう恋愛に燃える歳じゃないかなって思っていました。40代後半から女性の生き方について書くほうがしっくりくる感じがしていて、2017年には登山家の田部井淳子さんをモデルにした小説を出版しました」
そんな時、長い付き合いのある担当編集者から、さまざまな女性の恋愛話に耳を傾け、唯川さんが切り込む新書の企画を提案される。「恋愛で女性が何をどう考えているかを知ることは、ライフハックの一種です。新書なら男女を問わず、ビジネス書と同じような感覚で読んでもらえるのでは」という編集者の提案に乗ることにしたという。
取材は5年前からスタートし、担当編集者が友人や知人に声をかけて、取材に応じて話してくれる人を探すところから始まった。人間、何十年も生きていれば、身近な人には言えない恋愛のひとつやふたつを抱えているもので、みなさん取材に協力的だったという。
「プライバシーの問題もあるので、お話をお伺いした上で、脚色は加えています。小説を書いている時は、登場人物と並走していくイメージですが、今回は語ってくれる人と向かい合いました。読み手感覚でインタビューできたので、新鮮で面白かったですね」
きつい言葉に怒るどころか…
本書に登場するのは36歳から74歳までの未婚、既婚、離婚経験者12人の女性だ。不妊治療で子どもを授からなかったのちに、会社の同僚と再会してセックスに目覚めた47歳、他人の男を奪い続けて、今は幸せな家庭を築いている44歳、婚約破棄され、男性を信じられなくなった36歳、余命1年で夫と友人の不倫を知った74歳などが登場する。唯川さんは彼女たちのエピソードをリアルに描き出し、自身の恋愛観や経験などを振り返りつつ、感じたことをストレートに綴っている。その唯川さんの言葉は、まさに「一刀両断」で、中にはかなり辛辣なものもある。
「もちろんお会いしてお話している時に、直接ひどいことを言っているわけではないですよ。事前に、原稿には辛辣なことも書くとお伝えした上で、ご協力いただきました。コロナ禍ということもあり、それなりの時間を要したので、取材時は特に感じていなくても、『やっぱりどう考えてもこの子はアホだな』と思うこともありました。やはり熟成期間は必要だったと思います。感じたことをズバズバ言わせていただけたので、気分も爽快でした(笑)」
本書に登場する女性が、唯川さんからどんなことを言われているかを知ったのは、新書が発売されてから。担当編集者によると、きつい言葉に怒るどころか、「誰かに叱ってもらったからうれしかったです」などと喜んでいる人が多かったという。
「ほんと怒られなくてよかったです。みなさん寛容に受け入れてくださってありがとう、という気持ちです」
「事実は小説より奇なり」とよく言われるが、実際に当事者から個人的な恋愛話を聞くことは、唯川さんにとって大きな刺激になったという。
「小説として恋愛を書く時は、ある程度筋道を立てます。こういう出会いで、こんな行き違いや誤解があって、こうなる、と組み立てていきます。でも、実際の話を聞くと、そんなことはどうでもいいんですよね。だって、好きになってしまったんだから。もし今回の内容をそのまま小説で書いたら、絶対に担当編集者に『省きすぎです』って指摘されます。けど、生の声を聞くと、だいたいひと目で好きになって、その理由はぜんぶ後付けなんですよね」
「恋愛至上主義」時代は変わった
女性たちのさまざまな話を聞いていると、必然的に唯川さん自身の過去の恋愛経験や、恋愛への価値観と真正面から向き合うことになる。
「もう振り返りっぱなしです! 恋愛には成功と失敗じゃなくて、成功と教訓があると思っていたんですが、恋愛の成功ってなんなんでしょうね。その瞬間は成功したと思っても、その先があるわけで。恋愛で教えてもらえるのは失敗しかないと、今は、感じています」
唯川さんが若い頃は、「恋愛至上主義」がはびこっていて、いくら仕事で充実して、お金を持っていても、恋愛がなければ人生つまらないという世間の風潮があったという。
「人生がうまく回っていなくても、最高の恋愛をしていたらそれでオッケー、みたいな感覚はありました。一方で、私も恋愛しなくちゃ、と縛られるものでもあって……。恋愛という存在自体はかなり大きかったと思います」
本書には、大手百貨店でキャリアを重ね、交際していた男性がいたこともあったが、彼よりも「推し」の役者との時間を大切にしたいと悟った瞬間、「これからは自分の好きに生きていこう」と気づいた女性が登場する。「恋愛至上主義」時代を生き抜いてきた唯川さんにとって、彼女の話は特に印象に残ったという。
「結婚しなきゃいけない、子どもを産まなきゃいけない、といったしがらみを自分で捨てる、もしくは選択しない、ということが今の時代ならできる。彼女のように、自分の好きなことをやって、自分の人生を自ら選んでいる人がいる。私が歩んできた人生と今は大きく変わりつつあるなと思いました」
登山も恋愛も「続けることが大事」
40代後半で結婚した唯川さんは、今では68歳。年齢を重ねたことで、かつては情熱的だった恋愛からゆっくりと遠ざかり、今では穏やかに、日々楽しく暮らせることに重きを置くようになった。
「正直、女友達にも面倒なところはあって、一人遊びがちゃんとできる年寄りになりたいな、って思っています。そういう心境になったのは、65歳を超えて“高齢者”と呼ばれるようになってから。自分が高齢者になる前は、高齢者の方々に対して気を遣っていたところがあるけれど、今は自分が高齢者なんだから、何を言っても、何を書いてもいいはず! と思い切れるようになりました。歳を取っていることを面白がってもオッケーな年代になったというか。周りから『そんなに歳だから、って言わないほうがいいよ』と言われることもあるけど、今こそうまいこと使わないと!」
本書の「おわりに」にこんな言葉がある。
恋愛とは何か。それは永遠の謎である。
謎に向かっていくのは冒険である。そして冒険に怪我はつきものだ。
冒険に向かうのか、引き返すのか、それは自分自身が決めることである。恋愛小説の名手と呼ばれ、自身もさまざまな恋愛を経験してきた唯川さんはどちらのタイプなのだろうか。
「小説を書くことで随分冒険をさせてもらって、それはそれで面白かったです。恋愛は未知なことばかりで、未知に向かうことはまさに冒険。でも、恋愛をしないという冒険もあると思います。恋愛は人生という言葉に置き換えてもよくて、じっくり考えて自分で選択して、ちゃんと“落とし前”をつけられるのであれば、どんな人生であってもオッケーなのかな、と思います」
軽井沢に暮らし、登山が趣味でもある唯川さん。山登りもまた恋愛に通ずるものがあるようだ。
「ものすごく苦労して山に登ったのに、頂上は吹雪で何も見えないということはよくあります。恋愛でも、この人のためにあんなに頑張ったのに、結局、彼が一体どういう人間だったのかわからなかった、ってこともありますよね。同じ山を登るにしても、今回のルートは辛いな、意外と前回のルートの方が楽だったなと感じることも、途中で滑落することもあるでしょう。登山にしろ、恋愛にしろ、仕事にしろ、ある程度続けることが大事なんじゃないかと思います」
新書という形だからこそ、普段、恋愛小説を手に取らない人にも届きやすくなっている。しかし、気軽な気持ちで読み始めると、匿名の女性たちが赤裸々に語った恋愛はどれも生々しく、感情が激しく揺さぶられる。さらには唯川さんの辛辣な言葉が追い打ちをかける。それでも、そこには確かに、女性たちが生き抜いてきた証があり、それに触れることで、自分も否応なく自身の恋愛や生き方について考えることになる。帯のコピーにあるように、まさに「閲覧注意」ではあるものの、男女や年齢を問わず、手に取る価値はある。