40年ほど前、ベテラン編集者に薦められた本が『悪文』だった。駆け出しライターのぼくは、書名を見てムッとした。そんなにオレの文章はひどいのか。ところが、読んでびっくり。よくできた文章術指南書だ。
たくさんの悪文例が出てくる。新聞記事もあれば、小学生の作文もある。多種多様。どこが悪いのか、何が悪いのかが指摘され、どうすれば改善できるかが書かれている。すべてが具体的で実用的だ。初版刊行から60年以上経っても、伝わる文章を書く要諦(ようてい)は変わらない。
編著者の岩淵悦太郎は国語学者。「はじめに」によると、岩淵のほか7人が分担執筆したとのこと。「構想と段落」「修飾の仕方」など、それぞれの視点で悪文を添削する。複数による多角的な視点ということも本書の魅力のひとつ。岩淵は『岩波国語辞典』の編者のひとりとしても知られる。
文章術を説く本はたくさんある。ベストセラーになる本もあるし、泡のように消えていく本も多い(恥ずかしながら、ぼくも書いたことがある)。『悪文』が長く読まれ続けている理由はなんだろう。
いちばんは書名。25歳のぼくが思わずムッとしたように、衝撃力がある。よく考えると、なかなか奥深い。悪文でなければいいのである。美しくなくても、凡庸でも、ダサくても。伝わりさえすれば、あとは自由ってことじゃない?
今回、あらためて読み直してみて、悪文例がなかなか面白いことに気づいた。なかには1960年に起きた「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」関連とおぼしき新聞記事もある。報道によって追い詰められた犯人が被害者を殺したといわれ、のちに報道協定がつくられるきっかけとなった事件だ。悪文例の出典が明記されていないのが残念。
それにしても、悪文はほんとうにダメなのか。たとえば好きな人に思いを伝えるとき、ヘンテコな文章のほうがグッとくるということはあるよね。=朝日新聞2024年1月13日掲載
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角川ソフィア文庫・880円。18刷3万部。「伝わらない文章には普遍性がある」と担当者。日本評論社刊の単行本も発売中。