砂村かいりさんの読んできた本たち(後編) 山本文緒にはまった学生時代 書店員を経て小説家に
――高校は英語科に進まれたそうですね。
砂村:そうです。もう何年か前に廃止されてしまったんですけれど、公立高校の英語科に推薦入学で入りました。普通科の授業よりも英語に特化していて、ネイティブの先生による英語しか使われない授業があったり、全員に英語圏の名前が割り振られたりして。3年間クラス替えがなく、ほとんどが女子で男子は少数でした。高校はすごく楽しかったですね。アメリカの東海岸へ10日間の語学研修に行くプログラムもあり、ホストファミリーのもとで1週間過ごしたりして。中学までの閉塞的だった世界が開けて視野が大きく広がった高校時代だったなと思います。
――読書生活はいかがでしたか。
砂村:この頃、近代の作家、いわゆる文豪の作品を読み始めました。なかでも三島由紀夫にはまりました。最初に『潮騒』を読んだんですが、あれは三島にしてはレアな爽やかな作品ですよね。いろいろ読んでいくうちに、独特の美学や思想を貫いた人だったのだと理解しました。展開の鮮やかな『午後の曳航』が特にお気に入りです。あとは、星新一のショートショートをコンプリート目指してどんどん買っていたのもこの頃ですね。
現代作家では、原田宗典のエッセイにはまっていました。この頃ってスマホもなかったせいか、程度の差こそあれみんな本を読んでいて、クラスで本の貸し借りが盛んに行われていたんです。それで友人に借りた原田宗典の『十七歳だった!』というエッセイがめちゃくちゃおもしろくて、自分でも既刊を買うようになりました。『あはははは』とか『スバラ式世界』とか『東京見聞録』とか。本当に笑えるんですよね。思春期のモヤモヤだったり、恥ずかしい失敗だったりが、シュールな空気とねっとりした文体で語られていて。のちに原田マハがデビューした時に、「原田宗典の妹なのか」と知って衝撃を受けました。
山田詠美を読み始めたのもこの頃でした。『放課後の音符』と『ぼくは勉強ができない』は鉄板ですよね。文学と性描写が軽やかに溶け合わさっているというのは、やっぱり衝撃でした。都会の高校生ってこんな生活をしているのか、とか、こんなに奔放なのか、と想像をかきたてられもして。とにかく洒落ていて魅せられたし、思春期ならではの痛い失敗なんかで胸に突き刺さるエピソードがいっぱいありました。
この頃から、わりと容赦なく性描写を盛りこむ作家さんたちに触れ始めていたと思います。内田春菊は小説も漫画も読みました。やっぱり最初は『ファザーファッカー』を読んだのかな。『南くんの恋人』を読んだのはもっと後だったかもしれません。『あたしのこと憶えてる?』や『ファンダメンタル』も印象的です。やっぱり痛い話が多かったけれど、山田詠美作品と同じで、怖いもの知りたさのような気持ちで手を出していました。
それと、母か姉の趣味で家の本棚には歌集もあって、わたしもまんまと短歌が好きになりました。俵万智の『チョコレート革命』という歌集が出た時、表紙が板チョコのデザインだったこともあってジャケ買いしたクラスメイトもいて、俵万智がちょっとブームになったんです。ちょっとした手紙に短歌を添えたりして、文学が生活に溶けこんでいると実感できる時期がありました。
その頃は短歌を詠んでノートに書き溜めていました。高校3年の時の担任が国語の先生で、それを見てすごく褒めてくれて。その先生は文芸部の顧問で、文芸コンクールの短歌の部に出してみないかと声をかけてくれたんです。五首詠んだものを出したら県で第一席を獲って、表彰式に行ったりしたのが懐かしいです。そんな感じで、この頃は表現としては小説よりも短詩型文学に夢中で、将来小説家になるとは微塵も思っていませんでした。
――さきほど内田春菊さんの漫画の話もありましたが、高校時代は漫画も読めましたか。
砂村:結構読みました。それこそ漫画の貸し借りは教室内でも頻繁にありましたね。おすすめの漫画の文庫版全巻を紙袋にきっちりと詰めたやつを借りて、自転車のかごに積んでヒイヒイいいながら漕いだりして。幼児の頃にアニメでちょっと観ていた『キャッツ・アイ』を友達が貸してくれて、その後自分でも文庫版を大人買いしたんですが、これは本当に衝撃的な終わり方をするんですよね。アニメ版とは全然違うんです。来生瞳は永遠の憧れです。
それと、高校時代にうすた京介にはまりました。『チクサクコール』や『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『武士沢レシーブ』とか。「マサルさん」のギャグはもう、岡田あーみんロスを埋めてくれるくらいおもしろかったですね。
――高校時代、部活はなにかされていましたか。
砂村:写真部でした。小学生の頃に祖母に買ってもらった「りぼん」に、水沢めぐみの『チャイム』という連載があったんですね。『姫ちゃんのリボン』のひとつ前の連載です。主人公が写真部に所属していて、一眼レフで撮るモノクロ写真が物語のモチーフになっていて。それで写真部に憧れたんですが、中学に写真部がなかったので、高校にあったら入ろうと決めていました。父からペンタックスの一眼を譲り受けて、モノクロのフィルムで撮影して、現像からプリントまで暗室で作業を行っていました。撮影旅行に行ったり、大会に臨んだり、貴重な経験と思い出がいっぱいです。
――大学進学は、どのように決められたのですか。
砂村:親が、18歳になったらいったん家を出ていけという方針で。わたしも実家を出たかったのでこれ幸いとばかりに東京の大学に進学しました。別に東京にこだわっていたわけではないんですけれど、高校で英語科だったし大学でも英語をやりたいなと思い、都内の私大に進学して一人暮らしをはじめました。
大学には、大学生協がありますよね。その生協の書店のコーナーが、また人生を変えてくれました。そこで山本文緒作品に出会ったんです。
ちょうど山本文緒フェアをやっていたんですよね。平台に文庫が平積みされていて、最初はなんかタイトルや表紙がかわいいなと思って買ったんですが、読んでみて撃ち抜かれました。最初に読んだのは『ブラック・ティー』だったと思います。軽犯罪をテーマに描かれた短編集です。こんなにも揺さぶってくる人がいるんだというのが衝撃だったし、文体や言葉選びがめちゃくちゃ好みで、勝手に自分の感性との相性がいいなと感じていました。好きな作品は挙げたらきりがないです。『パイナップルの彼方』とか『みんないってしまう』とか『きっと君は泣く』とか『紙婚式』とか......。本当に、ただただ好きとしか言えないです。世に出ている山本文緒作品を全部読もうと決めて、お金をやりくりしてその時買えるものは全部買いました。それをベッドの脇に積み上げて、夜な夜な読み進めてそのタワーを切り崩していく日々を過ごした時期がありました。
角田光代を読み始めたのも大学時代でした。『愛してるなんていうわけないだろ』というエッセイ集を最初に読み、その後小説を次々に読み進めました。傑作ばかりで選びきれないですが、短編集なら『太陽と毒ぐも』や『ドラママチ』、長編なら『森に眠る魚』『ひそやかな花園』などを挙げたいです。
江國香織に出会ったのもこの頃だったのかな。『落下する夕方』や『ぬるい眠り』は衝撃的でした。編集者さんとよく、「本好きの女性って絶対、江國香織期を通過しますよね」という話をします。江國香織しか読まない時期というのが誰しもにあって、わたしもその時期に出ていた江國作品は全部読みました。
サークルは文芸研究会に入りました。ほぼほぼ男性しかいなくて、BOXと呼ばれる部室で煙草をスパスパ吸っていてスモハラ状態でした。みんなと本の貸し借りもしたんですけど、わたしに花村萬月ばかり貸してくる同学年の男の子がいました。最初は自分で買った『風に舞う』という、花村萬月にしては爽やかな作品がおもしろかったのでそのことを話したら、それをきっかけに既刊のドラッグ・セックス・バイオレンスみたいな作品ばかりどんどん貸しつけてくるようになって。『ゲルマニウムの夜』を含めどれも読んでは返していたのですが、『二進法の犬』のわりと序盤で女の子同士が闘うシーンがあったんですね。カッターの刃を二枚持って。なぜそうするかというと、傷は一本つけただけであればいずれ修復するけれど、二本平行して傷つけると互いが引っ張り合って治りにくい、みたいな描写があり......。さすがにその時「わたしには無理だ」と限界を感じ、その子に「もう花村萬月はいいから」と告げました。
――サークルでは創作はされたのですか。
砂村:まわりは主に小説を書く人ばかりでしたが、わたしは短歌を詠んでいました。今のような短歌ブームも来ていない頃ですし、めちゃめちゃ異端派だったんですよね。機関誌を作る時も、短歌は贅沢にページを使うからと恨み言も言われました。みんな現代短歌を知らないし歌集も読まないから、むちゃくちゃな批評をされて結構むかついていました(苦笑)。でも卒業する頃には、「砂村さんの歌を4年間読んで、なんか良さがわかった気がする」みたいなことを言わしめたので、溜飲が下がる思いでした。
この頃、星新一のショートショートの形式を引き継いだ阿刀田高をめちゃくちゃ読んでいました。『ブラック・ジョーク大全』なんかは今だったらポリコレ的にアウトな内容も多かったかもしれません。阿刀田さんには、『ギリシア神話を知っていますか』『コーランを知っていますか』といった教養シリーズがあって、これがめちゃくちゃおもしろくて。高校の時に世界史の先生がギリシア神話のおもしろさを授業で話してくれて、それではまって先生の私物のギリシア神話の本を借りて読んでいたりしたんですね。なので、大学に入ったらもっと別のベクトルからギリシア神話を読んでみたいし、世界の古典は知っておくべきだなと思っていたんです。阿刀田さんの「知っていますか」シリーズはわかりやすく、易しく、ユーモアたっぷりに教えてくれるので、本当に重宝しました。
それと、大学生の時にジュンパ・ラヒリにはまりました。最初に『停電の夜に』を読んで、これまで読んできた海外文学とは全然手触りが違うなと思って。わたしは中学生の頃にオー・ヘンリーが好きだったんですが、ラヒリは優れた短編に送られるオー・ヘンリー賞を受賞しているんですよね。
勝手にカテゴライズしていいのかわからないけれど、ラヒリのような出自を持つ作家の作品は「移民文学」と言われていますよね。コルカタ出身のベンガル人で、2歳で渡米している。価値観にしても経験にしても、そういうバックボーンを持つ作家にしか書けないものがあるように思いました。それで撃ち抜かれて、ずっと追っていくことになる作家になりました。『わたしのいるところ』なども大好きです。
――ところで、どんなことを専攻されたのですか。
砂村:アメリカのロストジェネレーション作家と呼ばれるヘミングウェイ、サリンジャー、フィッツジェラルドあたりを研究するゼミに入りました。卒論はヘミングウェイで書いたのですが、それは高校生の時に『老人と海』を貸してくれた友達の影響だったのかもしれません。やっぱり本の貸し借りって、人生に影響しますよね。『老人と海』を貸してくれた子は同じ写真部でしたが、特別仲がいいわけではなかったんです。あの頃って、その程度の距離感の相手とも本の貸し借りをするのが普通だったんですよね。で、その『老人と海』が非常に印象的で、ヘミングウェイを掘ってゆくきっかけになりました。卒論では、ヘミングウェイの短編に頻出するニック・アダムスという人物について書きました。
それと、一般教養の授業でシェイクスピアの四大悲劇なんかも原文で読みました。シェイクスピアの作品って戯曲だから、翻訳ではわからないけれど、原文ではきれいに韻を踏んだりしているんですよね。言語感覚がめちゃめちゃ鋭い人が書いている。現代英語とは違う、近代英語で書かれているので、英語は得意だったはずなのに最初は読めなくて、そういう体験も新鮮でした。
英文科ではそういった貴重な知識をたくさん得られましたが、卒業した後でふりかえってみると、大学では文学よりも語学がやりたかった、やるべきではなかったか......という思いもあります。文学は独学でもある程度はできるけれど、語学はそうはいかず、対面で先生に教わることの意義が大きいと思うので。
――大学卒業後はどうされたのですか。
砂村:実家に戻らず東京に留まりました。教員免許を取得したので、最初は教員になるつもりだったんですね。母校に戻って英語の教育実習をやったりもしました。でも、公立高校の教員採用試験の朝、9時開始の試験に合わせて目覚まし時計を6時にセットしていたのに、起きたら9時だったんです。それで受験料も無駄になり、現役で公立教員になるという進路も絶たれ......。就活もろくにしていなかったので、ひとつだけ民間企業を受けてそのまま入社したんですけれど、そこがとんでもなくブラックで、3か月くらいで退社することになりました。
そこからしばらくの間、書店員としての日々が続きました。最初に働いた店では契約バイトみたいな形でしたが、有給もあり、退社時に残った有給を買い上げてくれるような、当時にしてはわりと良心的な待遇のところでした。
書籍の最新情報にリアルタイムで触れることができる生活は夢のようでした。本が倉庫に入ってきて、書籍情報を登録し、売り場に並べて展開し、最後は返品まで、という一連の流れを知ることができたのも、今に役立っていると思います。
非正規だったのですが、あまりにも本が好きだったのでその熱意が伝わったのか、社員の人がわたしを文芸の担当にしたんですね。それからがめちゃめちゃ大変で。それまで定時に帰れていたのが、毎日2、3時間の残業があたりまえという生活になりました。本が好きだし、一応責任感もあるし、売り場を作るまでは帰れないという気持ちはあったので、いい経験にはなりましたが......。
文芸書担当は楽しかったんですけれど、その後、ノベルス担当に異動になったんです。ライトノベルなどの他に、男性向けの官能小説も担当させられて。担当になったからには責任を持って並べて、それが売れるとやっぱり嬉しくなったりして、複雑な気持ちでした。
最初に働いたその書店では、サイン会やトークイベントもやりました。瀬戸内寂聴さんのありがたいお話を、1メートルくらいの距離で聞けたのも稀有な体験でした。のちに井上荒野にはまった時に『あちらにいる鬼』を読んで、その時の瀬戸内寂聴さんの姿が浮かびました。
――『あちらにいる鬼』は井上さんの父親の井上光晴氏と妻、寂聴さんとの関係が描かれますものね。
砂村:そうなんです。その後は埼玉に移り、フリーターとして川越にある書店で働きはじめました。というのも長年付き合っていた相手がいて、その人と一緒に住むために埼玉の奥地に引越したんです。その人とは結局結婚しなかったのですが、その頃の経験が『黒蝶貝のピアス』に活きていますね。
――ああ、『黒蝶貝のピアス』は大宮周辺が主な舞台ですよね。
砂村:その店ではアルバイトとしてレジを打つだけだったのですが、どの書店にも共通して社割というのがあって、一割でも二割でも本が安く買えるのが嬉しくて、かなり買いまくっていました。
ただ、やっぱり、時間がないんです。どの書店もめちゃめちゃ忙しくて、書店員って本が読めないものだなと思いました。毎日本に触っているし、情報だけは死ぬほど入ってくるのに。
で、やっぱりバイトでは物足りないし、収入も心もとないので正社員で働きたくなって、今度は渋谷の書店で働きはじめます。希望が叶って文芸担当になったのですが、これが大変でした。正社員には早番と遅番があるんですけれど、基本終日いる感じでした。早番の人は閉店までいるし、遅番の人は始業からいる。今だったら36協定があるからそれは許されないだろうけれど、まだそういうことをしていた時代でした。わたしも早番の日は業務に区切りがつけられずに最後までいましたが、さすがに遅番の日に朝から出社することはできませんでした。
その書店は夜の10時まで営業していたので、そこから閉店作業をしてレジ締めをして日報を書いて承認をもらっていると23時とかになっちゃうんですね。埼京線の終電を目指して文化村通りの坂を猛ダッシュで駆け下りましたね。終電がなくなることもしばしばで、当時一緒に住んでいた相手に川越まで車で迎えに来てもらうこともありました。次の日は早番で1、2時間しか寝られないということもあって、本当にヘロヘロになっていました。
正社員で文芸担当だったので、ゲラ読みを依頼されたり、新刊のプルーフをもらったり、「どっちがいいと思います?」などと装丁の相談をされたりもしました。版元の営業さんが名刺を持ってずらっと並んでいて、休憩にも行けないようなこともありました。今では自分の作品についてそれをしていただいている立場なので、不思議な感覚です。
――趣味の読書の時間も難しそうですね。
砂村:ただ、プライベートの時間にもやっぱり書店に行っていました。ある時、池袋のジュンク堂で井上荒野作品に出会うんです。わたしは軽率に書籍の「ジャケ買い」をする人間なので、そこで『切羽へ』を買って読み、「すごい」と痺れました。文章の洗練され具合が異次元でした。そこから『しかたのない水』や『誰よりも美しい妻』など、どんどん読んでいきました。
山本文緒、角田光代、井上荒野はわたしの中で「三神」というか。三柱みたいに思っています。もう「好き」という言葉じゃ足りない人たちです。
あとは三浦しをんの『きみはポラリス』と『天国旅行』が言い表せないくらい大好きで、友達の誕生日にその2冊のセットにして、ほとんど押し付けるようにしてプレゼントしていました。
桐野夏生にもはまりました。いろいろ読みましたが、中でも印象的だったのが『東京島』。無人島に流れ着いた人たちの話で、1人の女性を30人くらいの男がとりあうんですよね。谷崎潤一郎賞受賞作です。いきなり襲ったりはしないで、その女性の夫の座をかけて争うんですよね。一方、女の夫は別の島に流れ着いていて、「文明というものから切り離されたら米を食いたいと思うだろうけれど、俺はパンが食べたい」というモノローグが印象的で。米より製法の複雑なパンこそが文明を感じさせる、って。そういうところにすごくリアリティーを感じて痺れました。
川上弘美も社会人になってからはまりました。印象的だったのは『物語が、始まる』という短編集です。主人公の女性が男の人の姿をした〈雛型〉を拾って、彼と夫婦のように生活していく話は、ラストが本当に切なくて。泣けるどころじゃないんです。頭をぶん殴られるような壮絶な愛と悲しみがあるけれど、でも文体はあくまでも淡々としている。川上弘美も好きな作品はいろいろあるけれど、やっぱり『物語が、始まる』がいちばん好きですね。
――男性作家はいかがですか。
砂村:ちょうど『猛スピードで母は』で芥川賞を受賞された頃に長嶋有を知り、すごくおもしろい人が出てきたなと思いました。この間、長嶋有二十五周年記念の企画があって、そこにわたしもエッセイを書かせてもらうという、役得なことがありました。つまり、長嶋有を四半世紀も追っているんですよね。一作品だけ選ぶとしたら『泣かない女はいない』かな。エッセイでも書きましたが、もう本当に視点が細かすぎて、こんなこと小説に書かないだろうというような人間の所作とか、ちょっとした思考の遊びみたいなことを全部盛り込んで、なんともいえない世界を立ち上がらせるんですよね。唯一無二の人だなと思います。
わたしは作家読みをするタイプで、一度はまったらその人の著作をだいたい読んでしまうんですが、大崎善生もその一人です。ひとつ選ぶとすると『パイロットフィッシュ』。本当にすごいです。熱帯魚を自宅で繁殖させる話で、そこにせつない恋愛が絡んでくる。熱帯魚の世界があまりにも深くて。水のpHが合わないと死んでしまうから、その土地の水質に合った魚しか育てられない。だから熱帯魚を育てている人は簡単には引越せないということを知りました。容易に自宅で繁殖されるとブリーダーが儲からないから、出荷時に一定の確率で雄の精管が潰されているとか......。ものすごくマニアックな内容と、胸を打つ恋愛が同時進行していて、あれはちょっと忘れられません。
――幼い頃に水中生物の飼い方を熱心に読んだ砂村さんだけに...。
砂村:そこは関係あるかもしれないですね(笑)。やっぱり水辺の生物が好きなんですよね。大崎善生は『孤独か、それに等しいもの』や『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』といった長いタイトルのものも多いんですが、そのあたりも軒並み読みました。将棋を打つ方で、ノンフィクションの『聖の青春』も書かれていましたね。
ノンフィクションでは、宮田珠己のエッセイも好きです。『ときどき意味もなくずんずん歩く』を何気なく手に取ってドはまりして。宮田さんはジェットコースターマニアで、『ジェットコースターにもほどがある』で全国の遊園地をめぐってジェットコースターを評価したり、『ウはウミウシのウ』で全世界を回ってシュノーケリングをしまくったりしているんですよね。仏像を追ったり石ころを集めたり、マニアックなものを深堀りするエッセイがめちゃくちゃおもしろいんです。宮田さんの本の解説を高野秀行が書いていて、今度は高野さんにはまってしまって。水脈に沿って進んでいくように、解説を書いている作家が気になって読むというパターンってありますよね。高野さんは『幻獣ムベンベを追え』のように辺境に突撃していく体験を書く人であると同時に、『ワセダ三畳青春記』のような東京での一人暮らしの話とか、自分の生活の話も書かれていて、手あたり次第にそれも読みました。あまりにもすごいペースで新刊が出るのでちょっと近年追いきれていないんですが、生きているうちにもっと読みたいです。結構自分もUMAというか、ネッシーとかそういうものも好きなので。子どもの頃に世界中の怪獣の目撃談の本もドキドキしながら読んでいたので。
――ノンフィクションもたくさん読まれるのですね。
砂村:ノンフィクションでは、彩瀬まるがローカル線に乗っていた時に東日本大震災に被災した体験をつづった『暗い夜、星を数えて』が印象に残っています。その彩瀬さんが参加されると知って『文芸あねもね』というアンソロジーも読みました。震災の復興支援を目的として、山本文緒ら女性作家10名が短編を持ち寄って、チャリティーで出版された文庫なんですけれど。これを読んだことで、参加された作家さんたちを長く追っていくこととなりました。豊島ミホあたりはもともと読んでいましたが、柚木麻子、山内マリコ、蛭田亜紗子、南綾子などにはまったのはこれがきっかけです。今に至るまでずっと活躍されている方々が集まった奇跡のようなアンソロジーですけれど、その内容が特に震災とは関係なくて、とにかくどの作品も激烈におもしろくて憧れました。その頃は自分が小説家になるなんて思っていませんでしたが、その後デビューした時に、自分もなにかがあった時はチャリティーを立ち上げられる作家になりたいという目標ができました。出版社も引き込まなくてはいけないし、自分にはまだ人望もないですけれど。でも、作家にできることって、そういうことじゃないのかなって思います。『文芸あねもね』は自分にとってエポック的な作品だなと思っています。
――他にはまった読書といいますと。
砂村:社会人になってからの読書でいうと、新選組にはまった時期があります。司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』を夢中で読んだり、自分が書店員だった時にめちゃめちゃ売っていた浅田次郎の『壬生義士伝』に後からはまったり。とにかく新選組のことならなんでも知りたくて、双葉社の歴史ビジュアルシリーズの『新選組隊士烈伝』に手を出したりしました。大人になって知識や教養をある程度蓄えてから歴史を深堀りしていくと、本当におもしろいですね。「あの頃授業でやっていたのってこういうことだったんだ」とか、「この時代とここが繋がっているんだ」などと突然理解したり、歴史上の人物の裏話を知ってイメージが変わったり......いろんな発見があります。
――一方、海外作品はどのようなものを?
砂村:フリーターとして書店で働いていた時期だったと思うんですけれど、タニス・リーという作家の『銀色の恋人』というハヤカワ文庫SFの作品にはまりました。少女とアンドロイドのSFラブロマンスで、これは最初にお話しした、津原やすみの「あたしのエイリアン」シリーズに通じるものがありました。全然違う世界の人たちの話ですけれど。
アンドロイドが人格を持って主人公と恋をする話で、これはもう、本当に泣きましたね。それと社会人になってから、また海外の古典を読み始めた時期がありました。サガンとかデュラスといったフランス文学にはまったりしました。
――『悲しみよこんにちは』や『愛人 ラマン』のあたりですかね。
砂村:そうですね。サガンは新潮文庫で出ているものを一気に買って読みました。読んでいる間は、自分もフランスに行って、昼間から海辺でお酒をたしなみながら、背徳の恋の片鱗を味わっている気分になったりして(笑)。白水Uブックスにもはまりました。あの判型がたまらなく自分好みだし、手頃で買い求めやすいというのもあって、よく知らない作家の作品もわりとばんばん買っていました。その中ではアメリカの作家、ロバート・ニュートン・ペックの『豚の死なない日』と『続・豚の死なない日』という自伝的な物語がとりわけ印象的で。アメリカの田舎を舞台に、子豚をもらい受けて育てて......命の連鎖の話でもありました。田舎で畜産をやっている家の子が養豚のコンクールみたいなもので都心に出た時に、めちゃめちゃ困惑する様子なんかは、上京当時の自分と重なるものがありました。
――ところで、短歌はずっとお好きだったのですか。
砂村:好きでいろいろ読んでいました。俵万智や穂村弘をずっと読んでいて。「夜桜お七」の作詞で有名な林あまりの『スプーン』『ベッドサイド』『ガーリッシュ』といった歌集も愛読していました。飯田有子の『林檎貫通式』も大好きでした。俳句では黛まどかの『B面の夏』がお気に入りで、川柳では時実新子の『有夫恋』『愛走れ』に痺れまくっていましたね。
――小説を書き始めたきっかけは。
砂村:タイミングは明確に憶えています。結婚して何年も経ち、仕事も変わって派遣社員として働いている中で、2017年の年末に軽い気持ちでカクヨムのアカウントを作ったんです。プロの小説家になろうとまでは思っていませんでした。作品の登録時にカテゴリーを選ばなくてはいけないんですが、自分にはミステリやホラーは書けないだろうからと、身近な題材として恋愛を選びました。翌年1月から書き始めたのが、『炭酸水と犬』だったんです。仕事の行き帰りのバスの中でiPhoneのメモ帳に小説を書いては、それをコピーしてカクヨムのフォーマットに貼り付けて、パソコンに触れる時にちょっと手直しをして、というのをやっていたんです。わりと早期から読者さんがついてくれて、毎話「次はどうなる?」などと熱心なコメントが寄せられ、張り合いになりました。クライマックスが近づいてくると「正座待機!」などと盛り上がってくれて、更新した瞬間にPVがどっと増えるんです。高揚感がありました。
『炭酸水と犬』は第4回カクヨムコンに応募して、読者投票の期間ではランキング上位にいたのですが、結局受賞はせずに終わったんですよね。そもそもラノベのサイトで一般文芸をやっている自分は異端派だったので、ラノベが賞を獲るのが順当だろうと自分でも納得していたんです。その翌年に『アパートたまゆら』を書き始めました。『炭酸水と犬』はふたりの心が離れていく話だったので、『アパートたまゆら』では近づいていく恋人たちの話を書こうと思いました。『炭酸水と犬』で結構燃え尽きたところがあったので、次は肩の力を抜いて書きたい気持ちもありました。それで1年間かけてゆるゆると連載したら、それが第5回カクヨムコンで11週連続1位をとったんです。過去に応募した作品もまた出してよいと知って『炭酸水と犬』もエントリーしたら、そちらもまた上位になって。2作とも特別賞をいただきました。大賞作品は「書籍化確約」なのですが、特別賞は「書籍化検討」なんですね。ハラハラしましたが、両作品ともそれぞれ担当さんがついて書籍化作業が進んでゆき、2021年にデビューとなりました。
――3作目が『黒蝶貝のピアス』。前職で辛い思いをして退職した20代の環が、小さなデザイン会社に転職。その会社の社長は偶然にも、環が幼い頃に一度だけ会って憧れた地元アイドルだった菜里子。上司と部下として出会い直した2人の日常が綴られていきます。
砂村:「好きなものを書いていい」と言われて考えていた時、夫から「女性アイドルが好きなんだから書いたら?」と提案されて。それで、現役のアイドルではなく、ステージを降りた人と、アイドルを目指したけれど叶わなかった人の物語が浮かびました。
――4作目『苺飴には毒がある』は、友達だけど自分を傷つけてくる"毒友"を描く青春小説でした。こういう友達、心当たりのある読者も多かったと思います。
砂村:昔の友人関係をふりかえって、「あれは"毒友"だったと思う」ということをSNSにつぶやいたことがあったんです。それを見ていた編集者さんに「それを小説に書いてみませんか」とお声がけいただきました。自分の小学校から中学3年までの経験を随所に取り入れた作品になりました。真面目な子ほど自分の感情を後回しにして、他人の屈折した感情にふりまわされて傷つく傾向がある気がします。わたしも今ならあれはある種のハラスメントだったとわかるんですが、当時は言語化できずにいました。なので、中学や高校は3年の間に人間関係が変化してゆくものだし、今悩んでいる人もどうにか乗り切ってほしい、という思いをこめました。
――4作目『マリアージュ・ブラン』は友情結婚をした男女の話ですね。
砂村:多様性が広まったといっても、今の日本社会は成人した男女の結婚をゴールとしている印象があります。それなら、逆に結婚制度を利用して結びつくふたりがいてもよいのではないかと思いました。それに夫婦って、何年も共に暮らしていると友達同士のようになっていったりしますから、最初から友達同士の夫婦がいてもいいんじゃないかと思いました。ただ、恋愛や性愛に興味のない者同士といっても、思考がぴたりと一致しているわけではない。なので、男女それぞれの視点から、ちょっとずつ異なる部分を書いていきたいなと思いました。
――デビューしてからの読書生活はいかがですか。
砂村:書き手になったことで、また新たな作家さんをいっぱい知ることになりました。デビュー前は作品を書くことに時間をかけていたし、受賞後も書籍化まで気を揉むことややるべき作業も多くて、あまり本を読めていなかったんです。デビュー作が無事に出た後でまた書店に行く機会が増えて、寺地はるな作品に出会ったりして。最初に読んだ『今日のハチミツ、あしたの私』でドはまりして、そこからすべての作品を読んでいます。同時期に町田そのこの『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を読んですごいなと思い、他の作品にも手を伸ばしていきました。寺地さんも町田さんもSNSで交流してくださって。作家同士としてお話しできるようになったというのは自分の中で革命でした。
それから朝井リョウも尊敬しています。長編では『スター』がしみじみと好きで、短編集では『もういちど生まれる』と『どうしても生きてる』が至高だなと思っています。
担当編集者さんが本をくださることもあります。東京創元社の担当さんが「砂村さんは絶対に好きだと思う」と言って奥田亜希子の短編集『白野真澄はしょうがない』をくださり、読んでみたら確かにめちゃめちゃ好きでした。白野真澄という同姓同名だけどまったく立場や人格の異なる5人の話で、それがすごくおもしろくって。奥田さんの作品もほぼすべて読みました。すばる文学賞を受賞したデビュー作の『左目に映る星』はアイドルおたくと社会人女性の話で、これは恋愛になるのかならないのかというきわどさに、存分にどきどきさせられました。
伊藤朱里を薦めてくれたのはポプラ社の担当さんでした。「『きみはだれかのどうでもいい人』は絶対好きだと思いますよ」と教えてくれて、読んだらやっぱりはまりました。伊藤さんの作品も全部読んだんじゃないかな。
こうした作家さんたちの作品はどれも、特別な人ではなく、実際に身近にいるような人たちが主人公なのがいいですよね。誰でもなり得る立場や状況にある人たちの、生活や人生の変遷や、さまざまな人との関わりの中での気持ちいいことも気持ちよくないことも鮮やかに描かれていて。不都合も不条理も優れた筆致で読ませてくれるので、たまらないです。
それと、最近「小説幻冬」で青山七恵の「蝶の夢」という連載をずっと読んでいまして、そういえば芥川賞受賞作の『ひとり日和』以来読んでいなかったなと思い至り、青山七恵の既刊を次々に読むというブームが到来しました。去年出た『記念日』はもう、去年買った本のなかで最上位に入るくらい大好きな作品です。女性の心理がもうやばいですよっていうくらい細かくリアルに描かれていて、本当におもしろい。さりげない言葉選びに笑わされたりもして。やっぱり、独自の言語感覚を持つ人たちに惹かれますね。
櫻田智也にも、「紙魚の手帖」に掲載されていた短編をきっかけにはまりまして。
――昆虫好きの青年、魞沢泉がさまざまな謎に遭遇するシリーズですね。『サーチライトと誘蛾灯』などの作品があります。
砂村:あのシリーズが好きすぎて、iPhoneで「魞」の字が一発で変換できるように単語登録しました(笑)。最新刊まですべて追っています。
それと、海外作品ではチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集『なにかが首のまわりに』を読み、心臓をドンと突かれるような感じというか、魂をぐるんとひっくり返されるような感じがするほど衝撃を受けました。ナイジェリア文学ははじめて読んだんですが、同じ地球にいる女性作家が書いたものだという事実に打ちのめされたというか。感銘を受けたというような平易な言葉では表せないくらいに衝撃を受けて、全編を通して殴られ続けながら読み切った感覚でした。今年、『半分のぼった黄色い太陽』が文庫になりましたよね。買わなきゃ。この人は追っていくぞと決めています。
それと、ルシア・ベルリンですね。『掃除婦のための手引き書』も、著者自身が各地を転々として、少女時代にはチリの鉱山のキャンプで暮らしていたこともあったり、大人になってアルコール依存症になったりして......そういう波乱の人生が反映された短編集です。アメリカの作家ですが、大学で研究した文学とはまた違う地平に立っていると思います。
最近は現代世界が不穏すぎるせいか古代に惹かれ、シュメール人関連のものも掘っています。講談社学術文庫の小林登志子著『シュメル人』という本がおもしろいです。SNSやYouTubeで太古の文明に関するネタを発信している人がいるけれど、真偽不明だったり私見が入っていたりするので、ちゃんと書籍で情報を得ようと思って読み始めました。これが素晴らしくおもしろくて。シュメール人って、白内障手術や脳外科手術も行ったとされているし、なぜか太陽系の惑星を全部把握していたそうです。不思議ですよね。
――その後、漫画は読まれていますか。
砂村:ちょっと前になりますが、瀧波ユカリの『臨死!!江古田ちゃん』は全巻持っています。風刺が素晴らしくて、あれを読まずして現代は語れないと思っています。今は『わたしたちは無痛恋愛がしたい』を連載されていて、これも集めています。恋人同士の不均衡だったり、夫婦間のハラスメントだったり、いろんな角度から現代の価値観が持ち込まれていて、これは男性にも読んでほしいと切実に思います。読んで苛立って放り投げるような男性とは付き合わないほうがいいですよね。踏み絵ですね。
東村アキコにドはまりした時期もありました。ドラマ化もされた『主に泣いてます』のギャグのセンスの高さにやられました。岡田あーみん、うすた京介、東村アキコはギャグの感性を満たしてくれる三大作家です。東村アキコはギャグ漫画だけではないですけれど、小ネタがすごすぎます。『かくかくしかじか』という、美大に入って結局いろいろあって漫画を描いている自伝的な漫画も素晴らしいですね。
これもだいぶ前ですが『ゴールデンカムイ』にもはまり、最初は漫画アプリで読んでいましたが、結局紙のコミックを買い揃えました。さらにずっと前ですが、久保ミツロウ『モテキ』はサブカル恋愛もののバイブルだと思っています。ドラマも映画も最高でした。
――短編集『コーヒーの囚人』と『へびつかい座の見えない夜』を経て今年刊行されたのが、長編『飛距離の長い青春』です。これは医学部受験を目指し、高校卒業後に予備校に通う3人の少年少女の物語です。きっかけはどこにあったのですか。
砂村:以前、仕事で現役医学生や医学部を目指す受験生と関わったことがありまして。親が開業医だから継がなくてはならない人や、10浪以上している人もいて、自分のまったく知らなかった世界に衝撃を受けました。宅浪の人は少なくて、たいていの人が予備校に通っている。高校生でも大学生でも社会人でもないという、揺らぎのありそうな立場の人たちにも青春があるだろうと思いました。幻冬舎の担当者さんとの最初の打ち合わせ時にその話をしたら、担当者さんの弟さんが現役のお医者さんだったんです。それで、弟さんからインタビューをスタートさせて、現役の大学生や医師、予備校にも取材をしていきました。なので、かなりリアルな話が書けたと思います。
――主人公となる3人は、家庭環境も医学部を目指す理由もさまざまです。それぞれの葛藤が描かれるなか、3人が育んでいく友情がもう、尊くて。また、合格したらめでたし、というわけではない展開にもぐっときました。
砂村:人生って本当になにがあるかわからないですよね。みんなと同じ成功をおさめなくてもいいし、思わぬ方向に進んだ人も、泥臭く手探りしていった先に安寧があるかもしれない。世間の評価軸と本人の充足感はまた違うんだということも、書きたかったことのひとつです。
――受験が終わったら、3人は離れ離れになる。でも関係が終わるわけでないんですよね。
砂村:ずっと一緒にいるのが友達というわけではないし、つかず離れずの関係だからこそ長続きする場合もある。彼らは予備校という特殊な場所で同じ目標を持って励んだ時間を共有したわけで、タイトルには3人で過ごした青春の飛行時間が続いていく、といった意味合いをこめました。
――今、一日のタイムテーブルはどのような感じですか。
砂村:「外出予定がなく、執筆やゲラ作業に集中できる日」のパターンでお答えしますね。朝、家族を送りだして家事をひととおり終わらせたあと、遅くとも10時には机に向かいます。昼休憩を挟んで、16時前後には夕食の準備を始めます。夜の家事がすべて終わったら、寝床で読書する至福の時間......だったのですが、最近はとても時間が足りず、また机の前に戻って日付が変わる頃まで仕事するようになりました。
もともとロングスリーパーだし、昼夜や公私のメリハリをしっかりつけるのをポリシーにしていたのですが、最近はそうも言っていられなくなりました。忙しいのはありがたいことです。もっと忙しくなるくらいでないと、家計も安定しないですし(泣)。
――今後のご予定などを教えてください。
砂村:いろいろありまして、年内にはもう刊行物はなさそうです。年明けにご期待ください! 世界情勢が(というか日本政府の動きが)不穏すぎて、いつまで本を出版できるのかという不安に押し潰されそうな日々ですが、どうにか希望を捨てずにやっていきます。反戦を叫びつつ。