白尾悠さんの読んできた本たち イーユン・リー、アゴタ・クリストフ…越境している人を好きになる(後編)

――卒業後はどうしようと考えていたのですか。
白尾:すごく迷ってしまって。大学院に行くためにあえて大学院の進学率が高い大学を選んだし、成績も頑張っていたんですけれど、結局なにをやればいいんだろうと考えてしまったんです。人類学にも政治学にも興味があったし、才能がないと分かっていてもやっぱり芸術系にも興味があって。
いっときジャーナリズムに行こうかなと思って、アメリカの通信社の東京支局でインターンもやりました。ちょうど夏だったので、広島や長崎の平和宣言のレポートを書いて本社に送ったら、からかい半分に「歴史修正主義者がいる」と言われました。あくまでも冗談まじりで、そこまで重い感じで言われたわけではないんですけれど...。その時に別の通信社の採用試験も受けて、インターン先からは推薦文ももらえたんですけれど、見事に落とされました。
大学ではそのままストレートに大学院に行く子はまずいなくて、ギャップイヤーを設けていろいろ働いたり、平和部隊に参加したりしていたんです。それで私もとりあえずお金を稼ごうと思い、帰国して就職しようとしました。就職氷河期のさなかに。
日本の大学とは卒業の時期がずれているので、最初のうちはデザイン事務所でインターンをしたり、英語を教えたりして、その後で契約社員という形で会社に入りました。それまで非正規雇用の問題もまったく知らなかったんですが、「なにかおかしくない?」ということがいっぱいありました。同じ時期に入社した正社員の子が、同期であるはずなのに挨拶してくれないとか、ご飯を食べる時は派遣さんと契約さんと正社員は別、とか。そういう変な文化があって、やってられないと思って1年経たずに転職しました。その時はもう、お金を稼ぐというよりは興味がある方面に行こうと考えて、映画系の会社に正社員として就職しました。
――帰国して、読書生活に変化はありましたか。
白尾:帰ってきた頃に村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出て話題になっていたので読んだり、相変わらず読書はしていました。就職先にも偶然本好き漫画好きの方がいたんです。OJTの先輩から松本大洋さんを教えてもらって『鉄コン筋クリート』などを読みました。
大学時代は日本の漫画にすごく飢えていたし、帰国した時がちょうど古い漫画の文庫版が出始めていた時期だったので、それらを読みまくりました。萩尾望都さんを読んで、そこから萩尾さんの短篇シリーズの原作であるレイ・ブラッドベリのSFを読んだり。
漫画といえば、成田美名子さんの『エイリアン通り』の主人公が、すごく映画好きなんですよね。作中で映画の台詞を引用したりしているんです。私は映画の字幕の監修もやっていたんですけれど、『エイリアン通り』内で言及されている名作の字幕を新たに作った時に、漫画にある通りに台詞を調整しました(笑)。
山下和美さんもサイン会に行ってしまうくらい好きです。『天才柳沢教授の生活』はモンゴル編があるので、前にモンゴルに行った時に現地の人に渡しました。内容を説明したら「すごい」って言っていました(笑)。それと、やっぱりよしながふみ先生は神だと思っています。『愛すべき娘たち』や『大奥』など、どれも好きです。
アニメはそんなにたくさんは観ていないんですけれど、帰国したら実家がケーブルテレビに入っていたので、海外ドラマの合間に「ポピーザぱフォーマー」というCGアニメや、「銀河英雄伝説」なども観ました。アニメは「攻殻機動隊」も、めちゃくちゃ面白いなと思って観ていました。
それと、日本に帰ってきて、単館系の映画館がいっぱいあることにすごく感動しました。私がいたアメリカの田舎では、そんなにまんべんなく各国の映画が観られるということはなかったので、いろんな国の映画が観られる東京ってすごいなと思いました。
帰国してからは、収入もあるので単館系映画館の会員になってたくさん観ていました。映画系の会社に転職してからは、観てレポートを提出すると映画代が1000円くらいサポートしてもらえるようになったので、さらに観るようになりました。まわりもシネフィルばかりでした。
映画系の会社では、上司が長い小説好きだったんです。小説は永遠に終わらないでほしいという人で、その方から『モンテ・クリスト伯』とか『カラマーゾフの兄弟』といった大長篇を薦められて読みました。『カラマーゾフの兄弟』はアメリカの友人からも薦められていましたね。あとはイタリアに行った時から好きだった塩野七生さんの『ローマ人の物語』なども読んでいました。
それと、いしいしんじさん。書店で見つけて、すごく好きになりました。いしいさんの作品は『ぶらんこ乗り』や『麦ふみクーツェ』とか...もう全部好きです。三浦しをんさんも書店で見つけたんだったかな。直木賞を受賞された頃で、『まほろば駅前多田便利軒』が書店ですごくプッシュされていて。それが面白かったので三浦さんの過去の本も読みました。ジャケ買いしたのは森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』。中村佑介さんイラストの表紙ですよね。中村さんのイラストだったので、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバムもジャケ買いしました。それと、姉が重松清さんと伊坂幸太郎さんをすごく愛していたので、それを借りて読んだりして。
――相変わらずお姉さんがよい読書ガイドだったんですね。
白尾:はい。それとこの頃から、「作家の読書道」の連載や、豊﨑由美さんと大森望さんの『文学賞メッタ斬り!』シリーズを読んで、そこから気になった本を手に取るようになりました。「作家の読書道」で三浦しをんさんが薦めていた丸山健二さんの『水の家族』や、道尾秀介さんが薦めていた連城三紀彦さんの『戻り川心中』とか。
家にあった父の本もあさるようになりました。井上靖や安部公房が結構あったかな。なぜかジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』もありました。
うちの父は、学生運動で拘留されて、未決状態で府中刑務所に収監されていたことがあったんです。前科があるわけではないです。その時に母から差し入れられた久生十蘭とかカミュなど何冊かに、府中刑務所の検印が押された本があって内容と共に印象に残ってます。この話をすると、日本だと連合赤軍のこととかと混同されて誤解されることもあるんですが、アメリカの大学でコープ仲間に話したら「ステューデント・アクティビストだ」といって英雄扱いされていました。
――映画系の会社には何年いらしたのですか。その後、ウォルト・ディズニー・ジャパンに転職されていますよね。
白尾:3年ほどでまた転職しました。映画系の会社では、作品を制作することはなく、有料放送に係る仕事をしていたんですね。やっぱり何か作りたいなと思って経産省が実験的に開いていたプロデューサー養成講座に行ったら、アニメ業界などいろんな業界の人が参加していて、「もっとコンテンツの本流のほうに行けばいいじゃん」みたいに背中を押していただいたんです。
ただ、日本の映画制作会社はほぼ開かれていないというか、経験者でないと難しくて。その点ディズニーはモバイルの日本市場が強くて、ローカライズというより日本独自でいろいろ作っていたので、それで転職してモバイルのコンテンツプロデュース業務に携わるようになりました。当時だと、ディズニーのキャラクターの壁紙や占いサービスを作ったりしていました。本当にいろいろやらせていただきました。
当時、スタジオジブリさんの海外配給とビデオ販売をディズニーがやっていたんですね。モバイルのほうも何か提案しようということになり、小さい頃からジブリ作品を見続けてきた私が担当することになったんです。それで、その時は3巻くらいまでしか読んでいなかった『ゲド戦記』を全巻読み、やっぱりすごいなと思いました。宮崎駿さんはいろんな本に精通されていて、サン=テグジュペリも愛読されているので、読んでみたらすごく好きになりました。もちろん『星の王子さま』は知っていたので、その時に読んだのは『人間の土地』とか『夜間飛行』のほうです。
――自身のパイロット体験をベースにした作品のほうですね。
白尾:「紅の豚」はここから生まれたんだな、と感激しました。それと、ジブリの方が堀田善衛さんが好きだということで、『路上の人』などを読んだらすごく面白かったです。ジブリの仕事で読書生活を充実させてもらいました。
それと、職場チームに本好きな子が多くて、教養文庫みたいなものを作っていたんです。読んで面白かった本や漫画を積み上げて、みんなで自由に借りていました。それで知ったのが辻村深月さんでした。最初に読んだのが『ぼくのメジャースプーン』。あとは絲山秋子さんの『海の仙人』があって、それを読んで、そこから辻村さんや絲山さんが好きになって、その時出ている著作をほぼすべて読みました。上橋菜穂子さんも会社の人から教えてもらいました。『精霊の守り人』シリーズや『獣の奏者』シリーズを家族全員で面白く読みました。
――ご自身で見つけた作家、作品は。
白尾:書店さんで出会って、ずっと好きなのは今村夏子さんとイーユン・リー、ミランダ・ジュライ、カズオ・イシグロ、テッド・チャン、アゴタ・クリストフです。テッド・チャンはカート・ヴォネガットを教えてくれた同僚に「これもすごいSFだよ」といって『あなたの人生の物語』を薦めた記憶があります。
今村夏子さんは『こちらあみ子』が出た時に書店でぱらぱらっと見たら止まらなくなって、そのまま買って帰りました。イーユン・リーも同じパターンで、『千年の祈り』を読んだのがきっかけです。ミランダ・ジュライは岸本佐知子さん訳の短篇集『いちばんここに似合う人』がいちばん好きです。『あなたを選んでくれるもの』も最高だし『最初の悪い男』も好きです。カズオ・イシグロは『わたしを離さないで』を最初に読んで、そこから『日の名残り』など他の作品もぜんぶ読みました。ジュンパ・ラヒリも話題だったから読むようになりましたね。『停電の夜に』がすごく好きです。
アゴタ・クリストフの『悪童日記』は「作家の読書道」にもよく出てくるし、相当いい本らしい、とはずっと思っていたんですよね。やっと読んだ時にうわーっと思いました。私の今の部屋には本棚とは別の棚に、好きな本を飾った祭壇のような場所があるんですけれど、そこに飾ってます。あの三部作は全部読んでいます。
イーユン・リーやアゴタ・クリストフ、ジュンパ・ラヒリは言語を越境して書いている人ですよね。漫画でも少年漫画と少女漫画の垣根を越えている人の作品をよく読むので、越境している人を好きになる傾向があるのかもしれません。
――その後、フリーランスになられましたよね。小説を書き始めたきっかけは?
白尾:体を壊して会社を辞めてフリーランスになりました。会社にいる頃に頸椎の椎間板ヘルニアになって、首にコルセットをして仕事して、お昼の1時間は横になっているという生活を1年ほど続けていたんですが、もう無理だとなって辞めました。本当は1年くらい休もうと思っていたんですが、辞めてわりとすぐに震災があって、これは休養していられないと思って。ディズニーの頃のボスが先に独立していたので、「何かお手伝いすることはありますか」と訊いて、辞めて半年もたたないうちにフリーランスで仕事を再開しました。
そのなかで、やっぱり物語を作りたいなと思って。まだディズニーにいた頃に、シナリオセンターの短期講座を受けてみたりもしてみたんです。シナリオも面白いと思ったんですけれど、小説の方が合っている気がしました。それで山村小説教室に通い始めたんです。半分幽霊部員みたいな感じだったんですが、わりとすぐ「女による女のためのR-18文学賞」の最終候補になったんです。それは受賞しなかったんですけれど。
――どうして応募先にR--18文学賞を選んだのですか。
白尾:短編で、Webで応募できるというのがいちばんの理由でした。自分に長篇が書けるとは思っていませんでした。本当は小川洋子さんのような純文学に憧れもありましたが、それは無理だなと思いましたし。
最初は、自分に近いキャラクターで書いてみたんです。最終候補に残ったのは、『ゴールドサンセット』の第二章にある、失業寸前の女性が、演劇をはじめた叔母と台本を読む話でした。私の母が芝居をはじめて、練習につきあって二人で台本を読むことがあったので、あの不思議な感じを小説にしてみたら面白いんじゃないかと思いました。それは受賞はしなかったんですけれど、選考委員の辻村深月先生と三浦しをん先生から素敵な選評をいただいて、これはいけるかもしれないなとなって、また応募しました。
――白尾さんが2017年にR-18文学賞の大賞と読者賞された作品は、山梨県に住む女の子たちが、それぞれ訳あって東京に行く話ですよね。『いまは、空しか見えない』の冒頭の短篇「夜を跳びこえて」(応募時のタイトルは「アクロス・ザ・ユニバース」)です。
白尾:R-18文学賞は一人3篇まで応募できるんですが、私はその時2篇応募したんです。後から、「どちらを最終候補に残すか迷いました」と言われたんですけれど、ひとつは50代の女性が旅先で出会う風景を描こうとしたものでした。アメリカにいた頃、人類学でネイティブアメリカンの研究もやっていて、それで南西部に行ったことがあるんです。砂漠の真ん中の道をバスで走っていた時に、左右に月の入りと日の出が同時に見えるという、すごく素敵な景色を見て。あの景色を描きたいがためにその話を書きました。もうひとつが大賞になった短篇なんですが、あれも友人との旅が心に残っていたので書いたんですよね。全然タイプの違う女の子同士が同じバスに乗りあわせる景色ははじめから頭にありました。この短篇では性暴力の被害についても書いていますが、自分の身近で同じようなことがあったんです。性暴力は許せないという気持ちと、被害を受けた友人に適切な言葉をかけられなかったという思いがあったので、その人にかけたかった言葉を記すために書いたところもあります。
――受賞が決まってから、これを連作にしましょうという話になったのですか。主人公と周囲の人の人生模様が描かれていきますよね。
白尾:そうですね。連作を想定して書いたわけではなかったのですが、自分でもそれがいいなと思いました。
――そういえば、あの主人公の女の子って、めちゃめちゃホラー映画が好きですよね(笑)。
白尾:そうなんです。あの本が出た時にインタビューで「ホラーが好きなんですね」と訊かれて、「いえ、そこまででもないです」と言っていたんですが、今日お話ししていて、結構ホラー作品が挙がっていることに気づきました(笑)。
――映像関連の仕事は、フリーランスでどんなことをされていたのですか。
白尾:最初に関わったのが、フレデリック・バックというアニメーション作家の巨匠の展覧会でした。ディズニーにいた頃、ディズニー・アート展やディズニー・スタジオで活躍した女性アーティストのメアリー・ブレア展にネット施策のプロデューサーとして関わった経験があるので、それでバック展もお手伝いするチャンスをいただきました。そこから元ボスがいろんなところに繋いでくれたんですが、病気があるので、正社員ではなくフリーの形でやらせてもらうようになりました。
――2018年にデビュー作『いまは、空しか見えない』を刊行されたあと、2020年に刊行されたのが、さきほども話に出た留学体験をベースにした長篇『サード・キッチン』。2022年に刊行された『ゴールドサンセット』は、中高年限定の劇団のメンバーと、彼らに関わる人々を描く連作集です。さきほど白尾さんのお母さんがお芝居をはじめたというお話がありましたが。
白尾:母は女性協会みたいなところで準公務員としてずっと働いていて、定年退職してから劇団に入ったんです。退職してこれからどういう仕事をしていこうかなと思っていた時に、蜷川幸雄さんが〈さいたまゴールド・シアター〉という55歳以上限定の演劇集団を立ち上げるということで、劇団員を募集されていたんです。母は蜷川さんの舞台を観ていたので、「面接までいけば蜷川さんに会えるかもしれないから記念受験してくる」みたいな感じで受けて、通っちゃったという。いろんな人を採用したそうなので、母に似たタイプが他にいなかったんじゃないかなと思います。実際には商業演劇経験者が半分くらいいて、やっぱり実力が全然違うので、母はあまり役はもらえていなかったです。ただ、そこから母は劇団で本格的なトレーニングを積んだんですよね。発声からダンスから日本舞踊から学んで、劇団が解散したあとは色々なオーディションに挑戦して、この間も舞台に出ていました。
――すごい! 白尾さんもお母さんと一緒にお芝居はよく行かれたのですか。
白尾:小さい頃はそこまで頻度は高くないけれど、わりと連れて行ってもらいました。最初に見た舞台は唐十郎さんの作品だったし、劇団四季の「CAT'S」や、「屋根の上のバイオリン弾き」も観たし。いちばん印象に残っているのはブロードウェイから来日した「サラフィナ!」という舞台で、南アフリカで学生たちが人種差別に対して立ち上がったソウェト蜂起の話でした。
母のおかげで戯曲も読むようになりました。『ゴールドサンセット』に出てくるチェーホフとか、清水邦夫とか。シェイクスピアなども改めて読みました。
――『ゴールドサンセット』は内野聖陽さん主演でWOWWOWでドラマ化されましたね。
白尾:プロデューサーさんが書店で本を見つけて読んでくださったらしくて。監督の大森寿美男さんに「これ面白かったから」と渡してくださって、大森さんが「やりたい」と言ってくださったんです。内野聖陽さんはもともと文学座で演劇畑の方ですし、最高でした。
――2024年刊行の『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』はコレクティブハウスが舞台の連作集。コレクティブハウスとは、北欧からはじまった新しい生活スタイルで、住人たちが管理し協働していくという。集合住宅の中に住民同士が交流する共有スペースやキッチンがあったりもする。ただ、シェアハウスとはまた違うんですよね。
白尾:これも母ネタなんです。私も以前から日暮里にある「かんかん森」というコレクティブハウスのことは知っていたんですが、母もずっと興味を持っていて。コロナ禍で実家じまいをしたのを機に、母は別のコレクティブハウスに入居して、すごく楽しそうに生活しています。
――作品では、各章で主人公を替えながら、コレクティブハウス「ココ・アパートメント」に暮らす人たちそれぞれの事情や生活が描かれていく。隣人同士がほどよく距離を保っているところが心地よくて、こういう暮らし方もあるのかと思いました。それと、住人の一人で"生活の達人"と呼ばれている七十代の康子さんの章は、波乱万丈の人生の物語で、そこだけで一冊の本のような読み応えでした。
白尾:康子さんに関しては、父ネタがちょっと入っています。父は福島に移住して旧帰宅困難区域でNPOをやっているんです。もともと父は物理学で博士課程まで行ったんですけれど、学生運動で退学して、その時の研究仲間がいろいろな大学に散らばったていたんです。震災があって、被災地の放射線の濃度など分からないことが多いとなった時、父は科学の力で何ができるかやってみようと言って何人かと福島に行き、その後移住したんです。事故当時は若い人でなく自分たち年寄りが行くべきだ、みたいなことを言っていました。現地の農家の方と一緒に、村内の放射線量を測ったり、除染実験をずっとやっています。反原発の人もプロ原発の人もオールウェルカムで、一緒になにができるか考えようという姿勢です。『飯舘村からの挑戦』という本も書いています。
父はもうあの土地に骨を埋める気でいて、話をいろいろ聞いていると小説に書けるものがたくさんあるなと感じるんですね。そうしたら父が、現地のコミュニティの皆さんが高齢になってきて、もうあまりお話を聞けるチャンスがないから一回話を聞きに来たらどうかと言ってくれたんです。それで1か月くらいNPOの宿泊施設に滞在して、女性たちにインタビューをさせてもらいました。その地域は昔から先進的な試みをしていて、80年代に女性たちが海外研修に行ったりしているんです。その体験記を読ませてもらって、面白いなと思って。今回は康子さんの人生背景として少しだけ入れましたが、いずれちゃんと書きたいなと思っています。
――デビュー前後の読書生活はいかがですか。
白尾:作家を職業として意識しはじめた頃から米原万里さんを読むようになって、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』などが好きです。多和田葉子さんも好きですね。『容疑者の夜行列車』とか。二人称小説への憧れがあるので、倉橋由美子さんの『暗い旅』なども好きです。
山尾悠子さん、佐藤亜紀さん、皆川博子さんも大好きです。山尾さんは『ラピスラズリ』、佐藤亜紀さんは『天使』シリーズ、皆川さんは『死の泉』とか。
それと、じつは投稿時代にボイルドエッグズ大賞に応募したことがあるんです。昨年お亡くなりになった、ボイルドエッグズの代表だった村上達朗さんが選評をくださって、その時に私の小説がほしよりこさんの『逢沢りく』を思わせると書かれてあったので、それを読んだりもして。
――『逢沢りく』は、両親の愛情を感じられずに育った14歳の少女が、一時的に大阪の親戚の家に預けられるというコミックですよね。号泣した記憶があります。
白尾:そうですよね。そういえばその時に、村上さんにレイモンド・チャンドラーを読んだほうがいいよと薦められて、フィリップ・マーロウものの『さらば愛しき女よ』とかを読みました。
「作家の読書道」きっかけで読んだのはリチャード・ブローティガン、マーガレット・ミラー、イアン・マキューアン...。ブローティガンは『西瓜糖の日々』、ミラーは『殺す風』、イアン・マキューアンは『贖罪』などが好きです。
それと、これまでちゃんと読んでいなかった作家をちゃんと読もうと思って、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』やフローベールの『ボヴァリー夫人』とかも読みました。
あとはマーガレット・アトウッドですね。小説もドラマも大好きです。『侍女の物語』をドラマ化した「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」がHuluで配信されていますが、最終シーズンをすごく楽しみにしています。『侍女の物語』の続篇の『誓願』も映像化されるらしいので楽しみです。『獄中シェイクスピア劇団』も好き。相変わらず、自分は遠いところに行く小説が好きなんだなと感じます。
最近読んだなかで印象に残っているのは、映画の「関心領域」の原作小説です。タイトルは同じで『関心領域』なんですけれど。
――アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣に暮らす所長と、その家族の話ですよね。映画では、隣から煙が立ち上り、時折叫び声や銃声が聞こえてくるのに家族たちが平然と暮らしている様子が主に描かれていました。
白尾:映画と原作は全然違うと聞いていたんですが、本当に違いました。もっと所長の妻の内面が描かれているし、映画とは違うキャラクターも登場するんです。映画は映画であのビジュアルとか音の使い方がすごかったですよね。
――いま、一日の執筆時間などのリズムはどんな感じですか。
白尾:本当はちゃんと朝起きて朝食をとってから書き始めて...というふうにやりたいんですけれど全然駄目です。夜にスイッチが入ってしまったりして、不規則です。
――新作の『魔法を描くひと』は、ふたつの時代が描かれます。1937年から始まるアメリカのパートでは、世界的なアニメーション会社、スタジオ・ウォレスに入社したレベッカが、男女格差のなかで苦労しつつ、同僚女性たちとかけがえのない関係を築いていく。一方、20xx年の日本では、ウォレス社の日本支社で契約社員として働く真琴が、偶然見つけたデザイン画から、知られざる女性アニメーターの存在に気づく。
白尾:私もディズニー・アート展の仕事の時にはじめてメアリー・ブレアさんという女性クリエイターの存在を知ったんです。最初はブレアさんをモデルにした小説を書きたいなと思っていたんですけれど、調べたら他にも女性たちがいたことが分かったんです。作中に書いた、1960年代に開いた展覧会の原画が日本の大学に残っていた、というのは実話です。
――レベッカとその仲間である4人の女性は、全員モデルがいるのですか。
白尾:全員主要なモデルがいて、イニシャルも一緒にしています。彼女たちがどういうふうにアニメーションに関わっていたのかは、資料に基づいています。4人でチームを組んだというのは私の創作ですが、レベッカとマリッサ、シェリルとエステルがそれぞれチームを組んでいたのは本当です。私生活やお亡くなりになった年齢など脚色したり変えたりした部分は多いですけれど、レベッカの老後のエピソードは事実です。マリッサのモデルとなったメアリー・ブレアさんの半生に関しては、わりと日本語訳の本も出ています。
レベッカの同僚のアレックスという男性にもモデルがいます。性格は私の創作ですけれど、21世紀になるまでディズニーの正史から弾かれていたグーフィーの生みの親がいるんです。彼が部下たちに対して給与の補填をしたり、ストライキでリーダーシップをとっていたのも本当です。
――レベッカたちがアニメーションを制作していく過程も面白かったです。登場する映画も、だいたい「あれのことかな」と分かりますよね。作中に出てくる「シンフォニア」は「ファンタジア」のことかなあ、とか。
白尾:映像でいうと、ディズニー100周年記念の映画「ウィッシュ」と同時公開の短編で、壁に飾られた写真のなかにレベッカのモデルとなったレッタ・スコットさんの写真もあるんです。オリジナルの英語版はYouTubeで無料配信されているので、ぜひ観てみてほしいです。
――観ます! レベッカのパートでは当時のレイオフ問題や赤狩りのことも描かれますね。一方、真琴のパートでは非正規雇用のため立場が複雑なことも描かれる。それぞれの時代、それぞれの場所で、働くことに対する思いが分かる。真琴が、苦手だった正社員の同僚女性と少しずつ相互理解を深めていく様子も、ものすごくよかったです。
白尾:最初は、真琴はあくまでも狂言回しとして考えていたんです。でもレベッカのパートに労働問題も出てくるし、自分が非正規だった頃のこともあるので、そういうことも書かなきゃと思いました。現代パートには全然モデルはいないんですけれど。
――白尾さんの作品は、なかなか声を拾ってもらえない立場にいる人たちが登場することが多いと思うのですが、それは自然とそうなるんですか。
白尾:やっぱり昔から母の影響があったので、女性問題などは内面化しているんだろうなと思います。それ以外でも、差別問題とか性加害の問題など、自分が怒りをおぼえていること、疑問を抱いていることは多いです。それらの疑問が完全に解決することはないので、書き続けるんだろうと思います。
――今後の刊行予定はいかがですか。
白尾:いま書いているのは「小説新潮」の「羽根は、青」という連載で、渋谷のホームレス女性殺人事件から少し材を取っているんですけれど、女性差別問題と非正規雇用の問題と、男性問題などを男性と女性それぞれの視点から書いています。ある意味みんな犯人捜しをしているんですが、ミステリではないです。ほぼ終盤にきているので、はやめに本にまとめたいなと思っています。