東日本大震災の後、「〈東北〉が、はじまりの場所になればいい」という文章を書いた。それも含め、この13年間に書きついだものを編んだ。テーマが多様で、「しっちゃかめっちゃかな本ですね」と言うが、迷いながらの歩みが社会の状況をうつし出す。
震災のときは大学院生で、東京の寮にいた。夜になっても、宮城県南三陸町の実家と連絡が取れなかった。崩れ落ちた本の中から手に取った石牟礼道子『苦海浄土』を、すがるように読んだ。
「以前にも読んでいましたが、想像が至らなかった。地域の分断など、福島でも同じことが起きています。水俣へ何度も行くようになりました」
「〈東北〉」と書くのは、東北地方だけを考えているのではないからだ。様々な形で支配され、差別されてきた水俣や沖縄、植民地、在日韓国・朝鮮人、障害者なども根はつながっている、という。そして〈東北〉は膨張する。「ひとごとではなく、自分に引きつけて考えてほしい」
震災の翌年、故郷・南三陸町に戻り、町の再建にかかわった。東京の大学で5年間教えた後、2018年に宮城教育大へ。元々のテーマは「稲作とナショナリズム」だが、東北の成り立ちを知るため、江戸時代の思想家・安藤昌益や、古代の東夷(とうい)征討が記された『続日本紀』も読む。
三陸沿岸の漁師たちの話を聞き、巨大防潮堤の建設に反対した。「海で暮らす人の声は考慮されず、存在しないかのように扱われた。だから、海と生き、すべてが衣食住に結びついた人間の生活は存在するんだ、と書きました」
秋田に生きたノンフィクション作家・野添憲治から引き受けたことは多いという。貧しい少年時代に出稼ぎをした野添は、秋田の花岡鉱山をはじめ、日本各地に強制連行された中国人や朝鮮人を探して話を聞いた。その韓国調査に同行したこともある。
「自分がしんどい思いをしたから、他者へのまなざしはやさしい。そんな野添さんも含めた民衆の思想や、記憶にしか残っていないことを、歴史化したい。小さき声をもうちょっと聞いてくれ、という思いはありますね」(文・写真 石田祐樹)=朝日新聞2024年5月4日掲載