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いしわたり淳治さん「言葉にできない想いは本当にあるのか2」インタビュー 言葉をうまく操ることができたら悩みも減るはず

いしわたり淳治さん=撮影・小財美香子

ぐるぐる回る音楽の流行のなかで

――音楽ライターということもあって、シンガーソングライターのimaseさんがなぜ支持されたのかを書かれた回が面白かったです。「“ちょうどよく力を抜く”のはできそうでできない」は言い得て妙だなと。

いしわたり:そうでしたか。ありがとうございます。僕らが若かった頃は音楽でメジャーデビューすることは夢だったし、一攫千金というかトレジャーハンティングみたいな気持ちがあったと思うんです。でも今の子たちはそういう感覚より、自己表現のツールというか、個性を発表する場所、みたいな認識が強い気がするんです。もちろん売れたほうがいいけど、そこは2次的、3次的要素なんだろうなって。

――「“音楽〝も〞やってみたい”という感覚」ですね。バンドKIRINJIの「ほのめかし feat. SE SO NEON」の歌詞解説も興味深く読みました。シティポップというジャンルは、「生活感や人間臭さみたいなものを消すことで都会的な格好良さを醸し出す」と書かれていて、僕はエモーショナルな音楽が好きだから、「じゃあどうすんねん」と思って読んでいたら原稿でしっかりアンサーを出されていて爆笑してしまいました。

いしわたり:(笑)。例えば、「どうしておれはモテないんだ」という歌詞はロックだけど、それをシティポップ的に変換すると、主語を消して、ぼやかして、「さよならを抱きしめて生きていくのさ」みたいな表現になるんじゃないか、みたいな考察ですね。

――imaseさんの話題にも共通するのですが、自分は若い世代の感覚を理解しきれてないんです。いしわたりさんはジェネレーションギャップに悩んだことはありますか?

いしわたり:悩むとかはないですね。時代や流行が移り変わることは、音楽の長い歴史の中でずっと繰り返されてきたことですから。かつては、職業作家(作詞家、作曲家)といわれる人たちが活躍した歌謡曲の時代があって、その後、自作自演のニューミュージックが出てきて、そこからバンドブームが来たりして。

――いしわたりさんはロックバンドSUPERCAR(1995~2005)のメンバーとしてバンドブームの後半に登場しました。

いしわたり:そうですね。でも、あの頃の僕が何をしていたかというと、「アーティスト」として自己表現をして、抽象的なことを歌っていました。でもそれは「抽象的にするぞ」と思っていたわけではなく、自分の表現力の限界もあったし、同時に「わかりやすくてたまるか」というカッコつけもどこかにあったんだと思います。

――「わかりやすくてたまるか」は90年代的なメンタリティですよね。

いしわたり:バンドが解散してしばらくした頃に、AKB48が出てきて、今度は歌詞にわかりやすさが求められる時代になりました。その頃、さらにK-POPもやってきた。その結果、職業作家が再び注目を浴びるようになって。その時代を経て、今はアイドルの時代も若干落ち着いて、再びアーティストの時代になってきている感じがします。

――ぐるぐる回っている、と。

いしわたり:アイドルに音楽を作っていた作家には、自分のようなバンドブームの頃に出てきた人たちもいたりして。どの時代にもいろんな人がいて、それが多数派になったり、少数派になったりしてる。ほとんどの物事は何かの反動で起きたりするので、流行の移り変わりは自然の摂理みたいなものなのだと思います。

――同い年とは思えない柔軟さに頭が下がります……。

いしわたり:そんなこともありませんけどね。でも、僕が柔軟に見えるのだとしたら、僕が音楽は根本的にエンタメだと思っているというのが、根底にあるからかもしれません。音楽の作り手に強い思いやこだわりがあることはもちろん素敵なことだけど、すべてがそうあるべきだとは思ってない。誰もが気楽に楽しめるものがもっとあっていいと思っています。

 

いしわたり淳治さん=撮影・小財美香子

自分ができないことを何かのせいにしたくない

――そのように考えるようになったのはいつ頃からですか?

いしわたり:バンドを解散してからかもしれません。当時、自分がバンドでやり残したことはなんだろうと考えた時、紅白に出てないし、Mステにも出ていない。「カウントダウンTVをご覧のみなさん」と言ったこともない。メジャーの本流のところに一歩も足を踏み込めなかったなと思ったんです。その時、自分がやってきたのは、エンタメではなかったのかもしれないと気づいて。

――でも、いしわたりさんが作詞とギターを担当したSUPERCARはすごく人気がありましたよ。

いしわたり:ありがとうございます。(笑)でも広義のエンターテインメントをやれてなかったなと思います。

――メジャーアーティストのプロデュースや作詞を手掛ける中で戸惑ったことはありますか?

いしわたり:どうでしょう。僕は2005年から作詞家に転向したんですが、当時は作詞家という仕事の人が、ほとんど存在していなくて。

――AKB前夜なので、まだバンドやシンガーソングライターが主流ですね。

いしわたり:そうなんです。バンドを解散する時、SUPERCARが所属していたレーベルの社長に「お前、何やるんだ?」と聞かれて、「作詞家になろうと思います」と答えたら、「お前、みんな自作自演で音楽やってるのに、作詞家なんてやって暮らせると思うか」と言われたんです。「悪いこと言わないからプロデューサーをやってみないか」みたいな感じで、当時まだまだアマチュアだったチャットモンチーを紹介してもらいました。それから、チャットモンチーや9mm parabellum bulletなどのプロデュースをしながら、書かせてもらえる数は少ないけれど作詞家としても活動する、みたいな日々が始まって。

――作詞家の道を諦めなかったのはなぜ?

いしわたり:頭の切れるあの社長ですら作詞家は食えない仕事だと思っているなら、おそらくこの時代に作詞家を目指してる人はいないだろうなと考えたんです。逆に言えば、作詞家はブルーオーシャンなのかもしれない、と思って。

――困難も前向きに捉えることが大事なんですね。今回の本の中に出てくる、小籔さんの「困難に出会ったら、それは天照大神がくれた試練だと思うようにしてる」みたいな言葉にも通じるものがありますね。めちゃめちゃうっとうしい奴が出てきたら、その人が天照大神の化身だと思って「おいおい天照、こんなお題出しよったか」という。

いしわたり:そうかもしれませんね。僕は、一度しかない人生の中で、1秒もこそこそしたくないんなと思うんです。だから、作詞家になって20年になるけど、締切も破ったことは一度ありません。だって、締切までにアイデアが出なくて書けないのは、その締切が悪いのはなくて、自分の普段の行いが悪かっただけですから。だったら、精一杯頑張ったものを締切に出して、それがもし先方の希望に沿わないものなら、次から仕事がなくなる方が正しいことだと思います。締切を伸ばしてもらっても、その伸ばしてもらった数日間は自分を小さく感じる時間ですからね。僕も小籔さんと同じように、「お天道様が見ている」という言葉が好きで、座右の銘にしています。誰にも見られていない時に何をしていたかで、人生は決まりますからね。

新刊の『言葉にできない想いは本当にあるのか2』(朝日新聞出版)=撮影・小財美香子

社会生活を送れているからこそ、恥ずかしさを感じられる

――〝AIは笑いを作れるのか〞という話題で、オードリー若林さんの「スベっても傷つかない人間がやってるから、あんまり面白くないのかなって思った」という発言にも痺れました。

いしわたり:僕もこれを聞いた時、恥ずかしさって、社会生活を送れている証なんだなと思ったんです。恥ずかしいという感情は偉大なんだって。

――ネガティヴに捉えがちですが、メンタルヘルスのケアや不登校の問題と向き合うためのヒントになる言葉ですよね。

いしわたり:何を恥ずかしいと思うかで人間って出来上がるのかもしれませんね。ありがちな「思春期の恥ずかしい要素」をくっつけて粘土のようにこねたらあの頃の自分が出来あがるような気も(笑)。

――今回の著書には若林さんの発言が多いなと感じました。

いしわたり:今回、本の帯文を書いて頂いた麒麟の川島明さんにも「いしわたりさん、絶対若林のファンでしょ?」と言われました(笑)。でも、自覚症状が全然なくて。それを言われて初めて、あれっ? おれって、若林さんのファンだったんだ? と。若林さんの言葉が多くピックアップされてるのは、彼が純粋にすごくキャッチーな言葉を生み出す才能に長けているからだと思います。

――言葉におけるキャッチーさはどんな要素で構成されていると思いますか?

いしわたり:難しいですね。でも、もしかしたら、キャッチーさはその言葉が便利かどうか、っていうのと関係しているかもしれません。言葉ってコミュニケーションの道具ですからね。だから、使いやすい道具がどんどん発明されるんだと思うんです。それこそ、「便利グッズ」のように。この連載で取り上げる言葉たちは、コミュニケーションツールとして、飲み会で話題にしたら面白そうだなという視点で選んだりもしてるんですよ。

――飲み会! なるほど、コミュニケーションツールとしてボキャブラリーはたくさんストックしておきたいですね。

いしわたり:そうですね。結局、人は自分の感情や伝えたいことの近似値を言葉に置き換えて、どうにか相手に伝えているんです。その意味で、言葉は道具として万能といえば万能だけど、完璧かというと微妙なところもある。その感覚は、この本のタイトル「言葉にできない想いは本当にあるのか」にも通じるところなんです。たくさんの便利な言葉が発明され続ければ、どんな感情も完璧に言葉にできる未来が来るかもしれない、という。

 

いしわたり淳治さん=撮影・小財美香子

人間と人間の間に挟まってるものが言葉

――芸人さんはこういう言い方を嫌がるかもしれないけど、みなさんすごいクリエイティブですよね。

いしわたり:音楽で人を笑わせるのは難しいですからね。悲しい歌や明るい歌、感動的な歌はたくさんあるけど、笑わせる歌は少ない。芸人さんは人を笑顔にするためだけに言葉を使っているから、本当にすごいと思います。

――キャッチーさで言うと、千鳥ノブさんの「お貧しい!」にも衝撃を受けたんです。貧しさって対応が難しい。失礼にならないか気になるし、同情するのも違う。そんな時、ノブさんのように柔和な表情で、接頭語の「お」をつけて「お貧しい!」と言えたら、良い相槌になるし、ユーモアもあるし、会話のクッションにもなる。この柔軟さと知性が世の中のいろんな問題を解決してくれるような気すらしました。

いしわたり:そうですね。人間の悩みっておそらく9割方人間関係だと思うんですよ。そして、その人間と人間の間に挟まってるものが「言葉」であって。言葉をうまく使うことができたら悩みも減るんじゃないかとも思います。

――あと僕がハッとしたのは、「勉強するのは、だまされないため、殺されないため」です。

いしわたり:東大王を育てたお母さんの言葉ですね。これに関しては、話法として優れているなと思いました。子供にとって一番理解し難いのは「なんで勉強しなきゃいけないのか」ってことじゃないですか。親としては長々と説明したくなるところだけれど、長く話したからといって子供には伝わらない。見出しとして、最初にこんなショッキングなことを言われたら、それに続く言葉もスッと入ってきますよね。実際、知識がないとだまされたり、事件に巻き込まれたりしますから。

――うかがっていると、僕を含め多くの人はもっと言葉と真剣に向き合うべきですね。そのほうが豊かな人生を送れそうです。

いしわたり:なるほど。でも、豊かな人生って何なんでしょうね。最近幸せについて考えてる中で、閃いたことがあるんです。例えば、よく旅行から帰って、「やっぱり家が一番落ち着くなあ」って言ったりするじゃないですか。つまり、旅行中の瞬間最大風速みたいな楽しさって次の瞬間には消えてしまうから、楽しさって、幸せとは別のものなんだと思うんです。幸せはあくまで日常の方にあるんじゃないかと。

――それはわかる気がしますね。

いしわたり:だから、日々の不安が自分のキャパの内側に収まってる状態のことを幸せと呼ぶんじゃないかと思うんです。逆に不安が自分の外側まで溢れ出してしまうと不幸と感じるんじゃないか、と。だから、よく言う「幸せになりたい」というのは、イコール「心のキャパを広げたい」ということなのかなと思います。友達や恋人や家族がいれば孤独じゃないから、心のキャパが広がる。お金があればお金で解決できることは多いから、心のキャパが広がる。でも、大事なのは、誰でも家族や友達やお金があれば幸せかというと、そういうことじゃない。何が手に入れば自分の心のキャパシティが増えたと感じるかということが大事で。中には、3億円の借金があってもへっちゃらでハツラツと生きてる方もいますしね。家族がいても不幸せそうな人もいますし、誰かの何気ない一言でどんと落ち込んでしまう人もいるし。

――キャパシティって、本人も知らないうちに形成されるんでしょうね。

いしわたり:そうなんだと思います。僕も幼い頃は家庭が貧しかったので、死ななきゃOKみたいな感覚が今でもどこかにあります。音楽の仕事で暮らせてるなんて、超ラッキー、幸せだなと思って毎日生きているんです。子供の頃は、それこそ片栗粉に熱湯を入れてゼリー状にしたものに砂糖をかけたのが夕食として出たりしてましたから。

――お貧しい!

いしわたり:僕は「お貧しい!」がOKな人です(笑)。その言葉がNGな人もいますからね。それも、心のキャパの問題ですよね。

――日々使っている言葉を改めて見直し、丁寧にコミュニケーションをしたら、そこから人生を豊かにできるかも。

いしわたり:この本はパッと開いたところを軽く読み捨てるくらいの感覚で気楽に読んでもらえたらうれしいですね。そして、何か気になった話があったら、お酒を飲む時の無駄話のネタにでもしてほしい。僕としては、そういうところがこの本のゴールかなって思います。