
ISBN: 9784120058622
発売⽇: 2024/12/06
サイズ: 2.5×19.1cm/232p
『「黒人」は存在しない。』 [著]タニア・ド・モンテーニュ
著者は私がフランス留学当時よく見ていた情報番組のレポーターだった。本の終盤にその話が出てくるまで気づかなかったのは、文中言及されるように彼女の名が歴史的哲学者や「高貴な白人女性」を彷彿(ほうふつ)させる「黒人らしくない」ものであることと無関係ではあるまい。このように「悪気なく」特定の人種やイメージを結びつけることは一般的で、それを差別だとは認識しにくいだろう。
実際、著者に向けられる最多質問は「本名は?」だという。パリ生まれのフランス人で、名前は本名だと伝えても、黒人=出自はアフリカ(という国は存在しないが)との思い込みから投げかけられる、当人たちは無自覚な様々な言葉の暴力。著者はそれをユーモアを交えて軽やかに綴(つづ)る。ゆえに読みやすいが、問題の根やその帰結の重さは伝わりにくいかもしれない。
本書の前半には、米国の公民権運動の発端となった史実に基づく伝記風の「黒人女性 クローデット・コルヴィンの知られざる人生」、後半には著者自身の経験を語る表題のエッセイが収められている。前者は1950年代の米国アラバマ州の黒人たちがいかに非道に扱われていたか、またその差別と闘った公民権運動内部の男女間や社会階層間の不平等の実態を浮き彫りにする。当時の苛烈(かれつ)な人種隔離政策や、顔を黒く口を赤く大きく塗り歌い踊るショーのようなあからさまな差別はさすがに今は、と思いきや、後者はそれが現代社会においても、前述のように潜在的に蔓延(はびこ)っていることを示す点でより衝撃的だ。それは「過去の」ではなく、現在進行形の私たちの問題だから。
たとえば、「黒人はスプリンター遺伝子を持っている」「特別なリズム感がある」などの一見好意的な言説は、事実でないばかりか、黒い肌をもつすべての人を画一化し、個人の才能や努力を認めないのと同義だ。黒人なら速く走れて、どんな音楽も得意で当然。そうした根拠薄弱なステレオタイプの黒人像の「釘付け」は、各人の個性や文化背景などを一切無視するという点で憎悪的差別と同根であり、そのような「黒人」は存在しないというのが表題の趣旨だ。
総称としての「黒人」を「ユダヤ人」「ムスリム」「中国人」「メキシコ人」などに置き換えれば、世のあらゆる「不都合」の原因を各偏見的イメージに結びつけ、「私たち」ではない他者のせいにもできることに気付かされる。そうした思考停止が生み出しうる憎悪や分断は、差別がもたらす個人の人権侵害とは別の重い問題だ。
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Tania de Montaigne 1971年パリ生まれの作家、ジャーナリスト、俳優、歌手。本書収録の「黒人女性 クローデット・コルヴィンの知られざる人生」でシモーヌ・ヴェイユ文学賞。