ISBN: 9784794973764
発売⽇: 2023/09/25
サイズ: 20cm/374p
「母を失うこと」 [著]サイディヤ・ハートマン
過去の制度や出来事は、誰のどのような視点で記憶され、記録されてきたのか。著者は自らの個人的な物語を通して、読者に問いかける。
米イェール大学の図書館で、院生であった著者は、奴隷の証言集に高祖母の名を偶然見つけ、奴隷航路をたどる旅がはじまる。奴隷制時代の記憶について「何もないね」と語った高祖母。著者は愕然(がくぜん)とする。拷問や性的暴行など、奴隷の経験には恥辱がつきまとう。記憶することは、忘れたいという意思との葛藤を生むのだ。
著者は奴隷たちが生きた証(あかし)をたどろうと、奴隷貿易の中心地ガーナをめざす。だが現地では、奴隷の姿は不在であった。そして、彼女自身が「よそ者」であることを思い知る。
著者によれば、アフリカ人は奴隷貿易で兄弟姉妹ではなく、親族や部族関係の外にいる者を売り飛ばした。奴隷の子孫は「よそ者」。ガーナの人々は、アフリカ系アメリカ人が恥じることなく奴隷の出自を公言するのを不思議に思い、奴隷貿易におけるアフリカ人の責任には沈黙する。
平均日当が1ドル以下のガーナの人々にとって、アフリカ系アメリカ人は裕福で特権的な存在だ。「アメリカへと向かう奴隷船が今日、出港しようとしているなら、乗船を希望するガーナ人が殺到するに違いない」と冗談にされ、著者は苛立(いらだ)つ。奴隷制がもたらした序列や価値は今なおアメリカで黒人の生を脅かしている。それはガーナでは現実味がなく、著者は嫉妬のまなざしすら向けられる。
アメリカでもアフリカでも、奴隷の記憶を根こぎにし、存在の証拠を消し去ろうとする巧妙な仕組みがある、と著者は指摘する。旧奴隷収容所が観光アトラクション化していても、奴隷たちはそこにいたはずだ。著者は想像力を用いて、その凄惨(せいさん)な現場を描き出そうと試みる。血と糞尿(ふんにょう)と皮膚が積もった地下牢で檻房(かんぼう)に繫(つな)がれた少年。奴隷船上で片足を縛られマストに吊(つる)され、拷問を受け、殺された少女。著者の気骨に敬服する。
黒人(ブラック)ディアスポラ(離散の民)が移動した大西洋(アトランティック)。その航路をたどる原著は、2007年に出版され高く評価されてきた。奴隷制を学ぶ上で優れた論考である。巻末ノートで、訳者は沖縄で目の前に広がる太平洋を見つめながら、記録されなかった数多(あまた)の命について触れている。権力者、勝者の記録が歴史となり、敗れた者や周縁の者、女性や子どものその後の生をも規定するのか。本書が投げかけた問いは日本で生きる私たちが考えるべき重大な問いでもある。
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Saidiya Hartman 米国の作家、研究者、思想家。コロンビア大教授。専門はアフリカン・アメリカン研究、フェミニスト・クィア理論など。2019年にマッカーサー・ジーニアス賞受賞。