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「新自由主義教育の40年」 改革の「抗いがたさ」を問い直す 朝日新聞書評から

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2024年11月16日
新自由主義教育の40年: 「生き方コントロール」の未来形 著者:児美川孝一郎 出版社:青土社 ジャンル:教育・学参・受験

ISBN: 9784791776627
発売⽇: 2024/07/29
サイズ: 13.1×19cm/360p

「新自由主義教育の40年」 [著]児美川孝一郎

 最近の学生は就職活動には熱心でも国際情勢や社会問題には関心がないように見えることを不思議に感じていたが、本書を読んでその疑問が少し解けた気がした。いまや大学がこぞって力を入れる「キャリア教育」こそが元凶かもしれないのだ。というのも、キャリア教育は企業社会を所与として若者をそれへ順応させるが、その裏返しとして、格差など社会問題へ疑問を抱くことは封印されることになる。本当の意味での主体性を育む教育が疎(おろそ)かになっていることを本書は指摘する。
 このように本書は、競争と自己責任を原理として1990年代後半以降に様々な形で行われてきた「新自由主義教育」の陥穽(かんせい)を糾弾する。例えば、「個別最適化」の名の下に行われるGIGAスクール構想は個々の学力差を放置しかねないことを危惧する。
 だが、著者の慧眼(けいがん)が特に光るのは、キャリア教育にしてもGIGAスクール構想にしても、そこに民間企業の跋扈(ばっこ)を見ている点だ。そのような見方に対しては、「何を今さら」と感じる向きもあるかもしれない。たしかに、日本の公教育は戦後一貫して塾産業という民間教育と共存してきた。だが、問題の新規性は、「共生」や「棲(す)み分け」といった言葉で整理できるような段階を通り越して、民間企業が従来の教育の領域に侵食してきており、民間企業への依存こそが全ての前提となってしまっていることにある。その背景には、社会的企業といった形での市場主義に対してリベラルな側からも期待があった。
 新自由主義教育を斬って捨てることは簡単だ。本書の白眉(はくび)は、そうはせずに、それらの施策を受容する下地が我々自身の中にこそあったのではないかと問い続けている点であろう。文部科学省が主導権を失ったポスト戦後型の教育改革は、半面では子どもに寄り添った学びを脅かすように見える面もあるが、半面では「教育ムラ」の論理や一部の既得権益への対抗策だったのではないか。民間企業の公教育への関与にしても、これまで公教育は、競争的な学習活動については塾に担わせることで、その内部においては公正性という理想を保つことができてきた。つまり、民間企業の活動の拡大は、公教育がその役割を担い切れなくなっていることの証左かもしれない。
 著者は、新自由主義教育への「抗(あらが)いがたさ」を認めつつも、そのうえで他の道が無かったのかと問う。新自由主義教育を乗り越えるためには、それを望んだのが他ならぬ我々なのかもしれないという視点に立つ必要があると考える著者の姿勢に深く共感した。
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こみかわ・こういちろう 1963年生まれ。法政大キャリアデザイン学部教授。専門はキャリア教育、教育政策。著書に『自分のミライの見つけ方』『まず教育論から変えよう』『キャリア教育のウソ』など。