ヒアシンスハウス(埼玉)
早世の詩人の夢 65年後に実現
さいたま市中心部の公園の中、沼のほとりに立つ小さな家には、遠方からも訪れる人がいるという。
「僕は、窓がひとつ欲しい。……そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる」
こんな言葉を詩に書いた立原道造(1914~39年)は詩人であり、東京帝国大学建築学科の卒業制作が賞を受けた建築家の卵でもあった。23歳の時、週末を過ごす小さな別荘「風信子荘(ヒアシンスハウス)」を自分のために設計した。
20平方メートル足らずの家について50通りもの案を考えた末、外観や間取り、内装を描いたスケッチ数枚が残された。友人らに宛てた手紙に折り込まれるなどしたもので、寸法、屋根や壁の仕上げ方がきちょうめんな字で書き込まれたものもある。別荘の住所を記した名刺まで刷っていたが、翌年、肺結核のため世を去った。
その夢を65年後、地元の建築家や文芸家らが中心になって実現した。市と交渉して立原が望んだ沼のほとり、別所沼公園の一角に建設地を確保、寄付金を集めて完成したのが「ヒアシンスハウス」だ。
室内は東西に長いワンルームで、東南の角が窓、北側にも横長の窓が開ける。北の窓に面した机、西側のベッド、東側のベンチや食卓、椅子もスケッチ通りに製作、配置されている。建設に携わった建築家の一人、山中知彦さん(71)はプライベート空間とコミュニケーションの場が自然に区切られている様子に「間取りのうまさ」を感じると話す。
キッチンがないのは、茶室のように最小限の空間を目指したとも、近所の知人の家でごちそうになるつもりだったからともいわれる。立原が兄のように慕った詩人・神保光太郎をはじめ、周辺には関東大震災後多くの文化人が暮らした。
立原の建築家としての才能が見てとれると話すのは、山中さんらとともに建設に関わり、今も月1回ガイドを務める三浦清史さん(78)だ。「ものの寸法、スケールに対する感性は、持って生まれたものがあったかなと思います」
実現した家を立原が見たら何と言うだろうか? 山中さんは「よくやった、と言うんでは」と笑った。(写真・文 島貫柚子)=朝日新聞2023年11月14日掲載
DATA
原案:立原道造
設計:ヒアシンスハウスをつくる会
階数:地上1階
用途:展示、催し
完成:2004年
山の上ホテル(東京)
作家ら愛用 老朽化で休館へ
多くの作家に愛されたクラシックなホテル。2024年2月から休館すると聞き、改めて歴史を振り返った。
にぎやかな大通りの角を曲がり坂を上る。山の上ホテルの入り口付近は平日の昼間というのにスマホやカメラを手にした人であふれていた。
1905年に来日し、各地に印象的な西洋建築を残した米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物は築87年。「老朽化への対応を検討するため」2024年2月13日から休館している。
左右対称、ブロックを積み上げたような塔屋が特徴の建物はアールデコ様式で、ニューヨークの摩天楼を意識しているとも言われている。当初は「佐藤新興生活館」として建てられた。実業家・佐藤慶太郎が私財を投じ、衣食住に関する西洋式の知識や技術を女性たちに教えるため設立した教育施設だ。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収された建物を54年にホテルに生まれ変わらせたのは、国文学者の父が佐藤と親交があった吉田俊男(1913~91)だった。元会社員でホテル経営の経験はない吉田は既存のノウハウに頼らない、独自のもてなしを追求。従業員に日本の名旅館や欧州の一流ホテルを視察させるなどした。
現在顧問を務める中村淳さん(68)が入社間もないころ、フロントで勤務していると、吉田社長から電話がかかってきた。「前にいるお客様はもう30分以上座っているけど、大丈夫なのか」。どこから見ているのか不思議に思うとともに、一声かけることの重要さを学んだという。
吉田はホテルの食にもこだわり、自ら築地の市場に足を運び、すべての料理を毎日味見した。「現場のことも従業員の動きも全部見ている。こんなすごい人にはなかなか出会えない」と中村さんは振り返る。
締め切り間近の作家が部屋にこもって執筆する“カンヅメ”も山の上ホテルの風景の一部だった。編集者が催促に訪れると、作家に頼まれて「先生はいらっしゃいません」と答えるのも仕事だった、と中村さんは懐かしんだ。(写真・文 斉藤梨佳)=朝日新聞2024年1月30日掲載
DATA
設計:ヴォーリズ建築事務所
階数:地上5階、地下2階、塔屋1階
用途:宿泊施設、レストラン
完成:1937年
松原市民松原図書館(大阪)
壁厚さ600ミリ 池の中の「本の森」
ため池につかったような建物。実はこれ、図書館なのです。でも紙は湿気に弱いのでは?
大阪府松原市には古墳やため池が多い。痕跡も含め古墳は約20基、ため池は約40カ所を数える。
2020年1月に移転リニューアルした「松原市民松原図書館」は、そんなため池の中にある。
市は埋め立てを前提に設計施工案を公募したが、建築設計事務所マル・アーキテクチャは池をいかす設計を提案。事務所主宰の高野洋平さん(41)と森田祥子さん(37)が、町の特徴を後世まで残し伝えたいと考えたからだ。埋め立てないことで工期短縮、コスト削減もできた。
外壁のコンクリートの厚さは600ミリ。通常の3倍ほどで、建築というより土木構造物の風情。
表面もあえて粗く仕上げ、「自然と一体化している古墳のように、長い時間を経たような姿にしたかった」と話す。
本に大敵の湿気が多いのではと思うが、「湿度はそんなに高くありません」と高野さん。
館内の空気は、吹き抜けを通りらせん状に循環する自然換気と空調で管理され、外壁の厚さで外気の影響を受けにくいという。
開口部は少ないが、閲覧席には大小の窓から光が届き、時間帯や天候により水面の揺らぎが壁や天井に映し出される。
少しずつずらして配置された1階の書架を、森田さんは「思いがけない本に出会える、本の森」と表現する。
勉強中の高校3年生、柚木優人さんと梶原駿輔さんは「気分転換できる場所も多く、休みの日は昼から夜までいられる」と、テラスでつかの間、休憩していた。(写真・文 小森風美)=朝日新聞2020年10月27日掲載
DATA
設計:MARU。 architecture+鴻池組
階数:地上3階、地下1階、塔屋1階
用途:図書館
完成:2019年11月
※情報はすべて取材時のものです。