こんなに難しい "最期の居場所" ――葛西リサ『単身高齢者のリアル』より
記事:筑摩書房
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筆者が単身世帯と住宅の関係を意識しはじめたのは、2000年代の後半、生活に困窮して住まいを喪失した人への自立支援を行う更生保護施設で、モニタリングを行っていた頃である。
大阪市内にあるその施設では、週に1回、施設から退所した人たちが地域で孤立しないようにと、居場所づくりを目的としたカフェを開催していた。そこにはさまざまなバックグランドを有する中高年の単身男性が十数人集まっていた。常連もいれば、不定期にやってくる人もいた。
「あの人、家でひとり、死んどったらしい」
そこで、そんな会話をよく耳にした。そういった話題が出るたびに、「おっちゃん」たちが身を固くして横を向く姿を、私はよく覚えている。その施設では、当時すでに年に数十数件もの退所者の孤独死が報告されていた。緊急連絡先に施設の電話番号を登録していたために発覚する死が多かった。
「彼らにいったい何が起こっているのか」。その生活実態の把握の必要性に駆られ、家庭訪問調査を行ったことがある。
対象者は、カフェとつながりのある単身の男性25名、平均年齢63歳。1週間のうちに会話をした人は「いない」、あるいは、かかりつけ医や介護ヘルパー、カフェ、施設スタッフのいずれか、という回答がほとんどであった。なかには、かつて結婚し子をもうけたという人もいたが、調査時点ではすべての人が家族とのつながりを失っていた。
全員が民間の賃貸住宅に暮らしていたが、身寄りがないことを理由に貸し渋られた人が多かった。身寄りのいない中高年の単身者を入居させるのは、不動産オーナーにとってリスクだからだ。とはいえ、新築当時は学生や新卒者などをターゲットとしていたのであろう物件も、築年数の経過とともに空室が増え、それを埋めるために、リスクを引き受けるオーナーもいないわけではなかった。
狭小なワンルームマンションに暮らす人が大半だった。匿名性を売りとしてつくられたそれらの空間は、最低限の共用部以外に他者との交流を意識した余白を持たない。室内は、玄関を入って左右にユニットバスとミニキッチン、その奥に6畳程度の部屋が一室といった間取りが典型だった。玄関側に開口部がなく、ベランダはあるものの、ブロック塀や植栽などで、外側から部屋の様子が見えないようになっている。
「こんな所で死んでもうたら、見つけてもらわれへんやろな」
冗談とも、本気ともつかない言葉を口にする人もいた。実際に、施設職員らからは、狭小な空間にすべての設備が詰め込まれたワンルームマンションほど、密閉度が高く、孤独死が発見されにくいと聞いた。もしものときに備えて、職員に鍵を預けているケースも少なくなかった。
「泥棒が入っても、盗るもんなんてなんもあらへん」と、あえて玄関やベランダを施錠しないという人もいた。少数だが、孤独死を想定して、早期に発見されるように工夫をしているという声も聞かれた。
玄関側に窓がある、いわゆるリビングアクセス型の木造の集合住宅を選んだという人は、「木造やから隣や上の物音がよう聞こえるしな。台所と奥の部屋のしきりを開けっぱなしにしてな、家におるときはテレビつけとくねん。そしたら廊下のほうに光が漏れる。ずっとついとったら、おかしいなって誰かが気づくやろ」とその理由を語った。
玄関の前に洗濯機を設置するタイプの集合住宅に住んでいた人は、「ここで煙草を吸いながら洗濯してたらよう人に会うねん。〔自分の姿を〕見かけへんようになったら、通報くらいはしてくれると思うわ」と、不確かな近隣関係に期待を寄せていた。
元旅館を転用した住宅では、1階に中年の女性の管理人が住んでいた。その前を通ると、「めずらしいな、お客さんかいな。ごゆっくり」と冷やかすような声をかけられた。「ほんまに。うっとおしいやろ。せやけど、あれが俺の唯一の生存確認や」と、笑っていたあの人は、あれからどうなっただろう。
彼らは、自分なりのやり方でささやかな自己防衛をしながら、孤独死と対峙していた。いくら不安でも、高齢者施設や病院へ行くことを嫌う人がほとんどだった。「自由がなくなる」。理由はそれに尽きた。
数年にわたるモニタリング期間中、複数人の死に遭遇した。つい先週まで冗談を言い合っていた人がこの世からいなくなるというのは、当時30代であった筆者には受け入れがたいものがあった。とはいえ、自宅で亡くなった人も、カフェというつながりによって、すぐに発見されたことは救いだった。
単身化が進行する社会では、自宅にて「一人」で亡くなることは、異常なことではなく、むしろ自然なことなのだと、その調査を通じて学んだ。他方で、許容されるべきではないのは、地域社会から隔絶された密室のなかで「独り」放置される死のほうなのだ。
それを回避するには、当然のことながら生前のつながりが必要である。ただしこれを、誰がどのような根拠のもとで保障するのか。当時の筆者には、その回答を出すことはできなかったし、少なくともその時点で、住宅政策の領域は、その必要性をほとんど認識してはいなかった。
それからおよそ20年が経ち、孤独死は一部の人の特殊な事象ではなくなった。警察庁の発表によれば、2024年に自宅にて一人で亡くなった人の数は全国で7万人を超える。そのうち、死後8日以上が経過して発見された、いわゆる「孤独死」は2万件以上もあった。
第二次世界大戦後、日本の住宅政策は、いかに合理的に大量の住宅を供給するか、この点に主眼をおいて設計された。それは、戦災による住宅不足を解消し、人口や世帯の急速な増加に対応するために必要な策であったことは間違いがない。そしてその政策のメインターゲットは、婚姻や血縁によりつながった家族世帯であった。必要なケアは家庭内で完結される。そのため住宅政策は、ハードのみを供給するという仕事に徹していればよかったのである。
しかし、単身高齢者が増えるなかで、住宅があってもケアがないために、そこに住み続けることが難しいという人が増えた。
従来、社会的なケアが必要な人への支援は、専ら厚生労働省が所管する法制度、例えば、老人福祉法に基づく諸施設の供給や、介護保険法に基づく介護サービスの提供などがなされてきた。とはいえ、孤独死が2万件を超えるという現状を鑑みると、それらの制度的なケアが高齢者の社会的孤立や、その先に待ち受ける孤独死の抑止に効果を発揮しているとはいいがたい。
単身者が、住宅に住みながら他者とつながる――これを実現するためには、やはり、住宅政策領域からのアプローチが必要となる。2015年には、国土交通省がサービス付き高齢者向け住宅の仕組みを作ったが、これだけでは、差し迫った超高齢単身化への対応は難しいと言わざるをえない。
ここ数年、中高年の単身者から住宅に困っているという声を聞く機会が増えた。
「親から譲り受けた郊外にある持ち家に住んでいるが、改修費が捻出できず困っている。売りたくても資産価値がなく手放せない。近隣も高齢化していて交流もなく、このままでは孤独死してしまうかもしれない」
「賃貸住宅に暮らしてきたけど、建て替えのため立ち退きを求められている。50代後半。身寄りがいないのでなかなか次の住宅が見つからない」
「低家賃にこだわってエレベーターのない3階に長く暮らしたが、そろそろ階段が辛くなってきた。公営住宅への入居も考えないわけではないが、この年で知らない場所で生活する自信もない」
それぞれ、抱える問題は深刻だ。しかし、そこに見守りやケア、つながりがあれば、多くの問題は解決される。持ち家か賃貸かにかかわらず、住みたい場所に住み続け、「独り」ではない最期を迎えるためにどのような仕組みが必要だろうか。
本書は、急増する単身高齢者の実態を把握し、戦後の住宅政策の変遷や、非営利組織や不動産会社による取り組みを整理した上で、「居住支援」という観点から、かれらの社会的孤立を抑止するための手がかりを探る。
第1章では、単身高齢者が増えることで社会問題化してきた、セルフネグレクトや孤独死の実態、さらにはそれが地域社会に与える影響について整理を行う。
第2章では、高齢者の多くが持ち家を所有しているにもかかわらず、そこに住み続けることができない実態、そして持ち家を所有しない高齢者が過酷な住宅問題を抱えることになる実態を問う。家族を形成する世帯を対象に持ち家取得を促進してきた日本の住宅政策のあり方が、現代社会と大きく乖離している様を、ここで共有したい。
第3章では、生涯未婚率、離婚率の上昇など世帯の多様化が、高齢期の住宅市場に及ぼす影響について考察する。バブル崩壊後、就職難に喘いだ氷河期世代は人口のおよそ6人に1人。その多くが不安定就労で、家族を形成する機会を持ちえなかった。賃貸住宅に依存する傾向の高い彼らは、ここからどのような住まいのニーズを抱えて高齢期を迎えるのか。これからの住宅市場を占う上でも、その実態に迫ることが不可避である。
第4章では、急増する単身高齢者および単身中高年層の賃貸住宅ニーズに応えるべく、住宅とケアを一体的に供給する取り組みを行う不動産会社の実践を紹介する。空き家が増えゆく社会で、どのようにすれば採算性を保ちながら高齢者を包摂できるのか。その試みから学ぶべき点を考えてみたい。
第5章では、単身者がマジョリティとなりつつある社会において、これからの住宅政策はいかにあるべきか展望する。近年では、高齢者の孤独死を早期に発見するためのICT(情報通信技術)の活用が進んでいる。空き家が増える社会では、こうした技術を用いてリスクヘッジをしながら高齢者の入居を受け入れる不動産会社が増えることが想像される。しかし、それだけでは高齢者の孤独は解消されない。単身化が進行する社会では、自宅にて「一人」で亡くなることは、もはや防ぎようがない。とはいえ、生前に単身者が社会とのつながりを醸成する仕組みがあれば、「独り」ではない死を迎えられるかもしれない。
その可能性を、本書を通じて読者と共有できればと期待する。
はじめに
「あの人、家でひとり、死んどったらしい」/なぜケアとしての住宅政策が必要なのか/「独り」ではない最期を迎えるためには
第一章 孤独死の現場から
「変な匂いがする」/すぐそこにある孤独死/増える「よくわからない死」/孤独死を嫌う不動産業界/家族の変化、「自助」の限界/セルフネグレクトという問題/ごみ屋敷問題が意味するもの――社会保障制度の死角/家族の代替機能をいかに担保するのか
第二章 どこで最期を迎えるか――高齢者の住宅問題
持ち家神話の崩壊/乏しい日本の公的住宅政策/市場から排除される高齢者/民間賃貸住宅を活用した高齢者住宅施策/賃貸住宅に暮らす高齢者/不動産管理会社から見た孤独死の現状/孤独死が発生したら――事後処理の流れ/住宅政策、量から質への方向転換/住宅確保要配慮者と空き家/住宅セーフティネット法でどう変わるか
第三章 単身化する日本――住宅難民予備軍の実態
変化するライフコース――「住宅すごろく」の崩壊/女は三界に家なし?――女性の住まいをめぐって/見えにくい中高年単身者の貧困/非正規シングルが利用できる住宅政策がない/非正規労働者の居住貧困/氷河期世代の居住貧困のリアル/増加する貧困な離別母子世帯/母子世帯の居住貧困/中高年シングル女性の住生活実態/単身化する日本の住宅政策
第四章 不動産会社による居住支援――「隙間のケア」をどうするか
「隙間のケア」をどう保障するか/自ら集住の仕組みをつくる/空き家の増加と集住のカジュアル化/ターゲット層の拡大/高齢者のシェアハウスニーズ/六〇代以上シングル女性のためのシェアハウス/外国人と暮らすという選択/多世代で暮らすという選択/不動産会社の高齢者向け住宅サービス/不動産会社が入居者の生活サポートを行う事例/センサーではなく人間による支援とは/臨終までかかわり続ける/空き家の増加と不動産市場の変化
第五章 家で安心して最期を迎えるために必要なこと
どの死が許されないのか/韓国の孤独死実態/公営葬儀という取り組み/孤立を支える支援/持ち家か賃貸住宅か――高齢期を幸せに暮らすには/民生委員に相談してみる/低料金の見守りサービスを利用する/非血縁で暮らす仕組みの必要性/家で安心して最期を迎えるために必要なこと
おわりに
マジョリティ化する単身世帯/一住宅一家族モデルを問いなおす/「許されない死」を防ぐための住宅政策
参考文献
あとがき