きっかけは読書感想文の選評
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
宮島:幼稚園で毎月絵本を何冊か選んで注文できたので、買ってもらって読んでいた記憶があります。でも何を読んでいたのか、具体的な内容までは憶えていないです。
それとは別にすごく憶えているのが、NHK教育で「こんなこいるかな」という、いろんな子が登場するアニメをやっていて、キャラごとの絵本があったんですね。それを全部持っていました。
――本が好きな子供でしたか。
宮島:親からいつも何か読んでいたと聞いています。ただ、この「作家の読書道」の連載を読んでいつも思っていたのは、家にいっぱい本があったという方が多くて、すごく羨ましいなってことでした。そういう人たちは貴族で自分は雑草育ちだな、という感じで。私の両親は全然本を読まなかったと思うんですよね。家には漫画しかなくて、憶えているのは「こち亀」(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)と『フリテンくん』と『ビー・バップ・ハイスクール』。充実した蔵書はなかったんです。なので「作家の読書道」を読みながら、小さい頃に家にそんなに本があったらそれは将来作家になるよねって、ルサンチマンを感じていました。住んでいたのは静岡県の地方都市で、近くに本屋さんもないし、図書館に行くのも親に車を出してもらわないといけなかったので、文化的なものとはちょっと離れた子供時代を送っていました。
――では、小学校に上がってからは学校の図書室を利用したり?
宮島:図書室は利用していました。3年生からしか借りられないと言われ、はやく3年生になりたいなと思っていました。3年生になってからは結構熱心に借りていたと思います。伝記が好きでした。文字の大きな本や漫画でヘレン・ケラーの伝記などを読んだりして。音楽家の伝記も好きでした。音楽室に肖像画が飾ってあるから身近な気がしたんですよね。シューベルトの伝記はすごく憶えています。こんなに早く死んだのにこんなに有名なのか、と思っていました。
――国語の授業は好きでしたか。
宮島:小中学生の頃は、好きとか嫌いとかではなく、得意でした。でも高校生になったらすごく苦手意識が生まれました。全国平均でみたら出来ないわけではなかったと思うんですが、センター試験でも他の教科は9割以上とれるのに国語だけは8割くらいしかできなかったんです。古文や漢文は分かるんですが、現代文がまったく分からなくて勘でマークシートを塗っていました。
――へええ。では、小学生の頃、作文とか読書感想文はいかがでした?
宮島:書かされて書いたら「うまい」と言われたから「自分はうまいんだ」と思っていましたが、書きたくて書いていたわけではないです。それは今にも通じていて、小説を書いていても楽しいというよりしんどいことのほうが多いです。そう言われてみれば、勉強も、成績はいいんだけれど全然やりたくなかったという感じでした。
以前エッセイにも書いたんですが、竹下龍之介さんの『天才えりちゃん金魚を食べた』という、執筆当時6歳だった竹下さんが妹との日常を綴った、子供の字で書いた絵本があって、それを読んで読書感想文を書いたんですね。小3の時です。その読書感想文が市のコンクールで入選して、作品集に載ったんです。ひとつひとつに選評みたいなものがついていて、私の作文には「あなたの文章には、人をひきつけるみ力があります。未奈さんも、お話を書いてみたらどうですか」とありました。たぶん選考委員の先生が書いたと思うんですけれど、それを読んで「私ってそういう才能があるんだ」と思って。それで、お話を書き始めました。漠然と「作家になりたい」と思い始めたのがこの小3の時だったというのは、はっきり憶えています。
――どんなお話を書き始めたのですか。
宮島:恋愛小説だった気がします。よく憶えていないんですが...。学校が舞台で、誰が誰を好きで、みたいな話だったのでジャンルは恋愛だと思う。原稿用紙に鉛筆で書いていた記憶はあって、ひとつの話が10枚くらいだった気がします。
――ちなみにごきょうだいっていらっしゃるんですか。読むものを共有していた、とか。
宮島:妹がふたつ下で、弟が7歳下です。妹とは「りぼん」を一緒に読んでいたんですけれど、好みが違うので感想を話し合うような感じではなかったです。
「りぼん」の連載では、『こどものおもちゃ』が流行っていました。主人公の紗南ちゃんが私と同い年なんですね。同世代ということで楽しく読んでいました。
――読書以外に何か夢中になったものはありましたか。放課後どんなふうに過ごしていたのかな、と。
宮島:結構ゲームをやっていた記憶があります。マリオやドクターマリオやテトリスをよくやっていましたが、小学校高学年くらいからダビスタにはまりました。「ダービースタリオン」という、競馬の馬を育てるゲームですね。もともと父が競馬好きで小さい頃から中継を一緒に見ていたんです。それで競馬ゲームがあると聞いてやってみたらはまり、小学生の頃から始めて中高もずっとやっていました。ファミコン、スーファミ、プレステと時代に応じてゲーム機も変わっていくんですけれど。なので中高の頃は何をやっていたかといったら、ダビスタか勉強って感じでした。
――他のゲームと比べてとりわけそれが面白かったのはどうしてだったのでしょう。
宮島:一応G1に勝つといったゴールはあるんですけれど、それ以上に、自分で強い馬を作るのがよかったのかな。同じ配合でも全然違う馬が生まれるという、今でいうガチャっぽい要素があって面白かったんですね。育て方も、調教メニュー次第でパラメーターが伸びていくので、攻略方法が分かる雑誌や本を読んで試してみるのが好きでした。
――大人になってから、ご自身で予想して馬券を買ったりはされていたんですか。
宮島:父と一緒に見ていた頃から、「どれがいい?」と訊かれて予想もしていたし、若い頃はやっていました。今でもたまに大きいレースはテレビで見ますが、すごく追っているわけではないです。馬券があまりに当たらなくて、25歳の時に私はもう一生馬券を買うのはやめようって決めたんです。
ただ、今でも何かを競馬にたとえたりはしますね。新作の『成瀬は信じた道をいく』にディープインパクトが出てきますが、ディープインパクトが活躍した頃は大学生だったので京都競馬場によく行ってました。
競馬のいちばん古い記憶が1988年の菊花賞。武豊騎手がスーパークリークではじめてG1を勝った時なんですよ。私が幼稚園の頃から見ていた人が今も現役っていうのはすごいなと思います。横山典弘騎手もメジロライアンの頃から憶えています。それと似た話でいえば「こち亀」も小学1年生くらいから読んでいるんですよね。ずっと変わらずそこにある、みたいなものに心惹かれているかもしれません。
恋愛小説が好き
――中学生時代はいかがですか。学校の図書室は利用していましたか。
宮島:中学校は校舎が古くて、図書室も暗い感じだったのであまり行っていなかったです。
中学生の時にこれを読んだ、というので浮かぶのは渡辺淳一さんの『失楽園』です。中2の時にすごくブームになって、単行本上下巻を買ったんだったか買ってもらったんだったか分からないんですけれど持っていて、先生に「貸して」って言われて貸した記憶があります。なので確実にその時期に読んだし、なんか、うまく言えないけれど、面白いなって思ったんですよね。最近読み返したんですが、すごく吸引力がありました。そこから「この人ほかにどんなものを書いているんだろう」と思って渡辺さんの他の本も読むようになり、『阿寒に果つ』を読んだんです。一人の天才少女画家に振り回された男たちの話で、章ごとに別の男の視点で書かれてあって。中学生でそれを読んだ時に、こういう書き方があるのかって思いました。中心人物である純子という少女について男たちは語っていくけれど、本人は語らない。でも、それぞれの男にどんな面を見せたか視点を変えて書いていくことによって、純子という人物が浮かび上がってくる。考えてみたら、私はそれを『成瀬は天下を取りにいく』でやっているんですよね。『阿寒に果つ』を思い出した時、そうか、これが元だったのか、と。もちろんそういう形式の小説は他にもたくさん読んできましたが、その形式をはじめて知ったのはこの作品でした。
――中学生時代はどのようなものを書いていたのですか。
宮島:「ロミオとジュリエット」の文庫本を読んで、それを見ながらロミオとジュリエットの名前を身近な人の名前に変えて書いたりしていました。誰にも見せなかったんですけれど。
それと、中学生の頃、「公募ガイド」の存在を知るんです。この出合いは大きかったですね。いろんな公募の賞があることを知って、自分も何か応募できるかもと思いました。だけど小説の賞というと原稿用紙100枚といったものが多かったので、「そんなに長いものは書けない」と思い、川柳コンクールとか標語コンクールに葉書で応募して参加賞をもらったりしていました。手紙文の賞に応募したら入選して、授賞式に招待されたこともありました。
――その後の読書生活は。
宮島:記憶が曖昧で中学時代か高校時代か分からないんですが...。10代の頃読んでいた記憶があるのが村山由佳さん。『天使の卵』を読んでいいなと思ったんですよね。やっぱり自分も恋愛小説を書いていたから、読むのも直球な恋愛小説が好きだったんです。『天使の卵』は今も好きですけれども、その頃読んですごく刺さりました。そこから『BAD KIDS』とか、『おいしいコーヒーのいれ方』のシリーズなども読み、村山さんの小説は今に至るまでずっと読んでいます。
それと、小説家になりたいという気持ちがあったので、久美沙織さんの『新人賞の獲り方おしえます』という小説家志望の人に向けた指南書のシリーズをすごく読んでいました。印象に残っているのが、うろ覚えですが、自分が泡立てようとしているのが生クリームなのか牛乳なのかはかき混ぜてみないと分からない、みたいな話。その人が作家になれるかどうかは、作家にならないと分からないっていうことの比喩ですよね。作家デビューした時にそれを思い出して、ああ、私は生クリームだったんだって思ったんです。
久美さんは氷室冴子青春文学賞の選考委員をされているんですが、その選評で『成瀬は天下を取りにいく』に触れてらしたんですよ。もうすごく驚きました。
他には、当時モーニング娘。がすごく流行っていて、私も好きでテレビを見たりCDを聴いたりしていたので、つんくさんがメンバー一人一人を掘り下げて書いた『LOVE論―あなたのいいトコ探します』も読んで、すごく好きでした。この前新潮社に行った時に、10万部売れた本の棚に『LOVE論』が入っていて、新潮社の本だったってその時はじめて気づきました。
――高校時代、小説は書いていたのですか。
宮島:文芸同好会に入っていました。3人しかいないので部ではなく同好会で、私・男・男という謎の3人組で。お金がもらえなくて部誌も自腹で作っていました。印刷したものをホチキスで留めただけの薄い冊子でしたけれど、一応そういう活動はしていました。
当時はワープロの東芝ルポを使っていました。その時に書いたものはテキストデータで残してあるので今も読めます。読み返してみたら、下手だけれど読めるというか。私の小説だな、って思います。大幅に改稿したら今後どこかで出せるかもしれないです。
――どんな話なんですか。
宮島:友達のお父さんを好きになる話です。友達というのは男の子で、その子は「私」のことが好きで、三角関係なんです。
そのお父さんとお母さんは別居していて、「私」はそのお父さんのことをわりとガチで好きになってしまい、具合が悪くなるという話です。
――ああ、やはり恋愛小説だったんですね。
宮島:そうですね。書くのも読むのも恋愛小説が好きだったので、やはり私の源流がそっちのほうだと思います。
高校時代の読書の話に戻ると、私、爆笑問題の本がすごく好きだったんです。『爆笑問題の日本原論』は漫才形式で進んでいく内容で、面白くて今でもたまに読み返します。
その後太田光さんが出した『カラス』という自伝的小説もめちゃくちゃ好きで。太田さんって、高校時代に友達が一人もいなかったというエピソードをよく話されていますが、それをこの小説でも書いているんです。私も高校時代に友達がほとんどいなかったので、「太田さんも耐えていたし私も3年間耐えよう」と、精神的な拠り所にしていたくらい好きな作品です。
――お笑いは好きでしたか。
宮島:はい。高校生の時には「爆笑オンエアバトル」が流行っていたかな。中学生時代に流行っていたのは「ボキャブラ天国」で、それはお笑いの文脈というよりダジャレ大会という感じでしたが、「オンエアバトル」が始まってからは、漫才というものが自分の中に入ってくるようにりました。もう毎週ビデオ録画して見ていました。今に至るまで大好きなのがアンタッチャブルです。「M-1」が始まったのが大学生になった頃。それも第一回から見ています。
当時、全国各地をまわる人力舎ライブツアーがあって、静岡公演は毎年見に行っていました。アンタッチャブルとかドランクドラゴンとかおぎやはぎといった人力舎の人たちが出ていました。
大学生時代に読んだ現代作家
――大学は京都大学文学部に進学されていますよね。進路はどのように決めたのですか。
宮島:これはもう、まわりにのせられた、というのが私の実感です。私は名古屋が大好きで、名古屋大学に行きたかったんです。でもまわりに「成績がいいんだから京大行けるよ」って言われて、「ああ、京大のほうがネームバリューがあるのかな」と思ってしまって。なので京大目指して頑張ったという感じではないんです。塾とかにも行っていなかったし。
――あ、独学でしたか。
宮島:独学です。学校で渡されるプリントや教材で勉強してました。私、数学がすごく苦手だったんですけれど、ある時、教科書に載っている問題をちゃんとやってみようと思って全部やったら、できるようになったんです。
それ以前は20点くらいしかとれなかったんですが、教科書の問題が全部解けるようになったら80点くらいとれるようになったので、勉強不足だったんだなって思いました。
――私、数学がすごく苦手だったので耳が痛いです(笑)。
宮島:私の場合は、なんか、できるようになったんです。みんながみんなそうじゃないかもしれないけど、ちゃんとやれば数学ができるようになる人は多いと思います。
――その一方、高校生になったら国語が苦手になったとおっしゃってましたね。
宮島:国語は分からなかったですね。何を勉強してもいいかも分からなかった。文学部に入ったのは「小説家を目指すなら文学部かな」と思ったからなんですけれど、得意なのは数学でした。数学が得意になったから京大に入れたんだと思っています。得意科目の点数は落とせないからバリバリ演習をして、それで入試を乗り切りました。
――京都で一人暮らしが始まったわけですね。大学生生活はいかがでしたか。
宮島:ある時期から京大というと森見登美彦さんのイメージが強くなったと思うんですけれど、森見さんは私が二回生の時にデビューされたんです。なので私は森見さんを知らなくて京大に入った最後の世代だと思っています。
京大って変な人が多くて楽しいイメージがあるかもしれませんが、そうでもないというか。わりと人を見下す人が多くて、私も馬鹿にされていた感じがあって、本当に嫌でした。そうではない人もいて、その一人が今の私の夫です。それと、高校時代ほとんど友達がいなかったのに、大学に入ってからは少ないながらも友達ができたのはプラスでした。みんな大学に近いところで一人暮らしをしているから、集まってゲームをしたり飲み会をしたり、という思い出はもちろんあります。その時からの友人で、今でもLINEで連絡を取り合って応援してくれている友人が3人くらいいます。
――専攻は何だったのですか。
宮島:文学部の日本哲学史専修という、西田幾多郎で有名なところです。それを選んだのは、先生が優しそうだったから(笑)。
卒論は福沢諭吉でした。福沢諭吉の『分権論』という、地方自治について述べている論文に関する内容でした。なので福沢の『学問ノススメ』なども一応読みました。
――大学生時代の読書生活はいかがでしたか。
宮島:高校生の時よりは読むようになりました。私が二回生の頃に綿矢りささんが芥川賞を受賞したんですよね。それで綿矢さんの出身の賞である文藝賞の存在を知り、「文藝」を読むようになりました。
その頃文藝賞を受賞した方に、生田紗代さんがいました。生田さんの小説はすごく憶えているのですが、今小説は書かれていないようなので残念です。羽田圭介さんが文藝賞を受賞した『黒冷水』も、雑誌掲載時に読んですごいなって思っていました。
それと、この頃に『コイノカオリ』というアンソロジーを読んだんです。収録作の中でも、宮下奈都さんの「日をつなぐ」という短篇がすごく印象的でした。この人すごく面白い小説書くな、他の本も読みたいなと思って著作を探してもなくて、どうやらまだ単著が出ていない頃だったんですよね。あれは宮下奈都さんとの衝撃の出会いでした。のちのち宮下さんが賞を獲られているのを見て、「あっ、あの人だ」って思いました。「日をつなぐ」はワンオペで赤ちゃんを育てていて、夫とはすれ違っていて鬱屈している女の人の話なんですけれど、「えっ」というところで終わるんですよ。最近久々に読み返してみたら、やっぱり、すごく心に残る文章でした。
他にこの頃読んだものでは、『バトル・ロワイアル』がすごく面白かった。乙一さんが流行っていて結構読んだのも憶えています。恩田陸さんの『六番目の小夜子』を読んだ記憶もありますね。
それと憶えているのは、ポケビをやっていた千秋さんが文庫本で出した『HAPPYを攻略せよ』。私はポケビ世代だったんです。夢の叶え方についての章があって、「その夢をずっと思っていること」って語っているんですよね。夢に向かって努力するとかではなく、千秋さんの場合は歌手になりたいってずっと思っていたから歌手になれた、みたいなことが書いてあって、そういうことってあるんだって思ったんですよね。それはすごく憶えています。
――わりと芸能界の方々の著作も結構読まれている印象ですね。
宮島:そういう意味でミーハーなところがあります。そういう本は好きですね。
――大学時代にもやはりご自身で書くものは恋愛小説が多かったのでしょうか。
宮島:多かったと思います。それと、大学生の日常みたいなものを書いていたかな。それこそ森見登美彦さんの『太陽の塔』を読んで、自分も京大生の日常小説みたいなものを書いた記憶がありますが、短すぎて新人賞に応募するということはなかったです。でも友達に読んでもらったら、「今女性作家でこういうの書いている人いないからいいと思うよ」って言われたんですよね。なんか、文章が面白い、みたいなことを言っていました。コメディではなかったんですけれど、ユーモアのある文章だったんだと思います。その子とは今も連絡をとりあっていて、私が作家になったことをすごく喜んでくれています。
あの名作を読み筆をおく
――大学卒業後は就職されたそうですが、仕事しながら小説家を目指そうという思いだったのでしょうか。
宮島:そこまで本気で小説家になりたいと思ってなかったんですね。私の第一期「小説家になりたい」期は9歳から24歳までで、小説家になりたいとは思っているけれど、具体的に努力したり動いたりはしていなかった時期です。純粋に、夢だったんです。一応書くけれど応募することもなく、友達に見せたりするくらいの楽しみ方でした。
――社会人になってから読書生活は変わりましたか。
宮島:卒業後は地元に戻りました。免許はあるけれどペーパードライバーで、図書館に自転車で行っていたんです。家から図書館まで4キロだったのでまあまあ距離はあるんですが、自転車で行けないことはない。本は2週間借りられるから、2週間ごとに図書館に行って、かごいっぱいに本を入れて帰ってきていました。
その頃はなぜか自己啓発本が好きでした。社会人になって、なんとなく、もっと仕事ができるようになりたいという向上心があったんです。勝間和代さんの本をすごく読んでいて、年収10倍になんてなるわけないじゃん、って思っていました。最近になってそういうことってあるんだなって思ったんですけれど。
小説も読んでいました。片道30分くらいの電車通勤の間によく読みました。その時に、三浦しをんさんの『風が強く吹いている』を読んだんです。ものすごく衝撃を受けました。「こんなに面白いもの、私は一生書けない」と思いました。で、それが100%の理由ではないけれど、「もう小説家は諦めよう」となりました。それくらい大きなインパクトがあったんです。
――大半が未経験者の大学陸上部が箱根駅伝を目指す話ですよね。もちろんものすごく面白い小説ですが、その時、宮島さんはどこをそこまで面白いと思ったのでしょうか。
宮島:なんか、読めたんですよね。長篇小説って途中でちょっと退屈するところがあったりすると思うんですけれど、『風が強く吹いている』はそういう瞬間がなかったんですよ、私にとって。勢いで最後まで読み通せたという意味で、すごいなと思いました。「公募ガイド」を見ていた頃から自分は長い小説が書けないと思っていたので、長篇でこんなに面白い小説を書く方との間にはもすごい差があるわけじゃないですか。これはもう無理だと諦めさせられたんです。
――そこまでが第一期「小説家になりたい」期だったわけですね。
宮島:はい。ほかにも小説はいろいろ読んでいました。豊島ミホさんの小説を熱心に読んでいたのもこの時期ですね。好きな豊島さん作品を訊かれるといつも『エバーグリーン』を最初に挙げています。『エバーグリーン』と『檸檬のころ』と『神田川デイズ』が三強です。
――豊島さん作品の魅力って、どこにあると思いますか。
宮島:私はいつも、「書けそうで書けない」って思うんです。豊島さんの文章はわりと平易なんですけれど、あの世界の切り取り方は豊島さんにしかできないって感じさせるんですよね。しかも私自身も地方出身なので、たとえば『エバーグリーン』の秋田のあぜ道のシーンなんかは一人称で感じられるんです。都会の人があのシーンを読んで思い浮かべる光景って、映画のような三人称のカメラで見た景色だと思うんですけれど、田舎で育った私は、「私は確かにそこに立っていた」って思える。だから、豊島さんの作品に関しては思い入れがめちゃくちゃあります。
あと、印象に残っているのは桜庭一樹さんの『私の男』。あれはもう心つかまれました。その世界に引きずり込まれるというか、ものすごく心に残った作品です。うん。
本谷有希子さんの小説も好きでしたね。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』とか。姉妹の話ですが、お姉ちゃん面白すぎるんだよって思って。
それと、伊坂幸太郎さんもこの頃に読んでいたのかな。読んだ時期が曖昧なんですけれど、いちばん好きなのは『ゴールデンスランバー』。最近も読んで、やっぱり、主人公のお父さんがよかったですね。
――お話うかがっていると、好きな本は再読されることが多いんですね。
宮島:小説家になってからです。「あの本ってどういうふうに書かれていたのかな」と思って、若い頃に読んでインパクトが残っている本を読み返しているんです。万城目学さんの『鴨川ホルモー』も最近読み返して、「やっぱり面白い」となりました。
――読んだ本の記録はつけていますか。
宮島:当時からつけてます。本のタイトルと1行感想みたいなものですね。
――あと、やっぱり国内の現代作家を読むことが多かったのですか。
宮島:現代作家しか読まないですね。古い小説はぜんぜん分からなくて。海外の小説も読まないし、自分と年の近い国内の人ばかり読んでいます。渡辺淳一さんだけちょっと例外です。
他に挙げるなら、荻原浩さんの短篇集が好きでした。長篇だと『明日の記憶』を読んだのがこの頃だったはず。主人公が認知症になってしまう悲しい話だけれど、根底に流れる温かさ、明るさみたいなものがすごく好きでした。石田衣良さんの『娼年』もこの時期に読んで、いいなと思っていました。
ただ、社会人生活はこのあたりで終わります。3年くらいで終わるんです。2009年に結婚して、夫が関西だったので仕事を辞め、ついに大津に行きます。ここから私の大津篇が始まります(笑)。
――『成瀬は天下を取りにいく』の舞台ですね(笑)。ではその後、お仕事はされずに?
宮島:在宅や派遣でちょこちょこっと収入はありましたが、勤めてはいなかったですね。基本、主婦です。
小説の執筆は『風が強く吹いている』を読んで一旦筆をおきましたが、読書は続けていました。申し訳ないんですけれど、この頃も図書館で本を借りていました。正直いうと、家に本を置く場所がなくて。それに借りたほうがチャレンジできるんですよね。買った本が面白くなかったらショックだけれど、借りた本なら面白くなくても返せばいいだけなので、躊躇なく選べるし、数が読めるので。
それで、転機が訪れるのは2017年です。小説を書くことを再開するんです。
執筆再開のきっかけ&デビュー
――執筆を再開されたのは、何がきっかけだったのですか。
宮島:その頃、私は在宅ワークでブログを書いたり何かのライティングをして収入を得ていたんですけれど、そこに行き詰まりを感じたんですよね。まったく売れないわけじゃないけれどくすぶっているというか。やることが単調で、なんか面白くないなと思っていました。
その時に、「そういえば私、小説家を目指していたな」って思い出したんです。
ほかにも理由はいくつかあるのですが、森見登美彦さんの『夜行』を読んだのも大きかったです。『夜行』は表の世界と裏の世界がある話ですよね。夜行の世界と曙光の世界があって、自分は夜行の世界で生きているけれど、いなくなった人たちは曙光の世界にいる、というような話だったじゃないですか。それを読んで、向こうの世界の私は小説家をやっているかもしれないって思ったんですね。それで、何か書いてみようって気になりました。
それが2017年の秋くらい。その頃にふと、女による女のためのR-18文学賞を思いだしたんです。豊島ミホさんのプロフィールでR-18文学賞のことは前から知っていましたから、そういえばそんな賞があったなと思ってパソコンで検索したことははっきり憶えています。新潮社のページを見たら、第10回までは官能がテーマでしたが、その時は第17回を募集していて、もう官能がテーマから外れていたんです。締切まであと1か月半くらいで、規定枚数が30枚から50枚だったので、頑張れば書けると思いました。
それで応募したら、いきなり最終選考に残ったんですね。今思うといきなり最終に残るなんて上出来なんですけれど、当時は落選したのが悔しくて、もうやめようかなとも思いました。なぜ続ける気になったかというと、「SASUKE」の山田勝己ですね。山田勝己は1回落ちても絶対に諦めない。だから私も諦めずに頑張ろうと思いました。
――最終選考まで残ったのはどんな小説だったのですか。
宮島:「卒業旅行」というタイトルで、ずっと片想いしている相手と一緒に旅行する話です。主人公の「私」は別の男と結婚することが決まっているんですけれど、その前に好きだった人と旅行に行く。今読むと下手だし、よくこれで最終に残ったなって思っちゃうんですけれど。
その頃は子供が生まれて読書からも遠ざかっていたんですが、最終候補になってやる気が出て、「小説読もう」って決意しました。
――なにを読まれたのでしょう。
宮島:実は私、その時点で選考委員の辻村深月さんの本をほとんど読んだことがなかったんです。ミステリーとかホラーとか、怖い話ばかり書いていると勝手に思い込んでいて。でも図書館に辻村さんの『ツナグ』があったので読んでみたら、全然そんなことなくて、こんな小説を書かれる方だったんだって驚いて、そこから大好きになりました。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』も大好きだし、その後もどんどん新しい感じの作品を出してこられるし、すごいなって思っています。
この頃、さらに衝撃を受けたのが柚木麻子さんの作品です。『ランチのアッコちゃん』を読んでなんて面白い本があるんだと思い、そこからはまって柚木さんの小説を読んでいきました。『ナイルパーチの女子会』が大好きです。いちばん好きと言ってもいい。商社勤務の女性とブロガーの主婦が親しくなる話ですが、運営している自分のブログを全部閉鎖しようかと思ったくらい(笑)。あの小説は二周するといいと思う。二周目に読むと、2人が仲良く回転寿司に行くシーンとか、怖くて怖くてしょうがないですから。そういう感覚を味わわせてくれるので、柚木さんの作品、最高。大好きですね。
それと、今さらながらはまったのは東野圭吾さん。私、それまでミステリーを読んでいなかったんですよ。意味が分からないと思いこんでいて。でも東野さんの本を読んで、「あ、意味が分かる」と気づいて、東野さんの小説が新刊が出たらすぐに読むようになりました。
そうした作品はどれも、小説家を目指す勉強のための読み方はしていなくて、ただ楽しく読んでいました。
――そしてR-18にまた挑戦したのですか。
宮島:他の賞にも応募しました。第17回ではじめてR-18文学賞に落選した後、2018年にコバルト短編小説新人賞に応募して受賞しました。「二位の君」という話で、今も検索すればネットで読めます。これは学校のテストでずっと学年二位の女の子が主人公で、文化祭のミスターコンテストで毎年二位の男の子が隣の席になって、ちょっと仲良くなるという話です。恋愛要素はなくて、友達になる話ですね。その時の選者が三浦しをんさんだったので、すごく嬉しかったです。コバルトの賞を獲ったことはめちゃくちゃ自信になりました。最初にR-18の最終選考に残った時はまぐれかもしれないと思ったんですけれど、コバルトを獲ったことで見込みがあると思えたんですよね。ここで三浦さんに認めてもらえたんだという気持ちで、R‐18の第18回に応募しました。それも片想いの話で、昔好きだった人が自分の妹と結婚することになって、その結婚式に行く話でした。それも最終に残ってまた落とされちゃうんですけれど。
その後、第19回は最終の手前で落ちて、2020年になってコロナの時期に入ります。8月31日に西武大津店が閉店して、その2ヶ月後に第20回のR-18の締切があったんですが、そこで書いてみようかなと思ったのが、「ありがとう西武大津店」でした。
――『成瀬は天下を取りにいく』の巻頭の短篇ですね。
宮島:「ありがとう西武大津店」が第20回のR-18文学賞の大賞と読者賞と友近賞をすべて獲るという、とても光栄な結果になりました。それが2021年3月のことでした。
もしも最初の応募ですんなり受賞していたら成瀬という人物は現れなかったと思います。ちょっと運命めいたものを感じます。
――あえて恋愛小説ではないものにしよう、と思ったのですか。
宮島:R-18文学賞は1人3本まで応募できるので、いつも3本送っていたんです。だから「ありがとう西武大津店」を送った時も、他に大学生の男女の話と、社会人の女性の恋愛ものも送っていました。「ありがとう西武大津店」を書いたのは、「二位の君」が恋愛要素のない青春小説だったので、自分はそっちのほうがいいのかな、という気持ちがありました。それでもう一度青春小説を書いてみることにしたんです。
――どこまでもマイペース、そして何事も極めてしまう成瀬あかりというキャラクターは自然と出てきたんですか。
宮島:あんまり憶えていないですね。モデルもいなくて、行きつ戻りつしているうちにできていきました。最初のうちは成瀬が普通の口調で喋る場面もあって、後から統一したほうがいいよね、と思って直したりしたんです。
R‐18文学賞出身作家は箱推し
――受賞して、「連作にしましょう」と言われて、他の話を考えていったのですか。
宮島:そうです。1作目の『成瀬は天下を取りにいく』、略して「成天(なるてん)」の各短篇は本当に手探りで書いていった感じです。書いたけれど単行本に収録していない短篇もありますし。行き当たりばったりでした。今、2冊目の『成瀬は信じた道をいく』を出した後に「成天」を読むと「もう少しああすればよかった」と思うことが結構あります。あの時点では2冊目を出すと考えていなくて、成瀬シリーズは1冊で終わりのつもりだったんですね。続編の予定があったら島崎は引っ越さないと思います。
連作にすると決まった後、R-18文学賞の先輩たちの作品を片っ端から読みました。受賞作からどう連作を派生させていくか、みなさんすごく工夫を凝らされていて勉強になりました。私が「成天」とわりと近いと思っているのは深沢潮さんの連作短篇集『ハンサラン 愛する人びと』(※文庫で『縁を結うひと』に改題)ですね。お見合いおばさんの話で、おばさんが出てこない短篇でもおばさんがそこにいる世界だと感じさせるんですよね。深沢さんの作品も大好きです。
R-18出身の方々は、今となっては箱推しです。交流がなくて寂しいです。
――デビュー後、会う機会はなかったのですか。
宮島:私が受賞した2021年はコロナ禍だったので大きな授賞式がなくて。新潮社の会議室で選考委員の三浦しをんさんと辻村深月さんにはお会いできたんですけれど、他は編集者だけで、10人くらいでやったんです。翌2022年は大きなパーティではなかったんですが、一応ホテルで開催されたんですね。それは招かれて行ったんですけれど、まだ本も出していない無名作家で、知り合いもいないし、一人ぽっちで辛かったんですよ。それで、2023年は授賞式をさぼったんです。そうしたら、その頃にはもう『成瀬は天下を取りにいく』が出ていたので、「みんな宮島さんに会いたがってましたよ」と言われました。
――デビューしてからの読書生活は。
宮島:周りから「よく読んでますね」と言われるから、結構読んでいるとは思います。出版社さんから新刊を送ってもらえることがあって、ありがたく読ませてもらっています。
少し前に読んですごいと思ったのは今村夏子さん。『むらさきのスカートの女』が特に好きで、ああいうものを自分も書きたいですね。
――成瀬シリーズのトーンからするとちょっと意外な気が。
宮島:今振り返ると、もともと書いていたのはわりと暗い感じだったと思います。「成天」はつとめて明るく書こうとしたんですよね。そうしたら書けたので、なんでも書けるという自信になったかもしれません。
R‐18文学賞出身作家の話に戻るんですが、殿堂入りで好きなのは豊島ミホさんで、次に好きなのが蛭田亜紗子さんです。最近出された短篇集『窮屈で自由な私の容れもの』も最高でした。『凛』とか『愛を振り込む』とか『自縄自縛の私』とか、蛭田さんの小説はほとんど読んでいるんですけれど、本当に好き。ちょっと暗いんですけれど、その暗さがちょうどいいというか、暗すぎないというか。その感じが私の気分と合って、すごくしっくりくるんです。めちゃめちゃ好きです。蛭田さんのXを見ていると、執筆のことはほとんど発信せず、パンを焼いたり洋服を作ったりされていて、そういうところもいいなって思っています。まだお会いしたこともなくて、憧れです。
最近はR-18の先輩たちが特にご活躍なので嬉しく見ています、吉川トリコさんも本当に好きですね。最近だと『あわのまにまに』も良かったし、私は『夢で逢えたら』がすごく好きです。南綾子さんも『婚活1000本ノック』がドラマ化されて話題になっていますけれど、もっともっと話題になってほしいくらい。『ダイエットの神様』も好きでした。宮木あや子さんは『花宵道中』がR-18受賞作の中で抜群に面白いし、最近の『令和ブルガリアヨーグルト』も本当に笑っちゃいました。さきほど言った深沢潮さんも最近の『李の花は散っても』が良かったし、山内マリコさんももちろん好きです。山内さんも地方女子の話を書かれていますが、「成天」とは全然別のアプローチで、それがすごく面白いなと思っています。木爾チレンさんは最近の『神に愛されていた』が小説家の話で、いろいろ重ね合わせて読んでしまうところがありました。『みんな蛍を殺したかった』も好きでしたね。文章が若々しいというか、すごく好きです。
それと、真似ができないなと思うのが町田そのこさん。『夜明けのはざま』も重い話だし『52ヘルツのクジラたち』も悲惨な環境が書かれているけれど、なんか読まされるというか、読んだら面白いというか。すごいなと思っています。
それと、清水裕貴さん。私が最初に最終落ちした第17回で大賞を受賞されたのが清水さんだったんですよ。その時はちょっと悔しい気持ちがあったんですが、1冊にまとまった『ここは夜の水のほとり』を読んだら、もう素晴らしくて。受賞されたのは幽霊の話なんだけれど、連作になったら金魚視点の話があったりして、独特なんですよ。でも何年に何があってという年表はちゃんと辻褄が合っていて、すごく面白い。清水さんは今もたまに「小説新潮」に連作短編を書かれているので、はやく本にならないかなと思っています。
R-18文学賞の受賞作は、手に入るものは全部読んだんですけれど、やっぱりデビュー作って大事だなって思いました。今目覚ましい活躍している人はデビュー作から輝いていますよね。
――宮島さんの「ありがとう西武大津店」も輝いてますから。その後、成瀬はものすごく人気者になりましたね。
宮島:ここまで人気になるとは全然思っていませんでした。
――2作目の『成瀬は信じた道をいく』も、もう、ものすごく面白かったです。2作目がこんなにはやく出るとは思っていませんでした。
宮島:「成天」を書いた時は設計図がなかったけれど、「成信(なるしん)」の時はもう勝手が分かっているというか、完成図がちょっと見えていたので。
それに、実は「成天」はもっと早く出るはずだったんです。時間をかけて大事に売っていこうという話になって発売が延びました。発売前プルーフの段階で、書店員さんたちから『続編が読みたい』という声を多くいただいたこともあり、「続きを書きましょう」となって、書き始めていたんです。「成天」の発売時には「成信」の短篇も2本くらい書けていました。
――今回も、成瀬と出会う人たちの話ですよね。小学生やクレーマー女性、観光大使になった女子大学生らが、なにかしら成瀬と関わることになる。成瀬のお父さんの話があるのも面白かったです。成瀬家ってこんな感じなんだと思って(笑)。
宮島:自分でも読んでいて上達したなって思うんです。前よりも勘所が分かってきている感じがあります。「成天」ももちろんいいんですけれど、「成信」はさらに楽しくなっていると思います。
――東京に行ってしまった島崎も出てきますしね。「成天」で2人の友情にキュンとしていたので、出てきてくれて嬉しかったです。
宮島:そこはもう読者の期待を裏切らないように意識しました。
――さらなる続篇の予定はあるのですか。
宮島:とりあえず今は、3作目まで目指して走ろう、という気持ちです。
デビュー後の思い
――一日のルーティンみたいなものは決まっていますか。
宮島:書く時間は朝の9時から12時までで、Wordの画面で3枚、原稿用紙でいうと10枚くらいと決めています。毎日ではないですよ。土日は家族がいるから休むし、ほかの用事もあるので稼働日は実質、月に15日くらい。でもそれを続けるとなんとか月に100枚くらい書ける。ただ、小説を楽しく書いているかというとそうでもなくて、3時間の間、結構苦しんで書いています。
――デビュー後、書く喜びみたいなものを感じる瞬間はありますか。
宮島:やっぱり受賞した時がいちばん嬉しかったです。2021年に受賞の電話がかかってきて、トリプル受賞と言われた時は腰を抜かしたんですよ。本当に立てなくなるんだって思いました。3浪して4回目で合格した感じだったんですけれど、全部回収できた気分でした。
「ありがとう西武大津店」が「小説新潮」に載った時点でも結構反響があったんですけれど、『成瀬は天下を取りにいく』が出た時にお祭り騒ぎが来て、やっぱりちょっと嫌なことも結構あって。正直嬉しい気持ちばかりではないし、この先どうなるんだろうという不安もあります。そういう意味では、わりとネガティブなところがありますね。
2作目の「成信」が出て、「まだまだ続篇が楽しみです」って言ってもらえるのは嬉しいけれど、成瀬が独り歩きしてしまって、それを生み出さなきゃならない怖さも感じているところです。それを誰かに言っても「売れないよりはいいよね」みたいな反応が返ってくるだけので、なかなか相談相手がいない難しさも抱えていますね。だから、あまり大津市から出ないで、家の中で普段通りの生活をするようにしているんです。イベントとかサイン会も大津市近辺で完結させるよう心掛けているところです。
――本当に面白かったので読者としてはつい「続篇が読みたい」と言ってしまいますが、生みの苦しみもあるんですね...。本当に書いてくださってありがとうございます。
宮島:それは嬉しいです(笑)。今はほっとしている気持ちのほうが大きくて。2作目を出す時に、絶対「1作目のほうが面白かった」という人がいると思っていたんですけれど、2作目のほうが良かったと言ってくれる人も多いし、両方良かったと言ってくださる人も多くて、本当にほっとしています。
――大津の方々も喜んでいるのではないですか。
宮島:地元の人がいちばん喜んでくれていますね。顔見知り程度の人でも「本買ったよ」とか言ってくれるんですよ。私のことを気にかけてくれているんだなって、ありがたいです。一昨日もサイン会をやったんですけれど、本当に近所の人が多かったです。「膳所から来ました」「草津から来ました」と言ってもらえて、地元でサイン会やってよかったって思いました。
――「成天」と「成信」を読むと、大津に行ってみたくなりますもの。
宮島:そう言ってもらえるのはすごく嬉しいですね。でもだからこそ、観光ガイドにならないように気をつけています。「成信」では成瀬が観光大使になりますが、やりすぎないように考えて書かなきゃと思っていました。
――成瀬シリーズ以外では、やっぱり恋愛小説を書きたいですか。
宮島:ああ、書きたいですね。各社すごく声をかけてくださるなか、まだ恋愛小説というオーダーは来ていないし、時代的に昔と比べて恋愛小説の重要度が下がっている印象は受けるんです。でも、よく「書きたいものがあんまりなくて」とか言っているんですけれど、言われてみれば、恋愛小説はいつか絶対に書きたいです。
――今、成瀬シリーズ以外で進行しているものは。
宮島:「別冊文藝春秋」で「婚活マエストロ」という連載を書いていて、それがいずれ本になります。それは婚活の話ですけれど、婚活する人の話ではなく、婚活パーティをする運営側の話です。
その次に、小学館で高校生の部活ものを始める予定です。過去にない部活の話になるんじゃないかなと思っています(笑)。
それとNHKの「基礎英語」のテキストで小説の連載を始めます。依頼をいただいた時は意外に思ったんですが、私自身も「基礎英語」は聴いていたのでお引き受けしました。一年間、毎月8枚の連載なので、それならなんとかできるかなと。もう半年分は書いてあります。