ザヘラ・モハッラミプールさん『「東洋」の変貌 近代日本の美術史像とペルシア』インタビュー 言葉が照らす芸術の源流

奈良の正倉院は「シルクロードの終着駅」と言われる。古代、ユーラシア各地の美術工芸品が日本に伝わった。イランにいた時は「ペルシャ(現イラン)と中国との交流は知っていましたが、シルクロードが正倉院までつながっているとは思わなかった」。
本書では、日本に伝わったペルシャの美術などを通し、「東洋」という考え方がアジアから中東まで拡張していく経緯を美術史、建築史、歴史学の言説や美術商の活動などから迫った。「20世紀初頭の日本では、東洋美術史の範囲は一般に、日本、中国、インドでした」。当時、正倉院や法隆寺などの学術調査が進み、日本の美術や建築の源流としての東洋美術が注目された。
中でも、建築史家で建築家の伊東忠太の貢献は大きい。たとえば伊東が論文で紹介した、法隆寺の国宝「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」という織物の意匠とペルシャとの関連は、西洋の研究者からも評価された。伊東をはじめとした同時代の学者らの研究で、ペルシャ美術が日本美術の源流のひとつとして世界的に認められていくと同時に、東洋の範囲が1920年代には「ペルシャ辺りまで」と拡張されていった。
さらにペルシャ美術などを起点に、東洋の芸術が、西洋に影響を与えたという議論にも発展した。「ペルシャ美術を東洋に包摂することで、東洋が西洋に対抗する可能性が見いだされたのです」
1988年、テヘランで生まれた。「一休さん」など日本のアニメが身近にあった。村上春樹は翻訳で読んだ。テヘラン大学ではペルシャ文学に加え、「もっと広い世界が知りたい」と日本文学を専攻。2014年に留学で来日、東大や国立民族学博物館などで、日本におけるペルシャ文化の受容を研究した。
次のテーマは、1930年から戦後にかけての日本におけるペルシャ観の展開と決めている。「現代の日本におけるシルクロードのイメージ形成を通して、新たなイランとの関係も研究したい。イランと日本について、歴史的な事実に基づいて、お互いの国の理解が進むような研究が大切だと思う」 (文・写真 山盛英司)=朝日新聞2025年5月24日掲載