【谷原店長のオススメ】馬場正尊「あしたの風景を探しに」 建物と街の未来を考えるヒントに満ちている
独自の視点と価値観で不動産を発掘し、紹介するサイト「東京R不動産」。僕もときどきチェックしているこのサイトを立ち上げ、運営・制作ディレクターとして活躍しているのが、建築家の馬場正尊さん。今回ご紹介する『あしたの風景を探しに』は、長い年月にわたって馬場さんが書き留めた日々の文章をまとめたものです。建築家として、リノベーションする立場としての視点、住まいや公共建築物、公共スペース、東京のイーストサイドの再開発など、あらゆる空間の設計についての考察が社会的視点から横断的に網羅されて記されています。
1968年、佐賀県に生まれた馬場さんは、大学院で建築学を修めると、大手広告代理店に就職しました。数年後、そこを離れると、建築とサブカルというユニークな分野を扱う雑誌「A」を創刊し、編集長として多忙な日々を送ります。その後も「東京R不動産」をスタートさせるとともに、空きビルを時限ギャラリーにするプロジェクトや建築誌やカルチャー雑誌への寄稿、全国各地の新しいまちづくり「エリアイノベーション」を手がけるなど、さまざまな領域を横断し精力的に活動しています。
僕自身のことを言えば、建築を好きになったきっかけは「椅子」でした。
人生の多くの時間を過ごす「住」が大切だと感じて、若い頃からインテリアに関心を抱いてきました。90年代後半から2000年代前半にかけ、「ミッドセンチュリー(1940~60年代の米国の家具や建築物のデザイン)」が、日本でも流行しました。「イームズ」の椅子を覚えていますか。あの頃、僕はどちらかというと北欧家具の方が好きで、デンマークまで、家具を見に行く旅に出かけたこともあります。
そんなインテリアへの興味関心が、やがて建築へと広がり、さらには公共空間のデザインにも思いを馳せるようになったところで、馬場さんが手がけておられる、公共空間のマッチング事業「公共R不動産」というサイトの存在を知りました。全国に眠っている、使われていない、でも隠れた可能性を持つ公共空間を紹介するプロジェクトです。サイトを覗いてみると、廃校となった学校や、文化複合施設など全国の物件が、「こう使えば良いんじゃないか」というアイデアと共に並んでいます。
馬場さんは本のなかで、都内のあるイベントに参画した時の違和感を綴っています。
とくに印象的だったのが、広場の管理者である行政のスタンス。この広場をいかにしてひらかれたカフェにできるかという相談をしたいのに、行政担当はあたかも自分の私有地のように使用制限を矢継ぎ早にぶつけてくる。どうやって積極的に、健全に、この空間を使うかを一緒に考える場であるはずなのに、いつの間にか使用制限をかけることが仕事であるかのごとき態度。公共の広場を管理することの意味がズレている……と、違和感が強まった。(中略)公平性を担保しなければならないというプレッシャーもあるだろう。でも、こうして硬直化してしまっている公共空間のあり方に、長年蓄積されたシステム疲労が象徴されているような気がした。(本文より)
公共性を重んじ、公平でなければならないから、挑戦を怖がってしまう。そんな及び腰では、せっかくの公共財産をうまく活用できません。「これも、あれも禁止」と、がんじがらめにし、本来の「公共」の意味をなさなくなっている。「総意が得られない」と言って眠らせてしまうことなく、いろんなアイデアが出されたら、どんどん挑戦し、トライ・アンド・エラーで軌道修正しながら使っていけば良いのに、と思うのです。
日本には、戦後混乱期のドサクサに紛れ、東京・渋谷の「のんべい横丁」や新宿西口の「思い出横丁」といった、独特の魅力を放つ界隈が数多く生まれました。今は再開発され姿を消してしまった、東京・下北沢駅前の「食品市場」も、戦後の闇市をきっかけに発展したところ。皆で活用し合うなかで形成されていった、こうした空間は、防災の観点から捉え直せば「再開発やむなし」との声が上がるのも、ごもっともです。事実、下北沢駅前は再開発され広いロータリーができ、この10年で著しい変貌を遂げました。
防災上の懸念は理解しつつも、「まちの息遣いが失われてしまった」という複雑な気持ちにもなってしまう。どちらも大事ですよね。防災ももちろん大切です。でも、長い年月をかけて皆でつくり上げてきた、有効に活用されていた場所もまた、かけがえのないものです。一度、再開発すれば、そこで営まれていた活気、生活が失われてしまうわけですから。
ただ、僕は「都市は新陳代謝していくものだ」とも思っています。街自体が磁力を失わずに、たとえばシモキタなら本来の、雑多で面白い、ガチャガチャとしたものが好きな人たちが離れてしまうことのないように、地元住民と行政とで対話を重ねていくしかないと思います。若者の斬新な発想や、他の地域の人たちによる俯瞰した意見も採り入れて、いろんな可能性の中からどれを採用するのか。そこは行政のセンスだと思います。全国各地でこうした再開発と公共空間の再構築が行われていますが、共通する大切なことは、「街の磁力をなくさない」ことだと思います。
馬場さんのことを面白い建築家だな、と思うのは、ご自身の視点の始まりが、建物を「創る」ところからではない点です。建物の「内側」ではなく、「外側」に向かっている。もしくは、建物の「外側」から「内側」に向かい、もう一度「外側」を見直している。こうした横断的で、かつ俯瞰的な考え方は、社会で起こるムーブメントに関心の高い人だからこそ持ちうる視点だと思います。そして、ここに束ねられたいくつもの散文は、馬場さんが建築誌などで発表しておられるような、専門分野の建築や都市に関する、かっちりした論考というよりむしろ、まちの新しい未来への妄想を重ねていくような、唯一無二の魅力に満ちています。
アニメ監督・宮崎駿さんや、建築家・清家清さんにインタビューした記事も盛り込まれ、どちらも必読なのですが、特に清家さんの回には膝を打ちました。とかく、概念でモノを考えようとする人は、自分の理想を追わんとするばかりに現実的な使い勝手、コストバランスといったものを考えず具現化してしまいがち。でも、清家さんは異なります。
――清家清の建築は必然的なこと、時代や素材といった一つひとつのものの集積なんですね。
清家:そりゃそうですよ。歴史はつくられるって言い方もあるけど、歴史じゃなくて自然がつくるんですよね。そこから現実が必然的にできてくるんだ。つくるもんじゃないよね。木なんかも自然に生えてきちゃったんだもん。いつの時代でも同じ。建築もそうだよね。偶然の集積だよ。 (本文より)
「現実的に発生する問題を、極めて具体的な手法で一つずつ解決してゆく」。馬場さんは清家さんをそう評します。そんな清家さんの姿勢は、建築家というフィールドから一歩足を踏み出し、建物や都市、まちに対してコミットしていく馬場さんご本人にも貫かれていると思います。
まちの未来について考えながら読み進めていると、どうしても脳裏から抜けないことがあります。それは、少子高齢化が加速するなか、都市をどう再生させ、今までのインフラを納得のいく形でどう維持させていくのか、あるいは「畳む」のか。そろそろ深刻に考えなければならない時期に来ていることを実感します。大都市圏でさえ、道路陥没事故が起きるような今、社会を「畳む」「縮小させる」うえで、何を優先させ、何を切り捨てていくのか。
もちろん、単なる「切り捨て」だけではなく、新たな魅力を打ち出し、そこに暮らす人々を新たに創出していくことだって、できるはず。それには、旗振り役、デザインする人が必要です。魅力さえわかりやすく提示すれば、ひとはまた集まるでしょうし、ひとが少なくても、今までの価値観ではない新たな考え方でまちを捉え直していく、というのも大事ですよね。
成長が前提でつくられてきた都市を、これから縮小し、畳んでいく。決してネガティブなことだけではない施策もできるはずだと僕は思います。知恵を出し合っていきたいですよね。若者も、よそ者も巻き込んで。
建築学科出身の絵本作家・青山邦彦さんによる『ずっと工事中!沢田マンション』(学芸出版社)を。「日本の九龍城」と称される、高知市の集合住宅「沢田マンション」を描いた本です。何でも手作りしてしまうオーナー夫妻が増築「しまくって」できた、とんでもないマンション。迷路のような階段やスロープ、一つとして同じ間取りのない住戸の様子が、精緻な筆致で描写されています。実際に行ってみたいなあ。(構成・加賀直樹)