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坂崎かおるさんの読んできた本たち ジャンルを超えた新星は、高校時代にドストエフスキーを完読していた

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作家読みをする子供だった

――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしています。

坂崎:正確にはいちばん古い読書ではないのですが、そう訊かれて最初に思い出すのは『シートン動物記』です。家に子供向けの伝記などのシリーズがあって、そのなかに『シートン動物記』もあったんです。子供の頃はそれを繰り返し読んでいました。『シートン動物記』って、基本的に悲劇的なんですよね。「オオカミ王ロボ」なんて、連れ合いのために戻ってきて、殺されてしまうという結末ですよね。そういうものに惹かれるところがありました。読んだのは小学校の低学年ですが、『シートン動物記』だけはその後もずっと、実家を出るまで自分の本棚に置いていた記憶があります。

――小学校に上がる前に絵本を読んだ記憶はありますか。

坂崎:うちの両親はともに本が好きだったので、小さい頃も結構読んでもらっていたんじゃないかと思うんですが、あまり憶えていないんです。
母が毎週、図書館から本を限度冊いっぱいに借りてきてくれたんです。一週間でそれを全部読み、母がまた新しい本を借りてくる、というのを繰り返していました。だから、一週間で10冊ほど読んでいたと思います。
ずっと本を読んでいる子供だったと思います。姉も本が好きで、家族みんなが本好きだったので、その影響があったのかなと思います。

――読む本は児童書からノンフィクションまでいろいろなジャンルを?

坂崎:小学校低学年の頃はやっぱり児童文学系が好きでした。寺村輝夫の『ぼくは王さま』シリーズとか、『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズといった、いわゆる日本の児童書の有名どころは結構読んでいた気がします。

 学校の図書室も利用していましたが、市内の図書館のほうが蔵書がいいので、そちらをメインに利用していました。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

坂崎:国語は好きだったと思います。特に音読が好きでした。2年生の時に音読が上手いということで友達に読んであげたのを憶えています。2年生くらいの子って、たいてい音読する時は大きな声で棒読みなんですよね。それを私は役者っぽくというか、抑揚をつけて読んでいる感じだったと思います。

――作文や読書感想文はどうでしたか。

坂崎:何かの賞を獲ったことはないんですけれど、作文はすごく好きで、よく書いていました。昔から書くのが好きな子供でした。

――授業以外でも何か書いたりとか?

坂崎:日記をつけていました。今でも取ってあるんですけれど、3年生くらいの夏休みなんかは毎日ちゃんとつけていて、今読み返すと面白いんですよ。水着視点の今日の一日、みたいなものを書いているんです。もしかしたら何かの本を読んでこういう書き方もあるんだと知って真似したのかもしれません。日記は高校生くらいになるまで、毎日ではないけれど、ちょこちょこ書いていました。

――今振り返ってみると、どんな子供だったと思いますか。活発だったのか、それとも...。

坂崎:すごく活発というわけではなかったです。ただ、怪我をよくする子でした。頭から落ちて何針も縫ったり、自転車のチェーンに巻き込まれて足を何針が縫ったり...。整形外科の先生に、「君は隣に住んだほうがいいね」と言われるくらいでした。なので読書も好きでしたが、外でもよく遊んでいました。

――ご出身って東京でしたっけ。

坂崎:そうです。静かな住宅街で、あまり特筆すべきところはない街です。図書館もすぐ近くにあったわけではないんですが、自転車で行けなくはない場所にありました。

――自分で図書館に通うようになってからは、どのように本を選んでいたのですか。

坂崎:私は作家読みができる子だったので、たとえば『ルドルフとイッパイアッテナ』を読んだら、斉藤洋さんが書く本って面白いんだと思って、斉藤さんの本をずっと読んでいました。『ぽっぺん先生』シリーズも好きだったので、シリーズを読み終えたら著者の舟崎克彦さんの他の本を読んでいったりしました。それは、図書館が児童書を著者名で分けて置いていたからできたことですね。児童書って図書館によってはタイトル順に置かれていることがありますが、そこは作家読みがしやすい図書館だったんです。

 三田村信行さんも好きでした。『おとうさんがいっぱい』という本を小学生の間ずっと繰り返し読んでいました。イラストが佐々木マキさんで、ひとことで言うと怪奇幻想的な内容でした。表題作の「おとうさんがいっぱい」は、ある日家に帰ったらお父さんが増えていて、どのお父さんが本当のお父さんなのかと、お父さん同士が争って、結局主人公が適当にくじ引きで決めるんです。ラストには今度は子供が増える、つまり自分が増えるんですよね。選ぶ側から選ばれる側になるという逆転が起きるんです。他には、たとえば「僕は五階で」という話は、自分の部屋から出ようとすると、また自分の部屋に繋がっちゃって、抜け出せなくなるという話。結構後味の悪い話が多かったです。でも気持ち悪いとかおどろおどろしいという感じではなく、やや幻想的な処理で異界との繫がりが描かれる作品集だったと思います。それだけ好きなんだから買えばいいのに、なぜか買わずに図書館で何回も借りていました。

――怪奇っぽいものもお好きだったんですね。

坂崎:そうですね。もしかするとハッピーな児童書にはそこまで惹かれない子供だったかもしれません。「みんな仲良しでよかったね」という感じで終わる話は、ちょっと子供騙しぽく感じるというか。ひねくれた子供だったかもしれません。

 作家読みの他に、テーマ縛りみたいな感じで読むこともありました。小学校高学年の頃に舟崎克彦さんの『ピカソ君の探偵帳』のシリーズを読んでから、ミステリっぽいものをずっと読んでいた時期がありました。ピカソ君はちょっと変わった主人公で、見た目は小学生なんだけれど本当は23歳で、病気を抱えて発作を止める注射を打っていて、ホームズを崇拝している人なんですよ。『ぽっぺん先生』も主人公が大学の助教授のおじさんで、いかにもおじさんっぽいぼやきをしていたし、舟崎克彦は児童文学児童文学していないものが得意な作家だったんだなと思います。

 漫画の『名探偵コナン』も私が小学生の頃に連載がスタートして、アニメも始まっているんですよね。そういうこともあってミステリって面白いんだな、となったんだと思います。図書館で、それこそシャーロック・ホームズとか、アガサ・クリスティーとかを借りていました。それと、『こちらマガーク探偵団』のシリーズが好きでした。もう少し昔のものだと、ミステリとは言い難いのかもしれないけれど、アーサー・ランサムの『六人の探偵たち』も面白く読みました。

――作家読みとかテーマ読みとかができるなんて、計画的に行動するのが得意な子供だったのでしょうか。

坂崎:いえ、無計画なんです(笑)。ぱっと思いついたらそれだけをずっとやるという感じでした。

――読書日記はつけていましたか。

坂崎:当時も今もつけていません。何度か読書日記をつけようと試みた形跡はあるんですけれど、成功したことがなくて。まめな性格じゃないんです。本は読むけれど、読んだらすぐに次、次、次、という感じでした。

――読書以外で夢中になったことってありましたか。

坂崎:あんまり思い出せないですね。習字だけはずっと習っていましたけど。あとはガンダムのプラモデルくらいで、お小遣いはそれに消えていました(笑)。

創作を始める

――中学校に入ってからは、読書傾向に変化はありましたか。

坂崎:中高一貫の学校に行ったんですが、学校の図書室の本が著者の五十音順に並べられていて、あ行の一番端にが赤川次郎作品がずらっとあったんですね。「三毛猫ホームズ」のシリーズとか。家にあった赤川さんの本を読んで面白いなとは思っていたので、中学の初めの頃に「よし、これを全部読もう」と決めたんです。そこから1日1冊か2日に1冊のペースで、なぜか義務のように読んでいました。結局、図書館にあった50~60冊の赤川さんの本は全部読みました。赤川さんのシリーズって、今はヤングアダルト枠のつばさ文庫にも入っていますし、当時の表紙は大人向けでしたけれど読みやすかったです。ちょっと怖いし、エロティックなところもあるし、どんでん返し系で推理ものの面白さもあるし、エンターテインメントとして完成されていたなという印象です。全部の作品を憶えているわけではないですが。『マリオネットの罠』や『忘れな草』などは憶えています。

――図書室の赤川作品を制覇した後は、どうされたのですか。

坂崎:面白い先生が多かった中学校だったので、先生が薦めてくれた本を読むことが多かった気がします。橋本治さんの『桃尻語訳 枕草子』とか。当時の図書室の貸し出しカードが実家にあるはずなんですが、いま手元になくてあまり憶えていなくて...。

 姉の影響で少女漫画もすごく読みました。姉はあまり王道を読んでいないんですよ。姉の本棚で私がいちばん好きだったのは、遠藤淑子さんという漫画家です。『マダムとミスター』という、「花とゆめ」で連載されていた漫画がすごく好きでした。お金持ちの家に嫁いだけれどすぐ夫に死なれたグレースと、その家の執事の話です。二人でドタバタするコメディみたいな内容ですが、ほろっとさせられるし、小道具の使い方がすごく上手なんですよね。短い話ばかりなんですけれど、どれもすごく出来がいいんです。姉の本棚から勝手に借りて読んだら面白かったので、遠藤さんの他の作品を自分で買うようになりました。

 小学生の頃から漫画は読んではいて、「コミックボンボン」が好きでした。小学生がよく読む「コロコロコミック」とはまた違うんですよね。『王ドロボウJING』とか、『ロックマンX』などを憶えていますが、全体的に何か話が暗いんです。人も死んじゃうし。そういうのが好きな小学生でした。

――悲劇的な話や怪奇っぽいものに惹かれる子供だったようですが、怖い話が好き、というのとはちょっと違いますよね。

坂崎:そうなんですよね。お化けとか幽霊とか妖怪といった方向には行かなかったんです。それよりも人の心が怖い話というか、人の心が働きかけて何か悲しいことが起きる話のほうが、自分にぴったりきていた気がします。

――小中学生の頃って、将来なりたいものとかありましたか。

坂崎:小学校の頃に、宇宙飛行士になりたいと言っていたことがありました。毛利衛さんが宇宙に行った頃だったんです。何にでも影響を受けやすい子供だったので、いいなと思う人がいるとすぐ影響を受けていました。宇宙飛行士になりたいという夢はすぐに忘れて(笑)、音楽のミキサーになりたいと言っていたこともありました。なんでそう言っていたのかまったく分からないです。要するに、人と違ったことをしたがる子供だったんだと思います。

 ただ、文章を書いていたくせに、小説家になりたいって思ったことはないんですよ。中学生の頃は周りも自分が書いていることを知っていたので「作家になれば」みたいなことを言われたことはあるんですけれど、それを進路の選択の中に入れることはなかった。どうしてなのかは、自分でもよく分からないです。

――あ、中高の頃から創作を初めていたのですか。

坂崎:最初に書いたのは小学校高学年の頃だったと思うんですけれど、中学校に上がってからはちょいちょい書いて、隣の席の子とかに勝手に読ませていました。周りもいい人で、結構「面白かったよ」とか言ってくれたりして。一時期は、毎日メールで一篇ずつ友達に送っていたんですが、今思うとあれは迷惑だったろうなっていう(苦笑)。表立って馬鹿にする人がいなかったから続けられていました。

――毎日一篇って、その頃から筆が速い。

坂崎:父のお古のWindows3.1があって、それで書いていたんです。当時は赤川次郎を読んでいたから、ちょっとミステリっぽい話だったような気がします。毎日書いて送って、感想をもらってまた続きを書く、ということをやっていました。内容はほとんど思い出せませんが、どこかにフロッピーディスクが残っています(笑)。

いちばん本を読んだ高校時代

――ちなみに部活は何をされていたのですか。

坂崎:高校は演劇部でした。演劇部がなかったので、演劇好きな子たちと集まって部活を立ち上げるというところからやりました。姉が演劇好きだったし、学校でも意外と周りに演劇好きの子たちがいたので。自分はそんなに演劇を観ていたわけではないんですけれど、小学生の時に音読が好きだったことの延長くらいの考えで参加しました。活動としては、1年目はそれほどでもなかったんですけれど、2年目に演劇に詳しい先生が顧問になってくれて、そこからすごく面白くなりました。成井豊さんのキャラメルボックスの高校演劇や、善人会議(現・扉座)の横内謙介さん脚本の「優しいと言えば、僕らはいつもわかりあえた。」という舞台がすごくいい脚本なんですが、そういうのを紹介してくれる先生だったんです。三島由紀夫の「近代能楽集」や野田秀樹さんの「贋作桜の森の満開の下」なども読みました。ただ、読書としては、演劇の脚本にはそこはまらなかったんです。なので脚本を読むのは高校演劇で止まってしまったので、もったいなかったかなと思います。

――高校時代、小説などは読まれていたわけですか。

坂崎:高校の時が一番 本を読んでいました。いわゆる世界文学全集みたいなものに載っている作家は全部読もうとしました。トルストイとかドストエフスキーとか、夏目漱石とか太宰治とか......。

 ドストエフスキーは高校の時に一番はまって、全部読みました。最初は『罪と罰』だったのかな。背伸びをしたがる子だったので、難しそうなもの、長いものを読むことにステータスを感じるところがあったかもしれません。『罪と罰』を読んでこんなに面白い作家がいるのかと思って、『カラマーゾフの兄弟』とか『貧しき人びと』とか『白痴』とかを読んで...。いちばん好きだったのはなぜか『虐げられた人びと』ですね。やや短めということも含めて、私の中ではあれがいちばん読みやすかったです。主人公が狂言回しぽくてあまり話には関わってこないし、ドストエフスキーの中でも異質な作品であまり評価は高くないんですけれど、私はあの結末が結構好きです。友達にこれは読みやすいし面白いよ、と薦めたことも憶えています。

――ドストエフスキー以外の、今挙がった作家については。

坂崎:夏目漱石は高校の授業で『こころ』を読むんですが、その前から結構読んでいて、文章が読みやすくて好きでした。読んでいて引っかかりがないんですよね。会話形式の人間関係の書き方は漱石でほぼ完成されちゃって、それ以降の小説はそこの部分ではあまり進歩がないような気がしています。漱石は教養も段違いですし、今の作家は足元にも及ばない部分があるように感じます。

 高校時代はそこまで思わなかったかもしれませんが、今だと漱石の小説は『明暗』がいちばん好きなんです。水村美苗さんが書かれた『続 明暗』はすごいなと思いました。漱石が生きていればああいう小説が書きたかったんだろうと思いました。

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』が好きでしたね。これも読みやすかった。なんか、読みやすいかそうでないかは自分の中で結構大きいかもしれません。『戦争と平和』はあまりピンとこなかったし『復活』は途中で挫折したけれど、『アンナ・カレーニナ』は素直に「これ面白いな」と思いました。

 太宰治をはじめて読んだのは姉の本棚にあった『晩年』でした。それが面白かったので、高校時代にちくま文庫から出ている『太宰治全集』を「1」から全部読みました。すごく面白かったですね。太宰には「待つ」みたいな非常に短い作品もあれば、『斜陽』みたいな長めの作品もありますが、どれも面白かったです。崩壊を描くのがものすごく上手いなと思いました。大人になってから研究書を読んで「なんて奴だ」と思ったりもしましたが、やっぱり10代の頃に太宰を読めたのはよかったと思います。あの時期に読む意味のある作家ですよね。

――10代で読む、というお話で思い出しましたが、坂崎さんの短篇「イン・ザ・ヘブン」(『箱庭クロニクル』所収)にはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が出てきますよね。あれも10代で読むと刺さると言われている作品ですが、いつ読まれたのですか。

坂崎:『ライ麦畑でつかまえて』をちゃんと読んだのは、大学に入ってからなんですよ。それまではサリンジャーは全然、自分の中では引っかからなかった。高校の頃はロシアとかイギリスとか日本の文学を読んでいて、アメリカ文学はあまり読まなかったと思います。

――イギリス文学はどのあたりを?

坂崎:シェイクスピアが好きでした。『マクベス』や『ロミオとジュリエット』なんかはすごく好きでした。他には、オースティンの『高慢と偏見』とか、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』とか。あとはブロンテの『嵐が丘』ですね。あれは読んで「おおおおおっ」となりました。「イン・ザ・ヘブン」にも書きましたが、すごく衝撃を受けた記憶があります。なんかちょっと大舞台な感じのお話が好きかもしれません。

 当時は別にロシア文学だとかイギリス文学だと意識して読んでいなかったですね。有名な題名の本から面白そうなものを選んでいただけだと思います。でも、読めないものは本当に読めなかった。よく分からなくてもとりあえず最後まで読むんですけれど、分からないまま終わったものも結構ありました。

 アメリカ文学はあまり読まなかったと言いましたが、『風と共に去りぬ』は好きでした。あまりに好きだったので、時間が経ってから出た続篇の『スカーレット』も読みました。「広辞苑」くらいのサイズの本だったんですが、それをリュックに入れて、電車の中で広げて(笑)。あれはスカーレットが子供を産んで育てる話なんですよ。『風と共に去りぬ』とはまた違う話だなとは思いましたが、結構面白かったです。

 あ、分厚い本で思い出しました。小学校の頃に『ソフィーの世界』が流行って、姉が寝る前に一章ずつ、難しい哲学のところは飛ばして、お話の部分だけ読んでくれました。それで著者のヨースタイン・ゴルデルを作家読みして、『カードミステリー』や『アドヴェント・カレンダー』といった他の作品も読みました。ゴルデルって児童文学作家としても面白い作品をいろいろ書いているのに、『ソフィーの世界』ばかりフィーチャーされている人ですよね。『カードミステリー』なんかはミステリー系であると同時に少年の成長譚みたいな感じですし、『鏡の中、神秘の国へ』は病気にかかった子供の名前に天使が現れる話で、すごく幻想的で、そこにちょっと哲学的な問いがある作品なんです。

 そこから哲学のほうにも興味がわき、哲学系の本を読みたくなって、ずっと読んでいたのは池田晶子さんでした。

 神戸の連続児童殺傷事件があった後で、少年犯罪のことや、「なぜ人を殺してはいけないのか」みたいなことが結構話題に上がっていた時期だったんです。広告で永井均さんと小泉義之さん共著の『なぜ人を殺してはいけないのか?』と言う本があると知って興味がわき、本屋に買いに行ったんですが、在庫がなかったんです。その時に、池田晶子さんの『さよならソクラテス』という本が目に留まったんですよね。ソクラテスが現代によみがえって対話するという内容なんですけれど、読んだらすごく面白くって。そこから池田さんの本はもちろん、ちょっと哲学よりの本も読もうと努力していた時期がありました。

 なので、高校時代の自分の貸し出しカードにはキルケゴールとかヴィトゲンシュタインとかヘーゲルとかの本が書かれてあるんですが、全然内容を憶えていないので、途中で挫折したのかもしれません(笑)。唯一、プラトンは読めたんです。『ソクラテスの弁明』とか『国家』とかもそうですけれど、対話篇になっていて読みやすいこともあり、それは読めました。

大学時代の名作読書

――中高一貫の学校に通い、大学は外に出たわけですか。

坂崎:はい。教育系の大学に行って、国語を専門にやりました。国語の教員になりたかったというよりも、文学が好きだったので国語を選んだんだと思います。

――では、大学生時代の読書生活はどんな感じだったのでしょう。

坂崎:大学時代もそれなりに読んではいたんですけれど、何を読んだかと訊かれるとぱっと出てこなくて...。ただ、言語学とか文化人類学とかの授業を選択したらすごく楽しくて、それ関係の本は結構読みました。柳田國男とか折口信夫とか。私は坂口安吾が卒論だったんですが、卒論もそういうものとちょっと絡めたものを書いたかなと思います。

――どんな卒論だったのですか。

坂崎:坂口安吾の『桜の森の満開の下』を象徴論的、文化人類学的な桜の意味合いを取り込みながら論じる、みたいな。たとえば「桜」の語源は「神様が座る場所」だということとか。そういう話が謎解きみたいで面白くて好きだったんですね。

 言語学はソシュールとかも読みましたが難しいものは途中で断念しましたし、そんなに語れないですけれど、すごく好きではあります。

 大学では文学研究などの研究の仕方を教えてくれたんですよね。それと、坂口安吾をやるとその前後の作家を俯瞰することになるので、どういう作家を読むといいのかとか、そのあたりの調べ方は大学の後半に学びました。「国文学」といった雑誌を借りてきて読んだりもしました。

――では、その頃に戦前・戦中・戦後くらいの作家もわりとあたったのですか。

坂崎:安吾を読み、太宰を読み...。「第三の新人」はそんなに読んでいないんですけれど、研究をする上で読まなければいけないものは読みました。遠藤周作は好きでよく読んだんですけれど、安岡章太郎や吉行淳之介はそこまではまらなかったです。

 遠藤周作は、最初に読んだのがたぶん『深い河(ディープ・リバー)』でした。たしか家族に薦められたんだと思います。『沈黙』、『わたしが・棄てた・女』、『海と毒薬』とか『女の一生』といった有名どころは読みました。遠藤作品は結構読んだつもりなんですけれど、著作がものすごくあるので、そこまでは読めていないかもしれません。

――なぜ遠藤周作にはまったのでしょうか。

坂崎:読みやすさはあった気がします。当時の自分に合っていた、というのもある。それと、エンタメ寄りというか、そういう読み方ができるので、当時の自分には面白かったんじゃないかなと思います。あくまで当時の感覚なので、いま読み返したら全然違うかもしれません。

 小島信夫も好きでしたね。『アメリカン・スクール』とか『抱擁家族』が好きでした。この人も何か、普通の話っぽいように思えて全然普通ではない話を書くというか。

 この時期に読んだものは、趣味の読書というよりは、研究的な意味合いで読んだものが多かったです。現代文学を考える時に通らなきゃいけない道みたいな感じでした。高校生の時の読書に比べて読んだ本があまり記憶にないのは、そういうところがあったからかもしれません。でも、大学でよかったのは、いろんな先生がいて、いろんなものを紹介してもらえたことです

――他に、授業で取り上げられて面白かった作家や作品はありますか。

坂崎:たしか児童文学の先生だったと思いますが、授業で小川未明を取り上げたんです。取り上げた作品が「野ばら」で、以前読んだことはあったんですが、「あれ、こんな話だったっけ」と思って。誰も何も得ない話ですよね。結局、野ばらは枯れるし、青年はおそらく死んだし、老人は故郷に帰るし。でもあまりネガティブに感じない。現代的に言うとエモいって感じなんでしょうけれど、なにかこちらの琴線に触れる書き方をしていて、こんな作家だったのかと思いました。

――さきほど『ライ麦畑でつかまえて』をちゃんと読んだのは大学生の時だとおっしゃっていましたが。

坂崎:ああ、そうでした。たしか、村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出て話題になった時期です。私は天邪鬼なので、元からあった訳書の『ライ麦畑でつかまえて』を読みました。

 その頃は、あとはカフカを読んで面白いなって思っていました。最初に読んだのが『城』ですごく面白くて、次に『アメリカ』(現在は『失踪者』のタイトルで邦訳がある)で、『審判』を含めた孤独三部作がすごく面白くて。

 カフカは考察しがいのある作家だと思うのでカフカ論みたいなものを読んだりもしました。また読みたいと思っているのに題名がどうしても思い出せないのが、『城』を数学的に見るって本ですね。

――カフカの『城』は、城に向かっているのに永遠にたどり着けない話じゃないですか。それを数学的に読むというのは、どういう...。

坂崎:たしか、無限の話とか、「アキレスと亀」みたいな話と絡めていたと思うんです。私は数学ができないのであまり理解できなかったんですけれど、すごく面白いなと思ったんですよね。でも、タイトルがどうしても分からなくて。

――ところで創作活動は続けていたのですか。

坂崎:高校生の頃は、中高生向けのなんとかコンクールみたいなところに応募して、賞をもらったことがあります。でもその程度でした。大学に入ってからもちょこちょこ書いていたんですけれど、大学生になるとさすがに周囲に読ませるのは恥ずかしいと思い、その頃は一人で黙々と書いていました。

 公募にも送った記憶があります。ダ・ヴィンチ文学賞とか。でも思い返すと、とりあえず書けたのでどこかの賞に送るという感じでした。当時は何も分かっていなくて、五大文学賞も知らず、そういうところに送ったことはありませんでした。

2年間の海外生活と就職

――卒業後はどうされたのですか。

坂崎:卒業してからは、ボランティアで2年くらいアフリカのほうに行って、ふらふらしていていました。その後就職したんですけれど...。

――それは青年海外協力隊ですか。

坂崎:そうですね。たぶん、本当に、就職したくなくて応募したんだと思います(苦笑)。なにかしないと親がうるさいからと思って応募したら受かったので行った、という感じですね。一発で受かったのではなく、予備枠みたいなところに入ったんです。それで、「ここはどうですか」と言われたのがアフリカだったので、行先は自分で希望したわけではないです。私はその時まで海外に行ったこともなかったですし。そこで子供向けの施設みたいなところで働いていました。

――海外にいる間、日本語の本が恋しくなったりしませんでしたか。

坂崎:そうなんです。でも、先に来て帰国した人たちがドミトリーに本を置いていくので、本棚に日本語の本がたくさんありました。その頃が、たぶん高校時代の次くらいに本を読んでいた時期だと思います。余暇もあったので。
現代作家が多かったですね。真保裕一さんとか、篠田節子さんといったエンタメよりの本が多かった。私は東野圭吾さんとかをずっと読んでいました。

――そして帰国して...。

坂崎:民間の企業でちょっと働いた後に、教育系の仕事に就いて、今も続けています。その間、コロナ禍になるまでは書くことは全然していなかったです。

――読むことはいかがでしたか。

坂崎:帰ってきてからは話題になった本を読むくらいで、あまり読んでいなかったです。やっぱり仕事が忙しかったので。

 でも、伊藤計劃さんの『虐殺器官』を読んだことはよく憶えています。これは面白いなと思って他の作品も読もうとしたら、その時はもう亡くなっていたのかな。この先新作が読めないのかと、すごくショックを受けました。

――ようやくSFが出てきました。

坂崎:ああ、挙げていませんでしたね。SFは高校・大学時代にも読んでいたんですよ。結構古いものが好きで、レイ・ブラッドベリとか、ジョージ・オーウェルとか、H・G・ウェルズとか。これぞSFだ、という感じの作品が好きでした。

 ブラッドベリの『火星年代記』を読んだ時は、私はあの有名なオチを知らなかったので、「なんてことだ」と思ったし、『華氏451度』も、うわー、なるほどねと思いました。『刺青の男』や『10月はたそがれの国』など、いろいろ読みました。

 オーウェルの『1984』は、難しいようでいてすごく面白かった。ウェルズは『タイム・マシン』も面白かったんですけれど、「盲人国」という短篇がよかった。(岩波文庫『タイム・マシン 他九篇』収録)。目が見えない人たちが暮らす国に目が見える青年が行って、楽勝だなと思っていたら、自分のほうが不利になっていくっていう話です。短篇としてすごく出来がいいなと思って何度も読んだ記憶があります。

――海外のエンタメもたくさん読まれていたのですね。

坂崎:あとはスティーヴン・キングですね。最初に読んだのが『スタンド・バイ・ミー』だったのかな。たしか映画を観たのが先です。テレビの「金曜ロードショー」か何かでやっていたんですよね。高校の時にキング好きの友達がいたので、教えてもらったのかもしれません。

 『ミザリー』も映画になっていますが、これは小説を先に読んですごく面白かった。『キャリー』とか『シャイニング』も読みました。キングの作品はたくさん映画化されているので映画から入ったものもあったと思います。映画を観て「これは原作を読んでみよう」となることも結構あったので。『2001年宇宙の旅』なんかはまさに、映画がよく分からなかったから小説を読みました。

――映画もお好きですか。

坂崎:好きだと言いたいんですけれど、もっと観ている人がたくさんいるので...。SFにしても、自分はSFが好きだと思いたいんですけれど、「じゃあこれは読んだか」「あれは読んだか」と言われるので、ややハードルが高いです。

 昔、NHKのBS2で「衛星映画劇場」というのがあったんですよね。テーマ別にセレクトして放送してくれるんです。「007」のロジャー・ムーア主演の作品だけを放送したり、西部劇縛りとか、監督縛りとか、アカデミー賞縛りとかもありました。ヒッチ・コックの映画はだいたいそれで観ました。「鳥」とか。それが高校生くらいの頃だったのかな。その頃がいちばん映画を観ていたと思います。

創作を再開する

――また小説を書き始めたのは、コロナ禍に入って少し時間ができたからだそうですね。

坂崎:たまたま、かぐやSFコンテストの募集広告を見かけたんですが、なぜ応募しようとしたか全然憶えていないんです。ただ、応募しやすさはあったと思います。4000字と短いし、原稿をプリントアウトする必要もなく、ネットで応募できたから。

 それまで小説は長い間書いていませんでしたが、「これ小説に使えそうだな」ということはいつも考えていたんです。その時に応募した「リモート」(『嘘つき姫』所収)という短篇はロボットの話ですが、あのオチはなんとなくアイデアとして頭の中にありました。それで、かぐやの広告を見た時に書いてみようかなと思ったんじゃないかな...。

――それが2020年に第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞を受賞して。

坂崎:本当になんの気なしに送ったので、最終候補に残るとも思っていなくて、発表があった時にびっくりしました。ここから先には残らないだろうと思いつつ、家族とちょっと話したのを憶えています。

――そこから、いろんな公募の賞に入賞されていきますよね。

坂崎:「リモート」を書いた時は、この先バリバリ応募していこうとは思っていませんでした。でも、それで自分の小説が評価されたということで、今なら書けるかも、とは思いました。次にどこに送ったのかは憶えていないんですけれど、そこから公募の賞などに出し始めたら、意外と残ったりして。もちろん落ちたものもあります。

――応募したのはどれも短篇の賞ですか。

坂崎:そうですね。長いものは書いたことがなかったです。いわゆる五大文学賞は規定枚数がもっと多いですが、自分は長いものを書いたことがないので無理だろうと思っていました。だいたい30枚、50枚で収まる規定枚数の賞を探して応募していくと、結局相性がよいのはウェブ系の公募でした。こんなにウェブ系の公募があるとは全然知らなかったので、私も最初びっくりしたんですけれど。

――その後、出版社からも執筆依頼がくるようになって。

坂崎:依頼が来るようになったのは「電信柱より」(『嘘つき姫』所収)を書いた後くらいかな。

――「電信柱より」は2021年に第3回百合文芸小説コンテストでSFマガジン賞を受賞された短篇ですよね。電信柱に恋をした女性の話です。

坂崎:それもウェブで応募できるし枚数が短かいところがよくて送ったんだと思います。。
これも賞を獲れるとは思っていなかったんですよね。こういうものもある意味評価されるのか、なるほど、と思った記憶があります。

面白かったノンフィクション

――坂崎さんはプロットを作らずに書くそうですが、ワンアイデアあれば短いものなら書ける感じですか。

坂崎:短いものは、何かアイデアがあって、それを膨らませていくパターンが多いので、そういう書き方が好きなんだと思います。たとえば「ニューヨークの魔女」(『嘘つき姫』所収)だったら「魔女」と「電気椅子」というように、ふたつのものを組み合わせて書くのも得意だと思います。

――「ニューヨークの魔女」は魔女裁判の話です。電気椅子のことや19世紀後半のニューヨークの魔女狩りのことなど、なにか文献にあたったのですか。

坂崎:私は、なにか面白いエピソードを読んでアイデアが浮かぶことが多いです。「ニューヨークの魔女」は、『処刑電流』という人文系の本がきっかけですね。当時の電気椅子処刑の様子や、エジソンとウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーションとの間にどんな争いがあったかのか、みたいな話が書かれていて、すごく面白くて。それで電気椅子系の話が書けるんじゃないかと思ったんです。私は調べることがすごく好きなんですが、電気椅子のことを調べるうちにニューヨーク州での魔女裁判の記述を英語のサイトで見つけたんです。だったら当時のニューヨークを舞台にして、電気椅子をそこに結び付けて書けそうだな、という感じで話を膨らませていったんだと思います。

――『処刑電流』はたまたま読んだのですか。

坂崎:たまたまだったかな...。なにか気になると結構調べるんです。たしかSNSで、昔の人は電線を怖がっていた、みたいな風刺画っぽいものを見かけたんです。19世紀の絵だったのかな。当時の人々にとって電線は見慣れないもので触ると感電すると思われていた、知らないものを怖がるのは今も昔も同じだよね、みたいな文脈で使われていたんです。ちょうどコロナの頃だったので、その文脈だったんだと思います。ただ、ちょっと変だなと思って、その絵がどういう由来で書かれのか気になって調べる途中で、その本に出合ったんです。結局そのイラスト自体は、当時は工事が適当なので、本当に垂れている電線に触れて感電しちゃう人がいたので、知らないものを怖がっている風刺画ではなかった。意図が逆に汲み取られていました。

 そんなふうに、何か気になったら本とかで調べるのが好きなんです。

――「ベルを鳴らして」(『箱庭クロニクル』所収)も、トーマス・S・マラニーの『チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史』というノンフィクションを読んだのがきっかけだったそうですね。

坂崎:これもたしかネットで見かけて読んだら、すごく面白かったんです。それで短篇を書いてみよう、となりました。

 気になったことを調べるのは前からやっていましたが、小説を書くようになってからは何かが気になった時にあたる文献の幅を広げるようになったとは思います。やっぱり、すごく小説のアイデアのもとになります。そもそもノンフィクション系の本は非常に面白いですし。

――他に、最近読んで面白かったノンフィクションはありますか。

坂崎:いっぱいあります。カル・フリンという人の『人間がいなくなった後の自然』は、もともと人間が住んでいたけれど、戦争や公害や原発事故があって人が住めなくなった土地のことが書かれた本なんですね。面白いのが、人が住めなくなってその土地が死んでいくかというとそうでもなくて、環境に合わせた形で植物が変化したりする。でも語り口が冷静なので、「だから自然はすごい」という話にはならないんです。そういうなかでもいろんな問題があって、環境破壊と言われるものの別の側面を見せてくれる内容でした。

 たとえはスコットランドのスウォナ島は、昔は人が住んで牛を牧畜していたんですが、何十年も放棄されて、牛同士が交配して野生の形に戻ってきている。それとは別に、牛を野生の牛に戻そうという団体が古くからあって、それはナチスの頃に純血主義の人たちにも利用されたようなんですが、そういう団体のことも絡んでくる。スウォナ島の野生に近い牛を本当の野生に牛に戻そうというプロジェクトもあったりして、それを著者は結構批判的に見ているんです。そういうところから、自然な状態って一体何なのかと考えさせられる内容で非常に面白かったですね。

 多川精一さんの『戦争のグラフィズム』も面白かったです。これは自分が次に書こうと思っている小説にも関わる題材なんですけれど。昔あった「FRONT」という雑誌に携わっていた人が回顧録的に書いたものです。戦時中この雑誌には軍の後ろ盾があって、カラー印刷で超豪華に作ってあるんですよね。面白いのは、携わっているのはある意味リベラルな部分が多い人たちで、特高に目をつけられているような人もいるんです。でも雑誌の内容は右翼的なんです。写真も加工して、戦車が一台のところを十台にしたりするというアンビバレントな組織で、それが非常に面白かったですね。

 マシュー・ホンゴルツ・ヘトリングの『リバタリアンが社会実験してみた町の話』も面白かった。自由主義のリバタリアンたちだけが集まるニューハンプシャーの町があって、そこにクマが現れるんだけれども駆除せずにいたら大変なことになる、という話です。

最近面白かった小説、自作について

――フィクションでここ最近面白かったものはありますか。

坂崎:人に薦められて読んだ『夜の潜水艦』。中国の陳春成という作家の短篇集で、幻想的な作品集です。表題作は冒頭に〈一九六六年のある寒い夜、ボルヘスは汽船の甲板に立ち、〉...とあるように、1966年から始まって、最後は2166年までいくんです。短いなかで時代が一気に飛んでいくところが面白かった。いちばん好きだった「李茵(リ・イン)の湖」は、〈僕〉と李茵という名前の女性の話で、李茵が昔行ったという、湖のある公園の写真があって、この写真の場所はどこなのか探す、という話でした。どの話も、現実に即しながらやや幻想的に処理されていて、そこがすごくよかったです。マジックリアリズムといっていいのか分かりませんが、そんな雰囲気の短篇集です。

 あとはやっぱり、ルシア・ベルリンはすごい作家ですよね。本当に素晴らしいと思います。自分が小説を書き始めてから読んだなかでは、ピカイチで影響を受けた作家です。『掃除婦のための手引き書』と『すべての月、すべての年』と、『楽園の夕べ』の3作品が出ていますよね。自分の経験に基づいた短篇を書く人ですが『掃除婦のための手引き書』はややフィクション的で、最新作の『楽園の夕べ』はもっと自分のことが強めに出ている印象でした。ただ、どれをとってもやっぱり文章に本当に無駄がなくて、がっちりつかまれます。それはもちろん、岸本佐知子さんの翻訳によるところも大きいと思います。読者を捕まえられるくらい一文一文が強い作家がいるというのは、素晴らしいなと思います。

 あとは、滝口悠生さんの『水平線』も面白かったです。戦時の硫黄島の話と現代の話が分かちがたく書かれているんですよね。誰だったかが「分かりやすさから一番遠い小説で、分かりやすさとは違うところの価値で書かれている」と評していましたが、まさにその通りだなと思って。時代が自由自在に行き来するんですけれど、そこがなんというか、とても良くて。こんなふうに自由自在に書ける人はそんなにいないと思うし、これは素晴らしい小説だなと思います。

――別のお仕事をしながら執筆されているのに、どんどん作品を発表されていますよね。最初の短篇集『嘘つき姫』を出した時にはもう短篇もいっぱい溜まっていたと思うんですけれど、どれを収録するか、どのように選ばれたのですか。

坂崎:最初に出す作品集であるし、エンタメ的に読者にちょっと驚いてくれるもの、坂崎かおるはこんな作家なんだよ、というところを見せられるもの、ということで選んだかなと思います。編集さんと私で収録したいものの齟齬はあまりなかったですね。お互い考えていることは一緒だったと思います。

――確かに『嘘つき姫』はどれも舞台も切り口も読み味も異なっていて、「こんなになんでも書ける新人作家がいるのか!」と思いました。

坂崎:自分ではあまり手を変えてやろうとは思っていなくて。さきほど言ったように、『チャイニーズ・タイプライター』を読んで面白かったからこれで書こう、みたいな感じで、自分が興味あることがうまくマッチして書く場合が多いんです。そうすると、私はいろんなところに興味が散らばっちゃうタイプなので、結果的にいろんな舞台、いろんな切り口の話になるのかな、と思います。

――書く時にこれは幻想だとかミステリだとかSFだといったジャンルも意識されていないわけですよね。

坂崎:あんまり気にしていないですね。アイデアを思いついた時、たとえば「ニューヨークの魔女」だったら、魔女と電気椅子だからどうしてもSFかファンタジーよりになるだろうな、とは思いますし、「あーちゃんはかあいそうでかあいい」(『嘘つき姫』所収)だったら、SFにも何にもならないだろうとは思いながら書きましたが、最初から「SFを書こう」とか、そういう感じではないです。

――どの媒体から依頼されたものかで変わりますか。

坂崎:多少スパイスは変えます。たとえば「文學界」から依頼を受けて『海岸通り』を書いた時は、純文学の雑誌であることは少しは意識していました。だからといって筋やキャラクターを変えることはないんですが、文体とかはちょっと意識するかもしれないです。

――『海岸通り』は、どのような依頼だったのですか。

坂崎:「文學界」ではその前に、幻想短篇共作みたいな特集があった時に寄稿したんです。それを『水都眩光 幻想短篇アンソロジー』にまとめる時に、「長いものも書きませんか」という依頼を受けたんだったんじゃないかな...。

――『海岸通り』は海辺の老人ホーム「雲母園」で派遣の清掃員として働くクズミが主人公です。「雲母園」の庭にある偽のバス停で来ることのないバスを待つ入居者のサトウさんや、ウガンダ出身の同僚、マリアさんとの関わり合いが描かれていく。最初の発想はどこにあったのですか。

坂崎:以前、偽物のバス停がある老人ホームの話を30枚くらいの短篇で書いていたんです。それを何かの文学賞に送ったら一次にも通らなかったんですが、設定は悪くないんじゃないかと思っていました。それで書き直したのが『海岸通り』なんですが、偽のバス停と老人ホーム以外はまったく違う話になっています。

――それが今年、芥川賞の候補になって。今年はその前に、「ベルを鳴らして」で日本推理作家協会賞短編部門を受賞されましたね。

坂崎:芥川賞は自分から遠いものだと思っていたので意外でしたが、『海岸通り』は純文学の雑誌に載ったので、分かるといえば分かるんです。でも、「ベルを鳴らして」はなにひとつミステリだと考えずに書いたので、本当にびっくりしました(笑)。

――その「ベルを鳴らして」も収録されているのが最新短篇集『箱庭クロニクル』。こちらは書き下ろしもあるし、ある程度一冊の本にまとめることを想定しながら書いたのですか。どの短篇も女性二人組が出てくる話になっていますよね。

坂崎:「ベルを鳴らして」が「小説現代」に掲載されたのが去年で、その頃から作品集にできたらいいですね、みたいな話はしていたと思います。でも、そこまで意識していなくて、わりと好きに書いていったらこうなったという感じです。ただ、たしかに書き下ろしの二篇については編集部から「女性主人公で」という注文はあったかも。

――前に、『嘘つき姫』はコミットできない人たちの話で、『箱庭クロニクル』はいろんなことに参加して自分で決定を下していく人たちの話、という対比ができたように思うとおっしゃっていましたが、それも自然とそうなったのですか。

坂崎:『箱庭クロニクル』に入れた「イン・ザ・ヘブン」や「渦とコリオリ」などは「ベルを鳴らして」を送る前にはもう書いていたと思うので、その時点ではそこまで考えていなかったんです。でも、「あたたかくもやわらかくもないそれ」を書いたあたりから、中心になれない人たちの話を書くのもいいけれど、もうちょっと希望を書いていこう、みたいな感触が自分の中であったように思います。

 『嘘つき姫』はある意味、狂言回し的な人たちが多い印象でしたが、もうちょっと主人公たちがいろんなことに参加していくと、彼女たちにとっていい世界...いい世界か分からないですけれど、少なくとも「うん、生きてもいいかな」という世界が見えてくるんじゃないかな、という感触を持ちながら書いていました。

――ご自身が読む側の時は、暗い結末や喪失が描かれる作品もお好きな印象ですが、書く側としてはまた違う思いがありますか。

坂崎:そうですね。たとえば児童文学では、小川未明のほかに安房直子も好きなんですけれど、安房直子も失われる物語を書きますよね。『きつねの窓』も結局染めた指を洗ってしまうし、「夕日の国」(『なくしてしまった魔法の時間』所収)でも女の子がどこかへ行ってしまうという喪失を描くんですけれど、でも喪失の書き方がすごくいいんですよね。ちょっとだけ希望が残るというか。

 円があるとすると、円の半分を取られたはずなのに、ちょっと欠片が残っているみたいな感じというか。

――ああ、坂崎さんがお書きになっているのも、まさにそういう感じですよね。

坂崎:そうかもしれないですね。何かを失うことと何かを与えることはよく似ていて、失われて欠けた部分に別のものが入ってきたり、失われた部分が理想的にどこかに受け渡されたり、ということはよくあると思うので。もしかしたら自分は、喪失のどの部分を描くかに興味があるのかもしれません。なので、『嘘つき姫』の作品では喪失自体を書いたけれど、『箱庭クロニクル』に入れた作品では喪失を埋める部分にフォーカスしているのかなと思います。

――今お忙しいと思いますが、執筆時間はいつ確保していますか。

坂崎:基本的に朝書いています。夜10時に寝て朝4時に起きて、ばーっと書いてご飯を作って仕事に行くんですけれど、それがうまくいく時もあれば、うまくいかない時もあります(笑)。仕事がいろいろ重なった時は大変でした。

――やっぱり筆は速いですよね?「渦とコリオリ」は数時間で書き上げたと聞いていますし。

坂崎:速いと思っていたんですけれど、最近そうでもないのかなって思いつつ...。書き始めると速いんですけれど、それまでのアイドリングが長すぎると最近感じています。アイドリングというのは資料を読み込む時間とか、頭の中で話を成立させるまでの時間のことですね。

 ただ、いつでもどこでも書けるのは結構強みだと思っています。作家の方で、1時間とか2時間以上の時間がとれないと書けないという人もいると思うんですけれど、私は10分くらいあればとりあえずそこで書けるだけ書いちゃうんです。

――今後のご予定は。

坂崎:今月出たアンソロジーの『メロディアス 異形コレクションLVⅢ』に一篇寄稿しました。監修の井上雅彦先生が「面白い」と言ってくれたので、面白いと思います(笑)。あとは、双葉社の「小説NON」1月号から連載が始まります。それは連作短編に近い長篇になる予定です。修学旅行に行けなかった人たちが、修学旅行風の旅行の企画に応募して参加するんだけれどちょっと変な感じ......というのが一話目です。

 はじめての連載です。最初は連載ではなく短篇を1本寄稿する予定だったんですが、「こういう企画を考えているんです」と話したら、面白いんじゃないかと言ってもらえて。

――どういう展開になるのか楽しみです。

坂崎:ちょっと予定通りにいかない気がしているので、私も楽しみです(笑)。

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