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私たちは透明な子どもだった――『ルポ 宗教と子ども:見過ごされてきた児童虐待』が描くもの

記事:明石書店

『ルポ 宗教と子ども:見過ごされてきた児童虐待』(毎日新聞取材班 編、明石書店)
『ルポ 宗教と子ども:見過ごされてきた児童虐待』(毎日新聞取材班 編、明石書店)

発端は記者たちの悔いにあった

 宗教は何のためにあるのだろう。救いのため、善き人生のため、己や世界の成り立ちを知るため――さまざまな答えがありうるだろう。

 ただ、それは自らの意思で信じるという行為を前提にしている。誰かに強制されるものを信仰と呼べるのだろうか。

 本書は、親の信仰の影響を受けて育つ「宗教2世」の存在、そして信仰に伴う児童虐待がなぜ見過ごされてきたのか、毎日新聞取材班の7人の記者たちが深層に迫ったドキュメントである。2世や1世の証言に耳を傾け、児童相談所や医療機関の関係者と向き合い、歴史の闇に葬られた記録を探す。発端は記者たちの悔いにあった。

 2022年7月8日、安倍晋三元首相(当時67歳)が参院選の応援演説中に銃撃されて死亡した。殺人罪などで起訴された山上徹也被告の母親は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の熱心な信者で、教団に1億円を献金して自己破産した。

 奈良県内でも有数の進学校を卒業した山上被告は、生活苦から大学への進学を諦めた。海上自衛隊に入隊後、自殺未遂を起こして退職し、以降は職を転々としていた。

 「オレが憎むのは統一教会だけだ」。SNSに投稿した内容は教団への憎悪に満ちている。その半面、家族への複雑な感情もうかがえる。「オレは作り物だった。父に愛されるため、母に愛されるため、祖父に愛されるため」「オレは努力した。母の為に」――。

 取材班は毎日新聞大阪本社を拠点としている。事件が起きた奈良市の現場は電車で1時間もかからない距離だ。「なぜ彼の存在に気付かなかったんだろう」。記者たちはそのことが気になっていた。

 旧統一教会については1980~90年代、霊感商法による被害や合同結婚式に芸能人が参加したことが話題になったが、最近ではほとんど意識することがなかった。身近な場所で信者による高額献金と、家族の破綻が起きていたことはショックだった。教団との関係を巡り多くの政治家が批判を浴びているが、被害に目を向けてこなかったという意味ではマスコミも「同罪」だった。

 取材班はそうした悔恨を胸にいだきつつ、宗教2世たちが長い間、誰にも話せなかった「物語」に耳を傾ける旅を始めた。

 本書が対象としたのは旧統一教会、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)、オウム真理教、天理教の2世や1世たちである。そのうち何人かのエピソードを紹介したい。

 教室で彼女の姿を見るたび、胸が苦しくなった。家に帰っても、彼女のことを思い出すと何も手に付かない。そんな激しい感情は初めてだ。だが、自分にこう言い聞かせた。「恋愛をしてはいけない」――それが教義だからだ。やがて、彼女に交際相手がいることが分かった。ショックだったが、同時にほっとする自分もいた。中学1年の初恋は、あっけなく終わった。

 こう語ったチュソン(仮名)は父が日本人、母が韓国人である。両親は旧統一教会の信者で、教団の合同結婚式で結ばれた。信者同士の両親のもとに生まれた子は「神の子」と呼ばれ、生まれながらにして親と同じ信仰を求められる。

 しかし、チュソンは学校の友人にも、先生にも信仰のことを話せなかった。教義に疑問を抱いても、家族は答えてくれなかった。孤独の中で青春時代を過ごし、「自分は何のために生まれてきたのか」とアイデンティティーに苦しみ続けた。

「罪を告白しなさい」。集会所の一室は、8畳ほどのガラス張りだ。信者を束ねる長老から促され、全てを打ち明けた。「悔い改めますか」と問われたが、「いいえ」と答えた。やがて追放を意味する「排斥」が言い渡された。高校3年の秋、もう帰る場所はないと思った。

 こう話したのは、エホバの証人2世のはな(仮名)である。同性の恋人と交際したことを理由に、教団の「審理委員会」にかけられた。排斥の処分を受けると、家族からも無視されるようになった。母になった今も、安心して帰れる故郷がない。

 聖書の記述を厳格に守るエホバの証人は、輸血を拒否する教義で知られる。大地(仮名)は中学を卒業したばかりの15歳の時、病院で輸血拒否を宣言し、「無輸血」での手術を受けた。大地は当時の記憶をこう述懐した。

「救ってくださるなら一生をささげます」。オペ室に向かう直前、泣きながら神に祈った。手術台で麻酔を打たれ、薄れてゆく意識の中で考えた。「死んだらどうしよう。短い人生だったな」

深く残る傷痕

 私たちが取材した宗教2世の多くは、信仰を離れてからもトラウマに苦しんでいた。精神の深い場所に残った傷痕は容易には消えず、家族との関係が断絶している人も多かった。2世たちをどうケアするか考える上で、参考になるのはオウム真理教の事件だ。

 1995年3月20日、オウム真理教の信者が東京・霞ケ関駅へ向かう地下鉄車内で猛毒のサリンを散布し、14人が死亡、6000人以上が負傷した。警察当局は教団施設への強制捜査に乗り出し、4月には山梨県旧上九一色村(現・富士河口湖町)の教団施設など全国の約120カ所を一斉に捜索した。この時、施設内に多くの子どもが親と切り離され、不衛生な環境で生活しているのが見つかった。その後、約110人の子どもが全国各地の児童相談所に一時保護された。

 オウム真理教の子どもたちは何を思い、どのように暮らしていたのだろうか。取材班は国や自治体への公文書開示請求、関係者への取材を重ね、当時の記録を入手した。

 ある児童は一時保護された児童相談所で、学習ノートに「はやくオウムにかえせ」と何度も書きなぐっていた。ある児童は家族の絵を描けず、家の絵を描くと煙突から火が噴き出していた。児童相談所の職員らが親身になって向き合い、児童らはやがて親族宅などに引き取られたが、マインドコントロールなどの影響は長期にわたり残った。閉ざされた教団施設から社会復帰することの難しさを、多くの記録が物語っていた。

 あるオウム真理教2世の女性は「私たちは透明な子どもだった」と話した。教団から離れた後も、誰も助けてくれず、社会の中に自らの居場所がない孤独を「透明」と表現した。

 宗教2世たちは、家族と宗教という二重のブラックボックスの中で「見えない存在」にされてきた。そして今も、どこかで人知れず苦しんでいる子どもがいるかもしれない。「宗教と子ども」の問題に社会がどう向き合うか。本書がその参考となれば幸いである。

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