ISBN: 9784480805164
発売⽇: 2024/03/22
サイズ: 20cm/437p
「spring」 [著]恩田陸
凄(すご)い。どうして著者はこれほどまでに生々しくリアルに芸術家の生理がわかるのか。
若くして優れたバレエダンサーであり振付家でもある主人公、萬春(よろずはる)の、表現者としての発想の豊富さ、深さ、斬新さ。これだ!というアイディアが浮かんだときの、作品化を待ち焦がれつつ恐れるような曰(いわ)く言い難い興奮。いかなるインスピレーションをいかに得るか、そこに影響を与える身近な人たちが織りなす文化的環境。作品が形になる過程で、必要な情報や人、舞台など、物事がじわじわと醸成し、神がかり的に「役者」が揃(そろ)ってゆく必然たる偶然。
それらがこれほどいきいきとライブ感を伴って伝わってくるのは、人物描写の卓抜さゆえでもあるだろう。外見、育ち、性格、言動など、ヨーロッパに集まる精鋭たちや、「レジェンド」としていかにも実在しそうな癖の強い面々。彼らが陰にひなたにプロとしての春青年を育んでゆく。複数の人物の視点から見た彼という多元的構成も手伝い、「バレエ小説」の一言では片付け難い厚みと奥行きのある芸術創作解題の書だ。
次から次へと独創的な着想を作品化し、精力的に可能性を広げてゆく彼に、いつしか留学時代の我が身を投影してすっかりのめりこみ、わくわくしたと同時にたまらなく焦った。今の私は日常にかまけて一体何をしているのか。春の活躍に鼓舞され、互いに刺激を受けて世に出てゆく仲間たちさながら、私も創作意欲をかきたてられ、思わず勢いで1曲仕上げたほどだ。
芸事における師弟の邂逅(かいこう)や未来を変えうる人間関係の変遷を主眼とした才能ある若者の成長記としても本書は限りなくリアルだ。教え子の快挙や巣立ちに立ち会った時の興奮と感動、さまざまな感傷。この点でも私自身の経験と重なる部分が多く、当事者のごとく感情移入してしまった。
作中引用される映画や音楽を視聴したくなるので、この物語から世界がどんどん広がる楽しみもある。「踊りとは目に見える音楽」「卓越した音楽家は一音に込められた情報量が違う」「厳しくて寛容なのがよい教師の条件」など、個人的に心に留めおきたい至言も味わい深い。
春を見守る複数の視線やできごとが、名前や書名にちなんだ歴史的楽曲の振付(ふりつけ)で小学校時代に彼が感じていた孤独の表現たる踊りに収斂(しゅうれん)される結末まで、まさに「戦慄(せんりつ)」の連続。春の振付作品や舞踊を是非見てみたい思いにかられるが、その凄みが筆だけで十分に伝わってくる作者の表現力や構成力に脱帽した。久々に読んだ小説から千載一遇のエネルギーをもらった。
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おんだ・りく 1964年生まれ。小説家。2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞。06年『ユージニア』で日本推理作家協会賞。07年『中庭の出来事』で山本周五郎賞。17年『蜜蜂と遠雷』で直木賞と本屋大賞。