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「忘れられたアダム・スミス」書評 必要と欲求を分ける現代的意義

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2024年10月12日
忘れられたアダム・スミス: 経済学は必要をどのように扱ってきたか 著者:山森 亮 出版社:勁草書房 ジャンル:哲学・思想

ISBN: 9784326154876
発売⽇: 2024/08/01
サイズ: 2.1×19.4cm/296p

「忘れられたアダム・スミス」 [著]山森亮

 「彼には休息が必要だ」とか「就職活動にスーツが必要だ」と言えば、その意味するところは、ある人が「休息を求めている」とか「スーツを欲しがっている」というのとは違う。ある人に休息が必要だということは、休息が得られなければ、何らかの害が生じることが示唆されており、そこには個人の欲求には還元され得ない面があるからだ。同じように、就職活動におけるスーツも社会の慣例に照らして要るわけで、主観的とは言えない側面がある。
 そんなことはわざわざ言うまでもないと思うかもしれないが、驚くなかれ現代の経済学は必要を欲求と区別せずに扱っているのだ。現代経済学のそんな「慣習」にどっぷりとつかった評者などは、必要と欲求が異なっていることすら忘れがちだ。
 だが、この「慣習」は、現代経済学の主流派が自らの始祖と主張するアダム・スミスらに遡(さかのぼ)るものではないことを本書は明らかにする。スミスにおいては、むしろ必要は単なる欲求とは区別されて枢要な位置を占めていた。スミスといえば「見えざる手」という言葉に象徴されるように市場主義者として捉えられることが多いが、あくまで最下層の人びとの必要が満たされ得ることを前提としたうえでの自由市場の正当化だったという。
 必要が特定されないことによって現実的な問題が生じるのが、貧困を計測する際だ。貧困とは、人びとの必要が満たされていない状態だからだ。本書の一つの貢献は、貧困の捕捉を巡って論争を展開したピーター・タウンゼンドとアマルティア・センに内在するスミスとの共通性を整理した点だろう。解決され得るものとしての貧困を同定するのにあたって、現在の「相対的貧困」観が見失っている点が明確になる。
 本書は時に哲学的だが、決して衒学(げんがく)的ではなく、しばしばはっとさせられる。必要が欲求に還元され得ないという事実の重さを感じながら世界が見えてくる気がした。
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やまもり・とおる 1970年生まれ。同志社大経済学部教授。著書に『ベーシック・インカム入門』など。