「ロシア宇宙主義」/「深海世界」 人類が目指す未来の空と未知の底 朝日新聞書評から
ISBN: 9784309231419
発売⽇: 2024/04/30
サイズ: 13×18.8cm/376p
ISBN: 9784750518411
発売⽇: 2024/05/27
サイズ: 18×3cm/456p
「ロシア宇宙主義」 [編著]ボリス・グロイス/「深海世界」 [著]スーザン・ケイシー
初めて海外に出たのは消滅前年のソ連だった。そこで奇妙な景色に遭遇した。たとえばモスクワ。メディアを通じて馴染(なじ)みのあった欧米の都市とよく似ているけれども、どこかが違う。目的は美術の調査であったが、ことが宇宙の話に及ぶと、ソ連では人間に先立ってライカ犬をはじめとする宇宙犬が次々に大気圏外へと向かっていた。アメリカではえりすぐりのエリートにしかその権利は与えられない。「宇宙」の捉え方がどこか違うのだ。
アメリカの宇宙開発は「開拓」精神の延長線上にあったが、ソ連では「革命」を拡大する膨張主義の先にあった。それどころか『ロシア宇宙主義』を読むとそのような精神はもっと前から存在した。むしろ、それがロシア精神の根底にあったからこそ「革命」も可能だったのではないか。それなら「革命」破綻(はたん)以後のロシアにも「宇宙主義」はきっと見いだせる。「不死」と「復活」と「永遠」の過剰な覇権主義として。
だが、イデオロギー上いかに対立しても、宇宙を人類が未来の目標に掲げたことに変わりはない。宇宙は「理想」なのだ。哲学者カントの墓碑に刻まれた「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」の頃から変わっていない。対して「深海」はどうだろう。太陽の光さえ届かない永遠の闇の世界では「1平方センチメートルあたり約560キロの圧力」がかかる。「火星のインタラクティブな三次元地図がiPhoneで見られるようになった現在でも、海底の8割は鮮明な詳細図が作製されていない」。
ところが『深海世界』を読むと、宇宙に比して深海こそ未知で多様な生命に満ちている。第3章では生命の誕生が海底であった可能性にも触れられる。著者の言葉を借りれば、私たちはいまだに「地上偏重主義(大事なことはすべて地上で起こるという間違った思い込み)」の中にいる。無理はない。初めて沖に出たとき、この足の下にどれだけ深い海淵(かいえん)があるのかと思うと身がすくんだ。深海は未来であるどころか「冥界」なのだ。
しかしだ。深海ではロシア宇宙主義が目指した「不死」が別のかたちで実現している。深海に居座る「極限環境微生物」は何百万年も生き続けることができる。これらは太陽系、たとえば土星最大の衛星タイタンの液体メタンの海で私たちが発見するかもしれない生命でもある。そもそも生命の誕生がなければ宇宙そのもののビッグバンに意味はない。もしかすると「深海世界」こそが人類の行き着く真の「未来」かもしれない。
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Boris Groys 1947年生まれ。美術批評家。旧ソ連出身で西独へ移住、ニューヨーク大教授などを歴任▽Susan Casey 1962年カナダ生まれ。作家、編集者。「スポーツイラストレイテッド・ウーマン」編集長など。