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カン・ハンナさん「まだまだです」インタビュー 韓国出身の歌人は「短歌と出会う運命だった」

文:朴順梨 写真:篠塚ようこ
空っぽの娘の部屋に寒い日は床暖房を入れる母がいる――カン・ハンナ『まだまだです』

――どこにでもある日常のワンシーンだからこそ、誰もが母の気持ちや情景を想像できることだろう。しかし母はソウルに、娘は東京にと別の国に住んでいたとしたら、見える景色は変わってくる。韓国に生まれ、28歳まで家族とソウルで暮らしていたハンナさんは2011年、ほとんど言葉が分からないにもかかわらず、1人で日本にやってきた。それまで40カ国以上旅してきたが、日本は初めて来た時から「自分に合う」と感じていたという。

 世界各地を旅行していて、自分が知っているものとは全く違う発想やカルチャーに驚くばかりだったのに、日本は2006年に初めて来た時から「初めて」という感じがしなくて。流れている空気の中に静けさと穏やかさがあって、「あ、私に合う」って思ったんです。情熱的だったり、自由すぎたりして逆にどうしたらいいのかわからなくなる国もありますが、韓国とも近いこともあり、私に一番合うのは日本でした。

 ツアー旅行で初めて訪れたのは広島だったのですが、厳島神社を見て、1500年近く続く歴史と文化を守っている人々がいるということが心に残りました。伝統と歴史を未来につなげていく人たちことをもっともっと知りたい、学びたいと思ったので、言葉も話せないのに荷物だけ持って日本に来てしまいました。

――日本に対する興味や関心が膨らみ、2011年までに約20回は日本を旅行した。あえて事前リサーチはせずに全国を歩く中で、いくつものお気に入りが生まれたという。

 韓国では日本に関する本も、旅行ガイドもたくさん出ていますが、私はとにかく日本語は話せないけれど、自分が感じるものを大事にしようと思ったんです。本を書いた人の目線ではなく、自分の目線で日本を見て感じたかったんですよね。

 たとえば2009年に行って以来お気に入りのカフェが京都にあるのですが、ここは本屋さんで見た雑誌にステキな玉子サンドが紹介されていたので、地図を頼りに訪ねました。日本語が読めず、写真と地図しかわからなかったのに行ってみたら、お店の人に「韓国人の旅行客は初めて」って言われたのを覚えています。このカフェはクラシックな内装がステキで、玉子サンドもとてもおいしくて。日本の人にとっては日常のひとつかもしれませんが、私たち外国人から見ると、引き込まれる要素に溢れていましたね。

終わらないでほしい恋さえ終わるから終わってほしいコロナも終わる――カン・ハンナ『文藝春秋』2020年6月号

――来日直後に東日本大震災が発生し、友人や知人が慌てて帰国していったが、日本に残ることを決意した。日本のことを学ぶという夢を抱いていたからだ。今回のコロナ禍は9年前と比べ、自分自身の成長を感じさせてくれる機会になったと語った。

 4月と5月はほぼ家にいて、コロナに関する短歌を発表していました。今の状況だと韓国に里帰りしたら日本に戻ってくることが難しい。そんなことを歌に込めていました。正直に言いますと自粛期間が始まってすぐの頃は、詠めない日もありました。家の中にいると、題材が限られてしまうからです。

 だけど「今の私はどんな気持ちなんだろう? それは何に例えられるだろう?」と自分自身の気持ちを整理して、たとえば「家に引きこもっているうちに、自分と世界が遮断された気持ちになったけれど、窓を開けて換気をしたらどこかからタバコの煙が入ってきて、世界とつながってると感じた」ということを詠んだりしていました。

 コロナ以前だったらおそらく、「煙が窓から入って来て嫌だな」で終わったと思うんです。でもコロナがあったことで、自分のすぐ近くに一緒に乗り越えようとしている誰かがいることに、喜びを感じられるようになりました。自由に家族に会えなくなったことで、国境を強く感じたり、同じように日本で頑張っている、外国から来た誰かのことを詠めたので、それがとても嬉しかったです。

 以前の私なら試練が訪れた時は、ぶれたり揺れたりする中で「自分を守らなきゃ」って気持ちになっていました。でも今回は、9年日本に住み続けたことで味方をしてくれる方々を得られたから、すごく強くなれたし、成長したと感じることができたんです。

「各国」と「韓国」の音がどうしても聞き分けられぬ調子の悪い日――カン・ハンナ『まだまだです』

――ハンナさんは来日後、1日約12時間を費やして独学で日本語を勉強した。努力が実り、2014年からはNHK短歌にレギュラー出演している。その短歌自体も、番組に番組に出演する前は、読んだことはあっても「詠んだ」ことはなかったそうだ。

 それこそ万葉集は読んでいたけれど、自分が短歌を詠むなんて夢にも思っていなかったですし、できるとも全く思えなかったんです。でも番組のレギュラー出演が決まったことで、「詠むならいい歌を作りたい」という思いがとても強くなって。「いい歌」の定義はわからないけれど、私の中での「いい歌」とは、誰も使っていないカッコいい表現をすることではなく、誰かの心に届く表現をすること。

 私は日本語を独学で勉強したのですが、その時に「言葉はただ学べばいいものではなくて、自分が届けたい、伝えたいことがあるという気持ちが大事なんだ」ということを感じるようになったんです。だから言いたいこと、伝えたいことを表現する言葉ってなんだろう、伝えるにはどうしたらいいんだろうって気持ちを持って、これまで短歌を詠んできました。

――自身の状況や誰かへの思いだけではなく、国境について考えたり日本で頑張る外国人へのエールだったりと、日本に住む外国人の目線で、独自の歌を詠み続けている。しかし短歌はわずか31文字。とても言い表せないことも、時にあるのではないだろうか?

 私は短歌と出会う運命だったと思っています。長い文章を尽くして自分の気持ちを書くより、わずか31文字の歌にした方が、読んでくださった方の中で想像が膨らむと思うからです。とくに今の日韓の難しい関係の中で、31文字しか使えないことが逆に助けになっています。

 日本と韓国の間に色々な見方や意見がある中で、31文字だからこそ伝えられるものがあるはず。今の日韓関係は見ていて辛いものがありますが、「辛い」の中にはさまざまな思いがあって、決して1つの言葉では表現できない。でもその複雑な気持ちや感情を歌にできることは、私にとってはとてもありがたいことでもあります。

日韓がテーマの日には人魚姫が海の泡になる直前のよう――カン・ハンナ『まだまだです』

――ここ数年の間で最悪と言われる日本と韓国の関係ゆえ、その両国に軸足を置く誰もが今、うまく言葉を発することができなくなっている。だからこそ「31文字で良かったという思いは、日韓関係について詠う時にも実感する」とハンナさんは言う。

 私の歌は名詞か動詞で言い切らずに終わるのが特徴ですが、それは日本語への尊敬と、日本を思う強い意志のあらわれです。また言い切らないことで、読む人の想像が膨らむと思うからです。

 韓国の人から見ると私は、日本っぽい人に見えるそうです。昔からなんですが、ストレートな言葉で強く言うよりは、整理してから遠回しの表現を使うので、そう見えるのかもしれません。でも日本の人から見れば私は韓国人なので、両国の間にいると言えると思います。多様な表現で言葉を思いにして収めることで私は、モヤモヤした気持ちの先を描くことができています。

 だから短歌に救われたし、31文字で良かった。言い切らないことで私は、日本に自分の居場所を見つけることができたのではないかと思っています。はじめのうちは、自分が日本語が母語の歌人と同じことを詠っていいのか、私の役割はもっと他にあるのではないかと思っていました。今は自分にしか歌えない、届けられないものはまだまだあると信じていて、できるだけたくさんの人に共感していただけたらと思っているので、もっともっと成長していきたい思いでいっぱいです。

日本と韓国どっちが好きですか聞きくるあなたが好きだと答える――カン・ハンナ『まだまだです』

――日本に住んでいる韓国人の誰もが、この質問をされた経験があるだろう。どちらかを選ばせようとする、ときに乱暴にも聞こえる質問を投げかける相手に、ハンナさんは真っすぐな目でためらいなく、「両国の人が大好き」と答える。

 日本のことを知らない韓国人と、韓国のことを知らない日本人は、お互い知らないからこそ「どっち?」と聞きたくなるのだと思います。私も「どっちが好きか」と聞かれたらどう答えようかと思いますが、下の句を「あなたが好きです」にしたのは、私は両国の方々が大好きだからです。歌を詠んだ時は冗談っぽいニュアンスでしたが、後から考えた時に本当にそうかもしれないと気付きました。

 そう聞いてくるあなたを私は1人の人間として見ていて、あなたがどこの国の人であっても関係なく好きでいることは、今の時代、とても大事なことだと思うんです。この歌が日韓関係を前に立ち止まる若い人たちを、前向きな気持ちにさせるものになったらという気持ちで詠みました。

そよそよと風が吹くようソウルでもサルランサルラン風は吹くだろう――カン・ハンナ『まだまだです』

――日本語の「そよそよ」と韓国語の「サルランサルラン」を織り交ぜた短歌は、両方の言葉を知る者だからこそ生まれた。ハンナさんは日韓関係を研究する、横浜国立大学の大学院生でもある。タレントと歌人と研究者のまさに三足のわらじ状態だが、その多忙な日々があるからこそ、夢に向かって進んでいけると胸を張る。

 私は日韓関係の研究をしようと思って大学院に進学しましたが、そこで色々な壁に直面しました。日韓関係は私個人の力では変えられない、深くて複雑な問題がいくつもあります。その問題を自分1人で解決することはできないと痛感した時、歌人とタレントとしての活動が光を見出すきっかけになりました。

 力って強く激しいものだけではなく、柔らかく包み込むものもあると思うんです。その柔らかな力で日韓双方の人の心をほぐしていくことができれば、日韓の懸け橋になれるかもしれない。私の役割はなんだろうと考えた時、日本にも韓国にも感謝している自分にしか歌えないもの、届けられないものがあると思ったんです。だから歌人としてももっともっと成長していきたい。それが私の夢なんです。