小野純一さん「僕たちは言葉について何も知らない」インタビュー 言葉は互いの存在を確かめ合い、認め合う証し

言葉とイメージの関係を考察し、井筒俊彦の言語哲学論の著書もある学究が、初めて一般向けの本を書いた。
一言で魔法のように現実を動かすこともできる言葉の不思議。その成り立ちを井筒からサルトル、大江健三郎に宇多田ヒカルまで俎上(そじょう)に載せて柔らかく解きほぐした。
「言いたいことが伝わらないと悩む人、言葉に敏感な人たちに届けばうれしいです」
言葉の意味は卵の黄身と白身にも似て、明確で譲れない核と、ゆるやかで出入り自由な領域との構成が絶えず変化する。誤解が生じるのはその言葉が示す概念の枠組みから何かがこぼれ落ちるため。相手の共感のなさに腹を立てる前に、白身に何を含ませたか思い巡らすことを勧める。
チャットと同じ相互作用的な「場」としての言葉の機能にも光を当てた。共同感覚は一方で自分らしさの不在という孤独感も招く。提唱するのが「述語を深めること」だ。
「述語は主題の意味をより具体的に明確にします。主語が中心にある西洋の論理構造とは違う、無限の可能性をもっているともいえる」
幼い頃から歴史好きで、自分にとって最も異質だが同じアジアのイスラム文化を東大で専攻した。ドイツへ留学し約20言語を学びつつ西洋哲学とアラビアやペルシャの思想を研究、イブン・アラビーへたどり着く。井筒も影響を受けた12~13世紀の思想家だ。
将来の当てがあったわけではない。バイト先のカフェで手製のオレンジスフレが人気を集め「仕事にするのもいいかな」と思ったこともある。ベルギーの大学で教えたあと41歳で10年ぶりに帰国。ラテン語の修了資格を持っているのが縁で現在の職を得た。
文明の交差路に生きた人々の思考を通して学んだのは、普遍性と寛容の精神という。イスラムの人々はお茶の時間を大切にし、議論を詰めるばかりでなく「あなたを理解したい」という態度で接してくれる。言葉とは互いの存在を確かめ合い、認め合う証しであり、未来を創る――そんな視座は、忘れられない出会いにも多くを負っている。 (文・藤生京子 写真・葛谷晋吾)=朝日新聞2025年5月17日掲載