さる6月、国は世界水準の研究力を目指す「国際卓越研究大学」(卓越大)の候補を事実上、東大・京大・東北大の3校に絞った。今秋に最終認定される卓越大には、10兆円規模の大学ファンドの運用益から、年間数百億円もの助成が行われる。卓越大制度は戦後日本の大学史上、1991年の一般教養課程廃止と「大学院重点化」、2004年の国立大学法人化に続いて、3度目の大改革にあたる。30年以上も大学改革が続いてきたわけだが、その結果は芳しくない。
2度目の大改革では「選択と集中」の旗のもと、国から国立大への定常的給付金(運営費交付金)が削減され、プロジェクト型の時限付補助金(競争的資金)が増額された。だが安定して人件費に使える予算が減ったために、教職員の非正規率が増加し、これが1度目の大改革で研究者数が増えた世代(就職氷河期世代と重なる)を直撃する。かれらが任期制教職員や専業非常勤講師として味わった苦境を目にして、下の世代は博士後期課程進学を避けるようになった。
法改正の副作用
政治主導を掲げた民主党政権期には大学政策の主導権が文科省から内閣府に移され、政権が大学のあり方に直接介入できる条件が整えられた。この条件を引き継いだ第2次安倍政権は、劇的な「大学ガバナンス改革」に着手する。先進諸国の大学では、研究・教育・研究者人事に関しては、専門家集団(教授会など)のピアレビュー(相互審査)に基づくボトムアップの意思決定が尊重されてきた。ところが、こうした大学自治の「本丸」部分までも、学長や経営陣がトップダウンで左右できるような法改正が進められたのだ。経営陣に権限・権力が集中した結果、田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』や駒込武編『「私物化」される国公立大学』(岩波ブックレット・726円)が描く、大学の「独裁化」「私物化」といった深刻な副作用も広がった。
そうした状況下でも、藤本夕衣、古川雄嗣、渡邉浩一編『反「大学改革」論』が示すように、中堅・若手の大学教員は、4年制進学率が5割を超えた「ユニバーサル段階」の高等教育のあり方を懸命に模索してきた。だが研究者の疲弊はあまりに深く、先進各国の学術論文数が増え続けるなか、日本発の論文数は減っている。
軌道修正が必要
にもかかわらず、政治主導の大学改革は止まらない。岸田政権は卓越大制度を、日本の大学や科学の起死回生策とみなしているようだ。筆者はこの政策には批判的だが、大学ファンドが走り出した以上、今後最低限やるべきことをあげておきたい。
まず、日本の研究・高等教育の瓦解(がかい)を何としても防がねばならない。大学ファンドは、大学間格差や高等教育の地域間不平等をさらに拡(ひろ)げてしまう。私立大や地方国公立大など「トップではない」大学が担ってきた、裾野の広い研究や人材育成の機能が崩壊しないよう、今後は幅広い助成を行う必要がある。
また、博士後期課程進学者が減り続けた結果、若手の研究者・大学教員の不足が深刻化している。大学ファンドは、何より非正規研究者の雇用安定と人材活用に使われるべきだ。卓越大への助成の何割かを「大学院重点化」世代の正規雇用転換枠に使わせるといった、強い縛りをかければよい。「トップではない」研究者を育成・活用する政策こそ、研究・高等教育に好循環を生む。
トップダウン化一辺倒で進んできた「大学ガバナンス改革」も軌道修正が求められる。研究・教育・人事については、先進各国の大学並みにはボトムアップの自治を回復すべきだろう。広田照幸『大学論を組み替える』も指摘するが、大学に自治が必要なのは、知それ自体の探求を目的とする特殊な社会的役割を、大学が担っているからである。=朝日新聞2023年7月8日掲載