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「彰義隊、敗れて末のたいこもち」書評 硬軟自在に生きた男の自由な魂

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2024年01月27日
彰義隊、敗れて末のたいこもち 明治の名物幇間、松廼家露八の生涯 著者:目時 美穂 出版社:文学通信 ジャンル:伝記

ISBN: 9784867660201
発売⽇: 2023/11/10
サイズ: 19cm/375p

「彰義隊、敗れて末のたいこもち」 [著]目時美穂

 「事実は小説より奇なり」は手垢(てあか)がついて久しい言葉だ。ただ本書がひもとく明治の幇間・松廼家露八の生涯を前にすると、そう呟(つぶや)かずにはいられない。
 天保4(1833~4)年生まれの彼の本名は土肥庄次郎頼富(よりとみ)。徳川御三卿の一つ、一橋家家臣の嫡男(ちゃくなん)に生まれるが、遊蕩(ゆうとう)が元で廃嫡(はいちゃく)され、吉原の幇間となる。
 たいこもちとも呼ばれる幇間は、遊郭の座敷などで場持ちをする芸人。客と周囲の人々すべての関係を取り持たねばならぬため、数ある芸人稼業の中でももっとも難しい仕事という。
 ただ自ら幇間となった割に、露八はそんな勤めにただ邁進(まいしん)したわけではない。ゆえあって上方に赴いた彼は、幕末の動乱に接しては突如、幇間の仕事を投げ捨てて幕府方の間諜(かんちょう)となり、蛤御門の変にも参加する。江戸に戻ると上野寛永寺を本営とする彰義隊に加わり、上野陥落後は榎本武揚率いる旧幕府艦隊に乗り込んで蝦夷地を目指そうとする。もっとも露八が乗った咸臨丸は本隊とはぐれて漂流し、現在の静岡県清水に流れ着く。露八たちはここで明治政府軍の捕虜となるが、そんな一行を一時期匿(かくま)ったのがあの博徒・清水の次郎長というから面白い。
 新政府から解放された露八は、再び吉原の幇間に戻る。ただ本書の筆者は、そんな彼の後半生に常に落ちる幕末の影を指摘する。
 露八は今までも、多くの創作物に登場する。中でも著名な作は吉川英治の『松のや露八』だろう。そこにおいて露八は万事気が弱く、女に振り回されがちな親しみやすい人物に設定されている。だが本書は数々の逸話から、魂の半分は幇間として自由に、残る半分は武士として亡き戦友たちに思いを馳(は)せ続けた男の姿を浮き彫りにする。その丹念な調査は露八の複雑さをよみがえらせると同時に、人間という存在の複雑さ面白さ、そしてあらゆる喜怒哀楽をのみ込む時間の流れの容赦のなさをも教えてくれる。
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めとき・みほ 1978年生まれ。古書情報誌編集に2010年の休刊まで携わる。著書『油うる日々』『たたかう講談師』。