内戦と組織犯罪者 ──佐原徹哉『ボスニア内戦』より
記事:筑摩書房
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ヘルツェゴヴィナのメジュゴーリエ村をフィールドとするオランダの人類学者、マート・バックスが指摘するような住民同士の闘争は内戦の重要なメカニズムの一つであったが、それとは全く異質の要素が存在したことも忘れてはならない。地元とは無関係な人々がやってきて残虐行為を展開した事例が数多く報告されているからである。残虐性という面では、むしろこうした人々の方が飛び抜けていた。
多くの研究者が合意しているように、ボスニア内戦の最悪の残虐行為の殆どは、民兵集団によるものであった。例えば国連の報告書は「民兵がジュネーブ条約や国際人権法の重大な違反に関与していることは、この集団に関する報告書の大部分で主張されている。最も頻繁に報告された違反行為は市民の殺害、拷問、強姦、財産の破壊、略奪である。民兵の活動と、強姦などの性犯罪、収容施設、集団埋葬地の報告にも強い相関関係がある」と指摘している。
こうした民兵をどのように定義するかは厄介な問題である。セルビア・クロアチア語では民兵をパラヴォイニク(=パラミリタリー)に一括しているが、その意味する範囲は広く、パラミリタリーのすべてが悪質な残虐行為の実行者であったわけではない。そこで、まず、内戦期の戦闘集団のカテゴリー分けを行っておこう。
内戦を戦った3つの勢力は、ボスニア政府軍、クロアチア人防衛評議会軍、セルビア人共和国軍であり、それぞれの正規の部隊以外の戦闘集団がパラミリタリーということになる。パラミリタリーはさらに、武装警察部隊、地域防衛隊の枠組みから編成される市民軍、特殊部隊、および、それ以外の集団に下位区分できる。このうち、市民軍は地域住民から編成された部隊であり、主に居住地区の防衛を担当するが、正規軍の指揮下にあり、正規軍と連携しつつ活動していた。市民軍が残虐行為に関与した例は皆無ではないが比較的少ない。武装警察隊は内務省の管轄にあるが、作戦行動の展開においては正規軍と連携し、これに概ね従属していた。武装警察隊による残虐行為もあまり報告されてはいない。
特殊部隊は形式的には正規軍の一部をなし、政府から装備や弾薬や俸給を支給されていたが、特定の指揮官の下でかなりの程度、自己裁量によって作戦を展開する部隊であった。その多くは複数の戦域に展開し、時には正規軍と連携しながら活動することもあったが、大抵は正規軍の指揮下には入らずに軍上層部に対してのみ報告義務を負っていた。こうした部隊の典型例が、アフミチ事件の「ジョーカー」やストゥプニ・ド事件の「アポストリ」と「マトゥリツェ」である。例えば、「ジョーカー」はヴラディミル・シャンティチという人物の私的軍隊の性格をもっており、隊員たちはシャンティチによって個人的にリクルートされたものたちから成り、彼の命令にしか従わなかった。こうした特殊部隊は多数の残虐行為に関与した。
問題は、その他の集団である。本書で言及したものだけでも、セルビア人側のアルカンの虎部隊、シェシェリのチェトニク部隊、クロアチア人側の「クロアチア人防衛軍」や「囚人軍団」、ボシュニャク人側の「グリーン・ベレー」や「ムジャヒディン」などの集団が残虐行為に関与していた。これらを一括りに民兵と呼ぶことにしたいが、その内実は様々であった。
1994年の国連の報告書によれば、旧ユーゴ出身の民兵組織は少なくとも83あり、その他にイタリア出身でクロアチア側に立って戦った「ガリバルディ部隊」、セルビア側で参戦したロシア人の傭兵部隊、西欧諸国やアメリカ出身の部隊などが活動していたという。それぞれの集団は数千名に及ぶ大規模なものから数名程度の小規模なものまであり、長期間活動した集団もあれば短期間で消滅したものもあった。報告書に掲載された民兵の中には、明らかに地域防衛隊の一部と見られるものや、民兵と呼ぶべきか否か判断に迷うものも含まれている。例えば、ブルチュコで活動したとされる「ウィークエンダー」は、報告書によれば隣接するビエリナから週末ごとにやってきて略奪や破壊を行ったということだが、彼らが何らかの組織をもっていたのか、単なる私的な略奪犯だったのかは判然としない。
こうした多様な民兵集団に共通項を求めるのは非常に困難であるが、敢えていうなら、民兵は特定の指導者によって集められた私的集団であり、徴兵によって集められたものではなかったことであろう。それゆえ、殆どすべての民兵は「義勇兵」に分類される。「義勇兵」の中には正規軍や市民軍に加わって規律に従って戦ったものもいたが、自ら進んで戦場に赴くという意識には胡散臭さがつきまとう。家族や友人を守るといった具体的な目的があるならまだしも、「国」のためなり、「民族」のためなりに命を捧げるという曖昧な「正義感」はとてつもなく危険なものである。自分の命を大切にしない者は、他人の命など虫けらほどにも思わないからだ。民兵集団に共通する残忍さの根源はこの辺りに求めることができよう。
民兵集団のもう一つの共通点は、正規軍等の指揮下に入らず、自立的に行動したことである。この点では、「ジョーカー」などの特殊部隊の一部も民兵のカテゴリーに含めるべきであろう。実際、悪名高い「囚人軍団」はムラーデン・ナレティリッチの私兵団として発足し、「クロアチア人防衛評議会」軍の特殊部隊に編入された後も、従来通りに自由に活動していた。
民兵たちが自由に活動できた理由の一つは、独自の資金源をもっていたことである。アルカンやシェシェリの部隊はセルビア共和国政府から資金援助を受けていたと見られるが、多くの民兵は略奪を資金源にしていた。極端な例は、ボスニア政府軍のムスリム部隊に配られた「イスラム戦士の心得」であろう。そこには「戦利品の5分の1は国庫に入り、残りは兵士のものであることは明らかである」と書かれていた。もちろんこれには但し書きがあり、「しかしながら、兵士が俸給を受け、国家が兵士とその家族の面倒を見る場合、戦利品のすべてが国家のものとなる。このため、国家が戦利品を処分する最適の方法は士官が代行することである」と言い添えてあったが、これは略奪そのものを禁止してはいないと読める。
民兵たちが戦うために略奪したのか略奪のために戦うふりをしたのかも判断が微妙な問題である。これは主観の問題だからだ。とはいえ、セルビア人共和国軍幹部であったヴィンコ・パンドゥレヴィチの次のような指摘は事実に近いものだったに違いない。「民兵部隊はセルビア民族の『庇護者』を装い、民族の利益のために『犠牲』を払う用意がある勇敢な人物、『民族の英雄』を装った。しかしながら、彼らの『自己犠牲』とは実益の境界線までしか達しなかった」。
ボスニア内戦と民族浄化──はじめに
Ⅰ ボスニア内戦の歴史的背景
Ⅱ 虐殺の記憶
Ⅲ 冷戦からグローバリゼーションへ
Ⅳ ユーゴ解体──「グローバリゼーション」の戦争
Ⅴ 内戦勃発
Ⅵ 民族浄化
Ⅶ ジェノサイド
Ⅷ 内戦のメカニズム
あとがきにかえて──戦後のボスニアとジェノサイド言説
文庫版あとがき
注記
索引