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【対談】藤原さと×朱喜哲 前編 学びは新自由主義に向かっているのか? 公教育のこれからを考える

記事:平凡社

『こどもと民主主義をつくる』著者の藤原さとさんと『バラバラな世界で共に生きる』著者の朱喜哲さん(撮影=佐藤類)
『こどもと民主主義をつくる』著者の藤原さとさんと『バラバラな世界で共に生きる』著者の朱喜哲さん(撮影=佐藤類)

左:藤原さと著『こどもと民主主義をつくる』(平凡社)、右:朱喜哲著『バラバラな世界で共に生きる』(NHK出版新書)
左:藤原さと著『こどもと民主主義をつくる』(平凡社)、右:朱喜哲著『バラバラな世界で共に生きる』(NHK出版新書)

公教育の危機と拡大化する私立・民間教育

朱喜哲(以下、朱):藤原さんの最新刊『こどもと民主主義をつくる』を読んで、特に伺いたいと思ったのは、公教育のあり方についてです。

 私が住んでいる大阪は、高校無償化などの影響もあり、公立から私学へとより人が流出している印象があります。相対的にみると、公教育が弱まっている状況があるのは否めません。市民を育てる営みである「教育」が、果たして民間だけに委ねられてよいのかという疑問があります。

藤原さと(以下、藤原):高校無償化の政策により、公立高校が不利な立場に置かれていることは深刻な問題ですね。高校無償化には年間5000億円規模の財源が必要と言われていますが、そのお金があったら他の政策に使えたのでは? と個人的には思ってしまいます。

 大学の入試制度が一般入試だけではなく、総合型選抜、推薦入試と多様化している中で、私学のほうが大学進学実績を伸ばすための策を練ったり、生徒募集に有利にするコース新設や特色づくりを進めるにあたっての機動力が高く、学費補助のメリットを感じやすい設計になっています。しかし、高校を競争市場に巻き込んでいいのかは疑問です。

 一方で、小学校・中学校に目を向けると、公教育が本来果たすべき役割を十分に担ってこなかったことで、不登校になる子どもが増えているという問題があります。子どもたちが学校で自分の声を受けとめてもらえないと感じ、「教師-生徒」というパターナリスティックな関係の中で、「正しい」とされる言葉を学校に押しつけられている状況もあります。

 そんな中で、特に初等教育段階では、オルタナティブ・スクールを選択する動きが増えています。そうした場では、子どもたちの声がより丁寧に聞かれ、子ども自身の言葉によるやりとりの中で思いや考えが形づくられているケースが見られます。本来は公的な教育が担うべき役割を、オルタナティブ・スクールが受け皿となって果たしている側面もあります。

 ただ、そこで大きな課題になるのが費用の問題です。オルタナティブ教育を受けるには一定額の月謝を払わなければならないので、保護者の経済状況や、教育に対する意識の違いが影響してしまう。結果として、高校無償化の問題とともに、新自由主義的な構図がそこにも表れてしまうんです。

朱:今のご指摘は非常に重要な観点だと思います。オルタナティブ教育では、角川ドワンゴ学園が運営するN高に代表されるように、従来の通信制とは異なる、新しい学校の形が広がっていますよね。N高グループだけでも、1学年あたり約3万人規模の生徒が在籍しており、通信制全体で見れば、その世代の数パーセント規模にまで広がっています。

 公教育の制度疲労がこうした別の選択肢を選ばせているという現実がある一方で、教育は社会の基盤を支える「ボトム」をつくる営みであり、市民社会の担い手を育てる営みでもあります。いまその「ボトム」を支える役割を、いったいどこが担うのかは、藤原さんにぜひ伺ってみたかった点です。

藤原:公立の小中学校は、徒歩で通える身近さ、生活圏と密接につながっていることなど、いくつかの大きなメリットがあります。近所のお友達と放課後に遊んだりすることも容易ですし、地域そのものが教材になる点も大きな強みです。たとえば、社会科の授業で地元の商店街と一緒に総合学習をやったり、運動会を地域ぐるみで開催したり。

 また、公教育はセーフティーネットとしての役割を担っていると言われています。以前は家庭訪問が行われていて、教師はそこで居住環境や親子関係などを確認し、貧困や虐待の可能性を察知して、必要に応じてスクールソーシャルワーカーや支援組織につなぐということをしてきました。しかし、コロナで家庭訪問は中止もしくは縮小となり、いまもコロナ以前の状況には戻らず、その機能が崩れつつあると感じています

 現在は全国的に教員不足で、学校の中でも子どもたちが十分なケアを受けられないと感じる保護者が増えました。ただ、こうして公教育が弱まっていくと、多様なバックグラウンドの子どもたちが、同じ空間で身体性をもって関わり合う場がなくなっていってしまいます。私はインクルーシブ教育にも携わっていますが、障害があったり、外国人であったり、さまざまな社会・経済的バックグラウンドのあるお友達と同じ場を共有し、複雑なコミュニケーションの力を育む価値を実感しています。

 もしかしたら塾のように能力別にクラス編成をして、効率的に授業をしたほうがテストの点数だけは上がるかもしれません。でも、それが学校の役割なのでしょうか? AIの登場によって知のあり方が激変しています。単なる学力形成だけではなく、他者との関係を築く力を育むことができる公教育の意味は、これまで以上に大きいと感じています。学校概念の再考とアップデートが必須です。

朱:よく、名前と顔が一致するようなコミュニティが成立するための単位としては、小学校の校区くらいが上限だと言われますが、そうした単位自体が崩れてきているように感じます。投票所が小学校に設けられているように、学校は地域の拠点であり、近代的な市民社会の象徴的な場としての役割も担ってきたと思います。さまざまな職業や立場の異なる人々が、同じ地域で共に暮らしている関係性を、空間的に可視化する場でもありました。

 藤原さんの本に登場する、私もご一緒した、大阪西成区にある西成高校の事例は象徴的だと思います。西成高校は、小中高の連携、あるいは一貫した公立教育の枠組みの中で、小学校段階から学び直しを含めて支えていこうとする取り組みをしていますよね。

学習の学びなおしや社会構造への批判的視点を培う「反貧困学習」を実践する西成高校(撮影:藤原さと)
学習の学びなおしや社会構造への批判的視点を培う「反貧困学習」を実践する西成高校(撮影:藤原さと)

社会化と個別化をどう両立するか

朱:こうした市民社会の一員としての自分という感覚を育てる、社会化(ソーシャライゼーション)の機能としての学校という役割と、自分らしさを発揮し、自分のありのままを表現できるようにする個別化(インディビジュアライゼーション)としての学校という役割を、どう関係づけるのか。

 例えば、私が専門としている哲学者リチャード・ローティにはけっして評判のよくない教育論があります。ある教育学会のシンポジウムをもとにした論考の中で、ローティは初等・中等教育の段階では、まず社会化、すなわち社会の一員としての基盤を学んだうえで、高等教育の段階では、それを批判的に問い直す個別化が必要になる、それによって「リベラルな近代的自我」を育むことが可能になるといったことを述べています。

 大学を中心とする高等教育は、社会性をもちながら、既存の社会に対してときには批判的なまなざしを持つという、いわば「反社会的」とも言える側面をも含んでいます。いまのアメリカもですが、大学が権威主義的な国家の指導者から敵視され、抑え込まれるのは、大学が批判的でクリティカルなまなざしを育てる場であり、既存の秩序にとっては脅威となりうるからです。

 しかし、ローティの議論には一つ大きな問題があります。高等教育に進まない、あるいは進めない人々は、社会化だけで十分だとされてしまっていいのか、という問題です。

 この問題点を踏まえたうえで、社会化と個別化という、二つの側面を実践的にどのように両立させていくのか、あるいは何らかの順序や段階が必要になるのか。この点について、どのようにお考えでしょうか。

藤原:ローティの論については、朱さんがおっしゃる通り、批判的に問い直す個別化を高等教育段階まで先送りにしてしまうと、高等教育に進めない子どもはどうするのだろうという限界を感じます。発達心理学者のジャン・ピアジェは、12歳くらいになると批判的・抽象的思考ができるようになると考えました。そう考えると、高等教育(大学)に進む前のもっと若い段階でも、子どもは、社会化と個別化の両方を進めることができるかもしれませんね。

 今作で触れているローレンス・コールバーグの道徳性発達理論は、「ケアの倫理」で知られるキャロル・ギリガンからの批判でも知られていますが、小学校期、いわゆる学童期の子どもたちは、大人から与えられた価値観やルールをそのまま受けとる傾向が強いと指摘しています。たとえば、娘がアメリカの小学校3年生のときの模擬選挙のエピソードを書きましたが、子どもたちは親の言ったことをそのまま無批判に内面化し、学校で自分の意見として表現していました。

 この時期は、心理学的にもまだ十分に批判的な思考が育っているとは言いがたい時期です。なので、いじめや虐待など、過度に自己を否定される経験にさらされない環境を整えたうえで、読み書きや計算といった社会で共有される基礎的な知識を習得し、社会に出るための基盤を築くことが重要です。さらに、こうした共有知を活用しながら社会をよりよく変えていく力を育むことも、公教育の重要な役割の一つであると考えます。

《中編へ続く》

構成=吉田真美(平凡社編集部)

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