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「最後の偉大なフランス人」を脱神話化する 『シャルル・ドゴール伝』[上]

記事:白水社

世界を牽引した「強大な指導者」の真の姿を活写する! ジュリアン・ジャクソン著『シャルル・ドゴール伝』(白水社刊)は、英国の世界的権威による評伝の決定版。ドゴールを主役にした「20世紀フランス史」。ダフ・クーパー賞ほか多数受賞。【地図7点・口絵16頁ほか図版多数収録】
世界を牽引した「強大な指導者」の真の姿を活写する! ジュリアン・ジャクソン著『シャルル・ドゴール伝』(白水社刊)は、英国の世界的権威による評伝の決定版。ドゴールを主役にした「20世紀フランス史」。ダフ・クーパー賞ほか多数受賞。【地図7点・口絵16頁ほか図版多数収録】

 

ドゴールはあらゆるところにいる

 いまフランスのあらゆるところにシャルル・ドゴールがいる。たとえば記憶のなか、街路の名のなか、記念碑の上、書店の棚など。最新の統計では3600以上の市町村に、ドゴールの名を冠した公共空間──街路、大通り、広場、ロータリー──がある。この数は小差で2位のパストゥール(3001件)、3位のヴィクトール・ユゴー(2258件)を抜いて第1位である。パリでもっとも偉大な空間、ナポレオンの凱旋門が建つ広場は、ドゴールの死の直後、エトワール=シャルル・ドゴール広場と改名された。そこからシャンゼリゼを下るとすぐに、断固たる足どりで同じ方向に向かって歩くドゴールの彫像にたどり着く。彫像を右に曲がり、セーヌ川を渡れば、フランスの軍事博物館アンヴァリッドに出る。建物内には全面的にドゴールにあてられた分館がある。ここシャルル・ドゴール歴史館に足を踏み入れるのはドゴール主義の神聖なる空間の敷居をまたぐのに似ている。

シャルル・ドゴール歴史館マルチスクリーンルーム[original photo: Jean-Pierre Dalbéra - CC BY 2.0]
シャルル・ドゴール歴史館マルチスクリーンルーム[original photo: Jean-Pierre Dalbéra - CC BY 2.0]

 2010年、ある世論調査でフランス国民に同国の歴史上の人物を重要な順にあげてもらったところ、44パーセントが第1位にドゴールを選んだ(回答者全体の70パーセントがドゴールの名をあげている)。これはナポレオンをトップにあげた14パーセント(ナポレオンの名をあげたのは38パーセント)を大きく上まわる)。右派から左派まであらゆる政治家がドゴールを引き合いに出す。2012年の大統領選挙では、社会党のフランソワ・オランドも、その対立候補で右派の(ドゴール主義者ということになっている)ニコラ・サルコジも、そしてそのほかのほとんどだれもが模範としてドゴールの名をあげた。極右国民戦線創設者ジャン=マリ・ルペンはかつてはきわめつきの反ドゴール主義者だったが、その国民戦線でさえ、いまではドゴールの遺産を讃美する。だが、エマニュエル・マクロン以上に発想の源を意識的にドゴールに求めようとする現代フランスの政治家はいないだろう。大統領としての公式写真では、マクロンはデスクの前に立ち、デスクの上に1冊の書物が開いておかれている。プレイヤード版のドゴール『大戦回顧録』である。

 

【プレイヤード版『大戦回顧録』紹介動画:Charles de Gaulle : mémoires】

 

 ドゴールは自分が主役を務めた歴史からしだいに自由に浮遊するようになってきた。最近の書籍には、アイルランドにおけるドゴールとジャン=ポール・サルトルの邂逅をめぐる滑稽な風刺話(両人は一度も顔を合わせていない)、卵を使う伝統的なフランスのマヨネーズを救い、ゲイの権利を擁護するために死から甦るドゴールを想像した寓話、海辺のドゴールを描くコマ割り漫画、著者が聖人の足跡を追うようにドゴールゆかりの地を訪ねた『あるドゴール愛好家事典』などが含まれる。

 1969年に権力の座を離れたときには、ドゴールをめぐるフランス人の意見が驚くほど一致するなどとは予想もつかなかった。この意見の一致は、ドゴールがその全生涯を通して、容赦のない対立を生んできた人物だったという事実を歴史からエアブラシで消し去ってしまう。政界にいた30年のあいだ、ドゴールは近代フランス史でもっとも敬愛され──そしてもっとも憎まれた──人物だった。ドゴールは同じだけ謗られ、偶像化され、嫌われ、熱愛された。20世紀フランスの政治家で憎まれた者はほかにもいる。しかしドゴールほど激しく憎まれた者はいない。ドゴールを憎むのが人生の意味となった人びとがいた。そのために正気を失った人びともいた。[中略]

シャルル・ドゴール[Charles de Gaulle 1890─1970]
シャルル・ドゴール[Charles de Gaulle 1890─1970]

 フランス人の人生がドゴールとの関係のなかにこれほど熱く絡めとられているのは、彼が20世紀フランスが経験した2つの内戦の中心人物だったからである。最初の内戦は1940年、ペタン元帥の政府がヒトラーとの休戦協定に署名し、フランスがドイツに敗北した結果として起きた。ドゴールはペタンの決定を不服として、闘争を継続するためロンドンに向かった。その公然たる反抗の行動はドゴールを合法的な政府に対する反逆者に変えた。その政府の首班ペタン元帥はフランスでもっとも尊敬されていた人物だったのである。ドゴールのもとに集結した兵士たちが放った銃弾の最初の一発はドイツ人ではなく、他のフランス人兵士に向けられていた。続く4年間にわたって、ドゴールはロンドンから、「真の」フランスを代表するのはペタンではなく自分だと主張し続けた。1944年にフランスに帰還し、1946年1月に権力の座をおりるまで、国民的英雄、そして臨時政府首班として歓呼の声に包まれていた。

1944年8月、パリ解放後にシャンゼリゼ通りを行進するドゴール将軍とその側近たち。凱旋門からシャンゼリゼ通りを経てノートルダム寺院に向かった。
1944年8月、パリ解放後にシャンゼリゼ通りを行進するドゴール将軍とその側近たち。凱旋門からシャンゼリゼ通りを経てノートルダム寺院に向かった。

 1954年11月、アルジェリアのナショナリストがフランスからの独立闘争を開始したとき、新たな紛争が勃発した。8年間にわたるアルジェリア戦争は1958年にドゴールを権力の座に引きもどし、4年後のアルジェリア独立でついに終焉を迎えた。表向きは植民地独立戦争だったが、この紛争は内戦の性格を有していた。行政的にはアルジェリアはフランスの一部であり、ニース(1859年にフランス領となる)よりも長く、1830年から「フランス領」だった。アルジェリア維持を望んだ者たちは、セーヌ川がパリを貫いて流れるように、地中海がフランスを貫くと自慢した。100万におよぶアルジェリア在住ヨーロッパ人の多くが何世代にもわたってそこに住んでいた。彼らにとって、アルジェリアは正真正銘の故郷だったのであり、その喪失は1940年のフランスの対独敗北以上に大きなトラウマを残しさえした。

 この2つの紛争の中心人物だったのに加えて、ドゴールはフランスの歴史と政治に対するフランス国民の考え方に挑戦した。1958年に権力の座にもどったあと、フランスの政治制度を根本的に変革し、1789年のフランス革命から受け継いで時代遅れとなっていた共和主義の伝統的主張と決別した。世界におけるフランスの地位についてのドゴールのヴィジョンは、「偉大さ」というつかみどころのない概念に包まれて、一部からは称讃され、他の一部からはナショナリストと見せかけるための芝居と見なされた。最後に、1968年5月、政治家歴の黄昏にあって、ドゴールは20世紀フランス史上もっとも劇的な革命的蜂起のターゲットになった。

ジュリアン・ジャクソン『シャルル・ドゴール伝[上]』(白水社)目次
ジュリアン・ジャクソン『シャルル・ドゴール伝[上]』(白水社)目次

 1940年から44年にかけてドゴールを敬愛した人の一部は、アルジェリアをめぐってドゴールと対立した。両方の紛争でドゴールと対立した者も、両方の紛争でドゴールを支持した者もいた。1940年から44年にかけてドゴールと対立しながら、1958年の政権復帰のさいにはドゴールを支持し、その後、ふたたび対立した者がいた。その「偉大さの外交政策」にある反米主義は左派の一部を魅了したが、彼らは同時にドゴールの権威主義的な統治スタイルに反発した。ドゴールの警句、「だれもがドゴール主義者であり、ドゴール主義者だったのであり、ドゴール主義者となるだろう)」にも一面の真理があった。だが、1965年の大統領選前夜、ある識者が口にした論評にも真理があった。「ひと握りの仲間をのぞけば、だれもが反ドゴール主義者だったのであり、反ドゴール主義者であり、反ドゴール主義者となるだろう。最悪なのは、ひとりひとりがドゴール主義者でもあり反ドゴール主義者でもあって、その分割線はひとりひとりの意識を通過していることである)」

 

【著者動画:De Gaulle: une certaine idée de la France, Julian Jackson】

 

 ドゴールを称讃した者のなかにはヘンリー・キッシンジャーとオサマ・ビン・ラディンの両方が含まれる。ドゴールを称讃する者たち、そして誹謗する者たちは彼を、シャルルマーニュ、ジャンヌ・ダルク、リシュリュー、アンリ4世、ルイ14世、ダントン、サン=ジュスト、ナポレオン1世、シャトーブリアン、ナポレオン3世、ブーランジェ将軍、レオン・ガンベッタ、ジョルジュ・クレマンソーなどなどの多様なフランス人、そしてビスマルク、フランコ、ケレンスキー、ムッソリーニ、サラザール、毛沢東、ボリバル、カストロ、さらにイエス・キリストなどの非フランス人と対比してきた。この幅広い比較の対象は、ドゴールの比類なき矛盾を反映する。ドゴールはその経歴のほとんどを陸軍と闘って過ごした軍人であり、しばしば革命家のように語った保守主義者だった。情熱家でありながら、自分の感情を表現するのが極端に苦手な男だった。

 

【『シャルル・ドゴール伝[上]』(白水社)所収「序章 ドゴールはあらゆるところにいる」より】

[下巻はこちら]

 

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