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子どものころ感じた恐怖を再び味わう トラウマ少女マンガから、現代ホラーの人気作まで

日常の中にある恐怖、読んでいると胸が痛くなる

 まずは久しぶりに怖いマンガを紹介。直野祥子『毛糸のズボン 直野祥子トラウマ少女漫画全集』(ちくま文庫)は、1970年代前半に雑誌『なかよし』『少女フレンド』などに発表されたまま、今日まで埋もれていた幻の作品を復刻収録した著者初の作品集だ。

 私がこの作者に初めて触れたのは、頭木弘樹編『トラウマ文学館』(ちくま文庫)。このアンソロジーに採られていた「はじめての家族旅行」というマンガが、一読忘れがたい文字通りのトラウマ作品だったのだ。つましい暮らしを送る3人家族が、初めての家族旅行に出かける。主人公の少女さち子は旅行の準備に余念がないが、浮かれていたせいかアイロンのスイッチを切り忘れたまま外出してしまう。アイロンは大丈夫だろうか、そればかり気になって、さち子はせっかくの旅行を楽しめない。頭に浮かぶのは全焼している家のイメージばかり。当時の子どもたちに強烈な印象を与えたというが、それも納得の辛すぎる内容である。

『毛皮のズボン』にはこの「はじめての家族旅行」の他にも、思わず目を覆いたくなるような展開のマンガが多数収められている。全編に共通しているのは、取り返しのつかないことをしてしまった、という後悔と罪悪感。そして最悪の事態からなんとか逃れようという焦り。子ども時代に確かに味わったこんな感情が、さまざまなシチュエーションで繰り広げられ、読んでいると胸が痛くなってくる。自分は両親の子ではないと思い込んだ少女が突発的な行動に出る「マリはだれの子」、保身のためのささやかな嘘が大事件を招いてしまう「かくれんぼ」。首なしの幽霊が迫ってくる「おつたさま」のような超自然ホラーもかなり怖いのだが、作者の本領はやはり幼い子どもの視点で、日常の中にある恐怖を描いたサスペンスにあるように思う。

 阪神淡路大震災によって原稿が失われたため、当時の掲載誌からの復刻だが、画質の粗さを補ってあまりある恐怖とスリルが詰まっている。どうか覚悟して読んでいただきたい。

濃厚な不条理感、大人は分かってくれない

 2018年に死去したホラーの鬼才ジャック・ケッチャムの短編集『冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選』(金子浩訳、扶桑社ミステリー)にも、子ども視点のホラーが収録されている。冒頭に置かれた表題作がそれだ。

 主人公ジョーディは妹と母を相次いでなくし、父と二人暮らしの少年だ。ある大雪の日、屋外で凍えかけていた少女が父の手によって救われる。名前も出身地も分からない少女はそのまま家に留まり、やがて養女となって、死んだ母にちなんだエリザベスという名を与えられる。しかしジョーディは、夜中に家を歩き回るその子が不気味でしょうがない。子どもだけが危機を察知し、周囲の大人に伝えるのだが分かってもらえない、というホラーの黄金パターンである。

 ケッチャムの小説にいつも横たわっているのは、世の中はどうしようもなく酷いことが起こる場所だ、という暗い認識だ。隣家で進行する虐待事件を少年の視点から描いた衝撃長編『隣の家の少女』でも、森に潜む者との攻防を描いた『オフシーズン』でも、これといった落ち度のない人たちが悲惨な事件に巻き込まれ、大切なものを奪われていく。『冬の子』所収の短編にも、こうした不条理感は濃厚だ。ただし長編に比べると、だいぶひねりの効いた形で表現されているのが特徴。たとえば「未見」は話題になっているホラー映画が、なぜか観られない男の物語。映画館に行くとチケットは完売、ビデオを借りるとテープが絡まってしまい、男は孤立を深めていく。オムニバスドラマの一話にでもなりそうなアイデアストーリーで、ケッチャムにこんな一面があったのかと嬉しくなった。そのほかにもウエスタン小説あり、純文学的な実験作ありと、多彩な表情を覗かせている。

 ケッチャムといえばショッキングな暴力表現や虐待描写が代名詞だが、本書にはそうした場面の一切出てこない、淡々とした静かな作品もある。なかでもピアニストだった父が家出して以来、母が家中の鏡を布で覆ってしまうという「母と娘」がしみじみ怖い。母がなぜ鏡を避けるのか、その理由は最後まで明かされないのだ。ホラーの権威ある賞に輝いた「行方知れず」は、3歳の娘が行方不明になって以来、心を病んでしまった女性が主人公。ハロウィンの夜、お菓子を用意して待つ彼女の家には、誰一人やってこない。ついにドアの前に立ったのは……。胸が締めつけられるような恐怖と絶望、これぞケッチャムの世界である。

 わが国でも根強い人気を誇り、死後も作品が読み継がれているケッチャム。本書刊行をきっかけに、さらなる邦訳紹介が進むことを望みたい。

トラウマからの解放の道を探る

 芦花公園『無限の回廊』(角川ホラー文庫)は、令和のホラーブームを代表する人気作「佐々木事務所」シリーズの最新巻だ。心霊案件専門の調査事務所を営む佐々木るみが、彼女を慕う助手の青山幸喜とともに怪事件に挑むシリーズも4冊目。今回はるみにシリーズ史上最大の危機が訪れる。その衝撃的な内容についてここで明かすわけにはいかないので、シリーズ全体の読みどころを紹介しておこう。

 まず何といっても描かれている事件が怖いこと。超常現象に通じた探偵役が事件を解決する、いわゆるゴーストハンター形式の小説では、怖さよりも謎解きの面白さや爽快感に重きが置かれがちだが、このシリーズでは霊能者にも太刀打ちできない凶悪な怪異が次々に起こり、暗澹たる気持ちにさせられる。

 登場人物の危うい関係性も大きな魅力だ。幼少期のトラウマから自己肯定感が低く、対人関係に難を抱えているるみを筆頭に、牧師の家に生まれた善性の権化ともいえる青山、常軌を逸した美貌の持ち主・片山敏彦、四国在住の最強の霊能力者・物部斉清といった過剰な属性を与えられたキャラクターたちが、緩いつながりのチームとして事件解決にあたるところにスリリングな面白さがある。

 最新作『無限の回廊』はそうした危うい関係性があらためて問い直されるような内容で、幼い頃両親に虐待を受け、暗い押し入れに閉じ込められていたるみの過去がクローズアップされる。るみの中には苦しんでいる子ども時代のるみが生きており、それが30代になった今も彼女の生き方や対人関係に影響を与えているのだ。その苦しみからの解放が「佐々木事務所」シリーズのひとつのテーマだが、それは決して平坦な道ではない。

 シリーズの一大転機を迎え、ますます目が離せなくなったこのシリーズ。できれば最初の『異端の祝祭』から順に読んで(まだ4冊なのですぐ追いつける)、オカルト満載の事件と濃密な人間ドラマを味わってほしい。