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「サンショウウオの四十九日」書評 自己の境界を問い直すたくらみ

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2024年08月10日
サンショウウオの四十九日 著者:朝比奈 秋 出版社:新潮社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784103557319
発売⽇: 2024/07/12
サイズ: 19.7×1.5cm/144p

「サンショウウオの四十九日」 [著]朝比奈秋

 私とはいったいなんなのか。人は死ぬとどうなるのか。今期の芥川賞受賞作は、有史以来連綿と受け継がれる問いに、身体というレンズを通して新たな光を投げかける。
 神奈川県の藤沢に住む29歳の双子の姉妹・杏と瞬。物語は伯父の死から四十九日までの2人の日々を追う。冒頭で父親が胎児内胎児、つまり双子の兄の体内に宿って生まれた逸話が披露されるが、30ページほど読み進めて判明するのは、語り手である姉妹が一つの身体を共有し「はたから見れば一人に見える」結合双生児であるという、さらに驚くべき事実だ。
 だがこの稀有(けう)な一家の日々の暮らしは、私たちのそれとなにも変わらない。そのきわめて特異な境遇と平凡な生活描写の大いなる「ずれ」が、しだいに私たちが「常態」や「常識」とみなしているものをくるりと反転してみせる。
 身体だけでなく思考や感情や記憶をすべて分有する人間がいる。ならば人間の自己同一性の根拠は意識にあるのか。その問いは、認知症の祖母とのふれあいを通してさらに深まる。一人称の使い分けで姉妹の思考の交錯を示し、自己の境界というフィクションを、小説というフィクションで炙(あぶ)り出そうとするたくらみが効いている。
 伯父と父の「臓腑(ぞうふ)的」な入れ子構造と、姉妹がかたちづくる、白と黒のサンショウウオが絡み合う陰陽図のような相補相克関係。くっきりと図像的にデザインされた小説の枠組みから、人という存在のあやふやさがいやというほど溢(あふ)れでる。そこでたしかに信じられるのは、人がする呼吸の規則正しいリズムだけだ。
 医療はときに様々な倫理と衝突するが、この作品もしかり。侵すべからざる倫理や禁忌を踏み越えてでも描きたい、描かなければいけないなにかに衝(つ)き動かされているような小説だ。あやうさもある。だがそれは、医者であり小説家である作者が描く、祈りの軌跡であるだろう。
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あさひな・あき 1981年生まれ。『植物少女』で三島由紀夫賞。『あなたの燃える左手で』で泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞。