「誰も望まなかった戦争」が、なぜ起きたのか?[前篇] フレデリック・テイラーさん(英国の歴史家)
記事:白水社
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1938年秋から39年秋にかけての1年間は、極めて重要な期間であった。それはこの1年のうちに、ヨーロッパの諸国民が平和の約束から総力戦の恐怖へと滑り落ちていくことになったからである。第二次世界大戦が始まったとき、人びとのあいだには、四半世紀前の第一次世界大戦が始まったときに見られたような、広範囲にわたる戦争熱の爆発は起こらなかった。本書のタイトルに付けられた『誰も望まなかった戦争』というのは、このような事実を表わしている。さらにはヒトラー自身も、最初のうちはこの紛争を局地的なものに留めたいと考えていた。それゆえ、もしかするとヒトラーでさえ、自らが引き起こしたにもかかわらず、この戦争を望んではいなかったのかもしれない。
もちろん、ここには別の問題がある。たとえ多くのイギリス人やドイツ人が戦争を望んでいなかったとしても、両国民の大多数が結局のところは戦争を容認し、熱狂的ではなかったにせよ、確固とした決意をもって戦争に参加したということは歴史的事実である。このことは特に、一般のドイツ人の大部分について当てはまるだろう。彼らは1938年9月の時点では、ズデーテンラントのために自分たちが戦争に巻き込まれることを心底嫌がっていた。だが、それからわずか一年足らずで、ポーランドとの戦争が正当かつ必要であると納得するに至ったのである。政府による徹底した情報統制が国民全体の意思をどれほど大きく変化させるのか、ナチ体制下で実施された組織的なプロパガンダ活動とその結果は、まさにその典型的な事例であると言えよう。
こうしたことのすべては、いかにして起こったのだろうか? 1938年から39年にかけての外交的、政治的な出来事の詳細について、さらにそのなかでエリートたちが担った役割については、これまでに数多くの研究が取り上げ、考察を進めてきた。しかしながら、当時のイギリスやドイツにおいて、緊張や恐怖、不安、そして最終的には破滅へと至る時代を「普通の」人として生き抜くということは、どのような感覚を伴っていたのだろうか? 外交交渉のための応接室、会議や閣議から遠く離れたところで、日々、何が起こっていたのだろうか? こうした普通の人びとが見ていた世界、抱いていた心情についてさらに深く考えることが、わたしの研究活動と本書執筆の主たる目的である。
これまでのわたしの著書では、ドレスデンの爆撃、ベルリンの壁建設、コベントリーの空襲をテーマとして、いずれも人間社会における危機的な局面を扱ってきた。そのなかでこれらの非常に痛ましい事件を、従来とは異なって、「下から」見直すことを試みたのであった。本書『誰も望まなかった戦争』もこの系譜にある。とはいえ、あの決定的に重要な1年を体験した人びとの歴史を、生きいきと、説得力を持って描くために、わたしはこれまで以上に熱心に、かつ広範囲にわたって、このような過去へのアプローチを可能にする史料を調査しなければならなかった。[中略]
思うに、わたしは結局、ほんの数年前に書こうと考えていたのとは違った本を書くことになった。2008年から09年にかけての経済的、政治的に不幸な出来事が起こる以前には、1930年代の荒々しく予測不能な世界はすでに過去のものになってしまったのだと、わたしたちは気楽に考えることができた。しかしながら、まさに1929年から31年にかけての経済危機が、本書で描かれるような災厄を引き起こしたのと同じように、わたしたちの時代の経済的、社会的な諸問題も深刻な結果をもたらすことになる。例えば、国家や個人の莫大な負債。大多数の人びとに失業や低賃金を強いる反面、ごく少数者に著しい利益をもたらしているグローバリゼーション。そして、制御不能な状態に陥っている大規模な住民移動。これらがヨーロッパやアメリカ、そしてアジアの一部において、1930年代の世界経済危機と同じような、不安定で混乱した情勢をもたらしているのである。同時に、21世紀の権威主義的な攪乱者たちは、大規模なデータの悪用や、それに伴うオンライン情報およびソーシャル・メディアの不正操作を通じて、1930年代における彼らの先駆者たちが単に夢見ることしかできなかったような、多くの人びとを動かすことのできる権力を手中に収めている。
EUに敵対し脱退しようとする動きは、ついに2016年6月23日のイギリスの「ブレグジット」をめぐる国民投票にまで行き着くが、これは大衆の不安感や不信感の新たな最高水位線を示している。第二次世界大戦の終結でもって、極端なナショナリズムに勝利したかのように見えたときから70数年が経った現在、少数ながらも確信を持って投票に参加したイギリス人の大部分は、国際主義に対するナショナリズムのほとんど絶対的な優位性を再び主張しているのである。彼らはそれによって、1945年以来、イギリスやその他のヨーロッパ諸国が歩んできた政治的な過程を大きく転回することを目指している。アメリカ合衆国では、それに歴史的な系譜があるのかは疑わしいが、またもや「アメリカ・ファースト」というフレーズが流行している。
もちろん、現在のわたしたちが生きている世界は、正確には1930年代の繰り返しではない。しかしながら、1930年代についての研究は、甚だしい不平等や極端な保護主義的経済政策がいかに危険であるのかを、わたしたちに思い出させてくれる。同じく、特定の社会集団を周辺化する策略が孕む危険性についても、マイノリティをスケープゴートにした極端な暴力行使の事例から、警鐘を鳴らしている。さらには、無責任と無知に基づく国家の自己利益についての誤った認識がどのような諸結果をもたらすのかについても、わたしたちに教えているのである。
1930年代後半においてわたしたちの祖父母や曾祖父母がそうであったのと同じく、今日の「普通の人びと」であるわたしたちも、豊かさと安全を享受することを欲し、単に屋根のある生活というだけでなく、例えば外国を旅行したり、いつでも誰とでも連絡を取り合えるような生活を送れることを望んでいる。そして、やはり前の時代の人びとと同じように、わたしたちは、これらすべての良きことを可能にしてくれる国際平和というものを求めているのだ。けれども、わたしたちの多くは、このような平和の恩恵と荒っぽいナショナリズムとが、何のリスクも負うことなしに両立し得ると考えがちである。
この先のヨーロッパで戦争が起こることを実際に予期している人はいないが、他方で、第二次世界大戦終結から三四半世紀が過ぎた現在、戦争が起こる可能性を全く度外視している人はもはやいないこともまた確かであろう。
こうした傾向において、現在の世界とそこに生きるわたしたちの生活経験は、第二次世界大戦が勃発する直前の無秩序で予測不能な世界と、そしてこの時代を生きた人びとの日々の生活経験と、おそろしく似ている部分がある。それゆえに、ヨーロッパの命運を大きく左右し、最終的に破滅へと至った歴史的段階に身を置いていた人びとが見ていたもの、そして同時代の彼らには見えていなかったものについて、わたしたちは今こそよく考えなければならない。今日のわたしたちの多くがそうであるように、祖父母や曾祖父母も、たいていは個人的な日々の職務や日課、自身が夢中になれるものや満足感を得られるものに没頭していた。もちろん、彼らは未来を予知することはできなかった。多方面にわたる危機的状況は全く見えていなかったか、おぼろげにしか見えておらず、個人としても集団としても、なおも平和や発展に対する希望を抱いていたのであった。
1930年代末のイギリスは、相当に「モダン」(この言葉に意味があるとすれば)であった。そしてドイツもまた、様々な、しばしば非常に無邪気な見方において典型的な西洋の消費社会であったと見なされがちである。しかしこの国は同時に、ナチのプロパガンダ活動も大いに手伝って、激情の圧力鍋のような状態になっていた。
ナチ政府は重要な外交的勝利(ミュンヘン協定)のすぐ後に、ドイツ国内で法律を順守して生活している住民に対して、野蛮で凶悪な攻撃を企て、実行した(ドイツ・ユダヤ人を迫害した「水晶の夜」)。それゆえ、ヒトラーの行動様式は、国際政治においても客観的に「実利主義的」と言えるようなものではなかったのである。
当時ドイツ人の国民精神のなかには、「実利主義」よりももっと強力で抗い難い何か、外面的な無秩序として表出するような内面的な無秩序があったように、わたしには思われる。これまでになされてきたような「上からの」アプローチでは結局のところ、主要な政治アクターの策動が淡々と、他の文脈から切り離された形で描かれることになる。このような方法にのみ基づいて描かれた歴史像の偏りを矯正する方法として、公衆としての感覚と個人としての感覚のモザイクをつなぎ合わせること、そして両者のあいだにどのような力学が働いていたのかを明らかにすることが重要であると考えられる。もしかすると今から何年何十年か経った後に、現在のイギリスや、とりわけ現在のアメリカについての歴史が、こうした方法によって書かれるかもしれない。そしてそれらは、1930年代の歴史とよく似たものになるかもしれないのである。
戦前期についての著作のなかには、「上からの」叙述の不充分さを「下からの」叙述によって補おうと試みているものもある。ただしその多くは、戦争の危機が差し迫るなかで──そして実際に当時戦争が起きたことを、わたしたちは知っている──、不安を抱く普通の人びとが何をしていたのかという問題のみが焦点化される傾向にある。これに対して本書は、戦争の脅威が彼らの意識の上では差し迫っていなかったときに、彼らが行なったり考えたりしていたことに注目する。例えば、職場や家庭生活の様子、お金の心配や容姿を気にしていたこと、何を食べていたか、どこに出かけていたか、映画館ではどんな作品を見ていたのか、などである。このような考察を通じて、わたしたちは80年前の世界をより深く知ることができるだろう。
【フレデリック・テイラー『一九三九年 誰も望まなかった戦争』所収「序」より】