『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』インタビュー 韓流と歴史問題の谷間を埋める「わたし目線」の入門書
記事:じんぶん堂企画室
記事:じんぶん堂企画室
――皆さんは、一橋大学社会学部で朝鮮近現代史を学ぶ加藤圭木准教授のゼミ生たちですね。出版の動機はどんなことでしたか?
2020年度はゼミの授業がずっとオンラインだったので、逆に例年より議論の時間が長かったんです。朝鮮近現代史のゼミなので、日本人の朝鮮観とか、日本軍「慰安婦」とかの文献を毎週読んで議論をするんですが、「韓国文化が流行ってるけど、日本と朝鮮半島の歴史をしっかり話すことって、日本社会であまりないんじゃないか」「若い人たちの文化交流や市民交流があれば大丈夫っていうけれど本当にそうなのか」といったモヤモヤを、毎週のように話し合ってました。
「大学生視点の入門書」というアイデアは、ゼミの議論のなかでちょくちょく出てはいました。具体化したのは2020年の夏休み、ゼミ生のLINEでやりとりしているうちに、牛木さんから「そう言えば入門書ってどうなったの?」という話になったんですね。
そのときは、こんな大きなプロジェクトになるとは思ってなくて。自分の中で山積していたモヤモヤを整理できてなかったので、提案したんです。「歴史の話がしにくい」と言いつつ、市販の本は入門書でも難しくて、若い人に手に取ってもらえないと思ったので、大学生だからこそ、同じ目線で語りかけながらできることがあると思いました。
――「モヤモヤ」の発端は、「韓国文化が好き」と公言したら白い目を向ける周囲の反応や、日韓交流に参加したら韓国側の強い反応に衝撃を受けたといったことだったのですね。
BTSやTWICEをきっかけに韓国文化にハマりましたけど、軽い気持ちで参加した日本軍「慰安婦」問題に関するスタディーツアーで在日朝鮮人の方から「歴史を見ないで楽しいところだけ見られても文化の消費でしかない」といったことを言われ、いろいろ自分自身の無意識な部分に気づかされたのがきっかけでしたね。
私も日韓の学生交流団体に入ったんですけど、韓国側の学生と交流する中で、日本軍「慰安婦」問題など歴史観を巡って埋めがたい意見の違いも表面化するようになりました。「対話」の前にやるべきことがあると思ったのが、本格的に歴史を学び始めた理由です。
私の場合は通っていた公立の小学校が外国にルーツを持つ子が多く、もともと「多様性の尊重って大切だよね」と素朴に考えていたのですが、朝鮮史の授業で自分が植民地支配の加害の歴史を無自覚に見過ごしていたことに気付かされ衝撃を受けたのが、ゼミを選ぶ大きなきっかけでした。
私も韓国のコスメやファッションが好きだったけど、歴史にはあまり興味がなくて。ただ高校で日本史を選択していて、大学でも歴史学の授業を取る中で、加藤先生の授業に出会って、自分に朝鮮史の視点がなかったことや事実もよくわかっていないことに気づきました。
ゼミで学ぶ中で、自分が韓国で学んだ歴史は朝鮮半島南半分のアイデンティティに関する「韓国史」で、在日朝鮮人の問題や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の問題への認識が足りなかったことに気づかされました。このゼミの皆さんと接して、自らの視点を問い直すことはすごく重要だと気づかされました。
――この本で説明した歴史観は、日本や韓国でもいろいろ意見の分かれる部分ですが、皆さんの間ではどんな議論を?
基本的にこのゼミは人権やジェンダーをすごく大事にしているので、被害者中心主義ということにゼミの中で意見が対立することはあまりなくて。実証的に積み重ねた歴史学の文献を読んで、その成果を学んでいるので、それに基づいて本を書いています。
歴史問題は今、日本で外交問題やイデオロギーの問題としてとらえられがちですけど、歴史を何のために学んで、何のために伝えたいのか。被害者の方の人権がどうやったら回復されるかが一番大事だと私たちは考えてるので、人権回復という一本の軸をどう分かりやすく説明するかに悩みました。よくある学習者に「教える」というスタンスの研究書みたいになってしまうと、他の本との差別化ができない。だから手に取りやすくて、頭に入ってきやすいつくりにしようと、かなり苦労しました。
『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』っていうタイトルなので、一人一人の「わたし」に自分ごととしてとらえてもらいたい。どちらかが教える、教えられるじゃなくって、一緒に考えて、自分の問題と思ってもらうということを全員が意識していました。
――なるほど、それでK-POPの話など、最近流行りの文化的なところから、歴史の話題を考えるようなコラムを挟んでいるのですね。
やっぱり個人的に韓国文化が好きっていうのもありますし、「韓国文化が好きな人にこそ読んでほしい」って思いがあったんで、切り口をできるだけ韓国文化関連にするのは工夫した点ですね。たとえばK-POPアーティストの歴史問題に関する言動を切り口にしたりとか。
身近に感じたモヤモヤを起点にして、歴史の実証研究を優しい言葉で紹介するっていうのは、本の構成として意識したことですけども、「自分もこういうモヤモヤを持ってた」という、入り口として身近に感じて共感してもらえればと思いました。
――「モヤモヤ」の正体って、この本を出すことでうまく見つけられましたか?
基本的には、自分たちが生きる日本社会、そして日本人としての自分自身って何だろうっていう問題なんでしょうけど、モヤモヤって変わっていくものだと思うんです。自分が本当に何も知らない時は「日本軍『慰安婦』問題って何?」だったのが、「過酷な被害は分かるけど、現代人の自分はどう向き合ったらいいんだろう」とか、「人種や性別を巡る差別の問題に、日本人の一人の男性としてどう対処したらいいんだろう」と、だんだん発展していく。
終わるものでもないし、終わらせちゃうと思考停止になっちゃう。このモヤモヤが自分と向き合う機会になると思うので、それを解き明かそうとする営み自体に意味があるって感じですね。
自分の中のモヤモヤを言葉にしたっていうのは、この本を作って良かったなっていう点ではあるけど、自分の言葉や行動、選択の一つ一つが加害行為にもなり得ることにも気づいた。その先にどう行動していけばいいか、スッキリ解決とはいかないかもしれないけども、初めの一歩みたいな本になってくれたらいいと思います。
――本について、気になった反響などあれば。
TwitterでK-POPファンや韓国文化好きな人から「今まで逃げていたけど、これを機会に向き合いたい」とか「本当に知らないことばっかりだった。でもここからちゃんと考えていきたい、行動していきたい」みたいな、うれしい反応が多いなっていう印象ですね。「日本人として読んでモヤモヤしつつも、読みながら向き合う機会になった」とか。歴史の問題は話しづらいと自分も感じるんですけど、一人一人の体験に共感したという感想が届くので励まされています。
――あえて聞きますが、韓国文化を知る上で、歴史の問題は向き合わなければならないことだと思いますか? アメリカのエンタメは人気だけど、アメリカの歴史を全て知る必要があるといった議論はほぼ見られないですよね。
まず日本が朝鮮半島を侵略・植民地化したという歴史があるので、アメリカとは質の違うものがあると思います。それと、もしかしたらこの本を読んで「歴史を全部知らなきゃ」みたいなある種の圧迫感を感じた方もいるかもしれない。確かに最低限知らなきゃいけない知識もありますけど、みんなが専門家のようにならなくちゃいけないというよりは、人権の問題としてとらえて向き合おうと思うかが、大きな分かれ道だと思います。自分自身もまだまだ知らないことがいっぱいありますけど、それを自分の気づきや学びにしていく姿勢が大事。モヤモヤに向き合うっていうのは、まさにそういうことなんじゃないかなって。
――そうですよね。知識っていくら吸収しても追いつかないものだし、生かす方法を知らないと何の役にも立たない。
大事なのは加害の側としての自分の立場を自覚することだと思うんですね。目の前で何かがおきているときも、抑圧されている人たちと連帯するような行動を取れる可能性は広がるんじゃないかと思う。本を通して同じような感覚を共有してくれる人が増えていて、歴史の話とか、自分の立場の揺らぎとか、そういうものを語りやすくなったという気がしています。
――ところで日韓関係は外交的にはこじれるばかり。個人レベルではなかなか難しい部分もありますが、自分自身としてどう向き合っていこうと思いますか?
そうしたニュースの中で、「歴史を学んでいる」と公言しづらい雰囲気が、自分にもあるんですけど、この本の執筆に携わる中で「これって人権問題だよね」という部分がしっかり腑に落ちたという感覚があって。大学で朝鮮近現代史を学んだからこそ、今問題になっていることを、しっかり話せる自分でいたい。一人一人の行動の選択が可能性につながっていることをあきらめたくないし、そこから少しでも空気を変えていくことができる人になれたらいいと、すごく思っています。
私は進学するつもりなので、研究は続いていくけど、学んでどうするのかがすごく大事だと思うので、いろんな活動に参加していきたい。今この問題から自分が目をそらすことはしたくない。今後も何らかの形で関わり続けるし、モヤモヤに対して考え続けることはやめないと思う。
4月に大学院に進学しました。日本と朝鮮半島というのは、歴史的に切っても切れない存在。今の政治もそこに深く結びついている。日本各地に残るそうした関係の研究を、実証的歴史学にもとづいて進めたい。モヤモヤを持ち続け、ジェンダーとか他のモヤモヤにも結びついていく。そういうモヤモヤにも向き合いながら生きていきたい。
私も春から大学院生ですが、普段の生活の中でも、当時の支配を受けた人たちのことを常に想像していたい。顔が見えづらい一般の人々がどういう被害に遭い、どう抵抗していったのかに注意を払っていたいし、その人たちに報いるようなことができているか、研究を超えて自分の生き方として考えていきたいと思っています。
関係を改善させるためにどうするかではなくて、真に人権が尊重された社会になるために自分はどうするか。差別と排除の構造をできるだけ変えていく生き方を考え続けていきたい。それがあって初めて日韓関係も日朝関係も改善はあると思っています。差別があってはいけないと声を出していきたいし、一人が辛くなったらみんなで語り合っていきたい。歴史を学び続けながら、試行錯誤していきたいと思います。