言葉は人間の生のあらゆる側面に浸透し、じつに多彩な姿を見せる。哲学者はそれでも、言葉の本性を見極めようとして「言葉の意味とは何か」と果敢に問う。
本書は言語哲学の基礎を築いた3人の天才たち(フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン)の知的格闘をスリリングに描く。ただし、教師的な解説でも、物語的な英雄列伝でもなく、天才たちの思考の息遣いをじっくりと追う。
いくつかの問いが本書を貫くが、その一つが「新たな意味の産出可能性」の問題である。私たちはこれまで出合ったことのない新たな意味をもった文を無数に作り出すことができ、容易にそれらを理解できるが、それはどうしてなのか。
この問いには、一見、「要素主義」が明快な答えを与えてくれるようにみえる。私たちは文の意味に先立って、文の要素である語の意味を理解することができ、そのような語をいろいろ組み合わせることで無数の文を生成できるというわけだ。
しかし、フレーゲはこの「明快な」答えを拒否して、「文の意味との関係においてのみ語の意味は決まる」という画期的な「文脈原理」を提唱する。だが、その一方で、「文を構成する語の意味が決まれば文の意味は決まる」という「合成原理」を唱えて、新しい意味の産出可能性を確保しようともする。
こんな「いいとこ取り」が可能なのか。この二つの原理は矛盾しているのではないか。じっさい、ラッセルは要素主義の方向で猛進しようとする。しかし、ウィトゲンシュタインはあくまで文脈原理を尊重する。この錯綜(さくそう)した関係を解きほぐす著者の手綱さばきは見事だ。ぶが悪いラッセルの見解もその純粋さが魅力たっぷりに描かれる。
本書には随所に「少し考えてみて」のマークが挿入されている。読者はそれに促されて、おのずと天才たち(そして著者)とともに考え、思考の醍醐(だいご)味を味わうことだろう。=朝日新聞2024年1月20日掲載
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岩波新書・1100円。昨年10月刊。5刷2万5千部。「やわらかい文体も評判。言語への関心の高まりも受けていそう」と担当者。